国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
黒森神楽
ふりがな
:
くろもりかぐら
01 門打ち
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
民俗芸能
種別2
:
神楽
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月3日ほか(指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
指定年月日
:
2006.03.15(平成18.03.15)
追加年月日
:
指定基準1
:
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
岩手県
所在地
:
保護団体名
:
黒森神楽保存会
01 門打ち
解説文:
詳細解説
黒森神楽は、権現【ごんげん】様と呼ばれる獅子頭【ししがしら】を持って地域の家々を訪れ、厄払いや家内安全、供養、新築祝いなど様々な願いに応じた演目を演じ、また夜には民家の座敷などで、能や狂言と関わりのある演目などを演じる民俗芸能で、他に類例が少なく、芸能の変遷過程や地域的特色を示している。
権現様を持って地域を廻る黒森神楽の巡行は、宮古市北方の市町村を廻る北廻りと、同市南方の町村を廻る南廻りが、隔年で行われている。黒森神社を1月3日に出発して戻るまで1ヶ月余りである。
訪れた地域では、家々の戸口などで権現様を中心に多様な願いに応じて舞う。夜には地域の民家などに近所の人々が集まるなか、12ほどの演目を披露する。これを夜【よ】神楽と呼ぶことがある。まず神を招く歌と楽器伴奏がある。続いて前半は儀式的な舞が演じられ、後半は滑稽な内容のものや女性・武士を主人公にした演目などが演じられる。その内容は、日本神話や能に関わるもの、さらに狂言と同様にせりふ中心に展開されるものなど多彩である。舞は、動きが早く、時に高く跳躍するなど勇壮活発なものが多い。
このように黒森神楽は、地域の家々を訪れ、厄払い、家内安全などの様々な願いに応じた演目、多彩な内容の夜神楽など、他に類例の少ない神楽であり、芸能の変遷過程や地域的特色を示す民俗芸能である。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
01 門打ち
02 柱固め
03 神楽念仏
04 権現舞
05 清祓
06 岩戸
07 榊葉
08 松迎
09 山の神舞
10 恵比寿舞
写真一覧
01 門打ち
写真一覧
02 柱固め
写真一覧
03 神楽念仏
写真一覧
04 権現舞
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05 清祓
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06 岩戸
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07 榊葉
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08 松迎
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09 山の神舞
写真一覧
10 恵比寿舞
解説文
黒森神楽は、権現【ごんげん】様と呼ばれる獅子頭【ししがしら】を持って地域の家々を訪れ、厄払いや家内安全、供養、新築祝いなど様々な願いに応じた演目を演じ、また夜には民家の座敷などで、能や狂言と関わりのある演目などを演じる民俗芸能で、他に類例が少なく、芸能の変遷過程や地域的特色を示している。 権現様を持って地域を廻る黒森神楽の巡行は、宮古市北方の市町村を廻る北廻りと、同市南方の町村を廻る南廻りが、隔年で行われている。黒森神社を1月3日に出発して戻るまで1ヶ月余りである。 訪れた地域では、家々の戸口などで権現様を中心に多様な願いに応じて舞う。夜には地域の民家などに近所の人々が集まるなか、12ほどの演目を披露する。これを夜【よ】神楽と呼ぶことがある。まず神を招く歌と楽器伴奏がある。続いて前半は儀式的な舞が演じられ、後半は滑稽な内容のものや女性・武士を主人公にした演目などが演じられる。その内容は、日本神話や能に関わるもの、さらに狂言と同様にせりふ中心に展開されるものなど多彩である。舞は、動きが早く、時に高く跳躍するなど勇壮活発なものが多い。 このように黒森神楽は、地域の家々を訪れ、厄払い、家内安全などの様々な願いに応じた演目、多彩な内容の夜神楽など、他に類例の少ない神楽であり、芸能の変遷過程や地域的特色を示す民俗芸能である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
黒森神楽は、黒森神社の神霊を移した権現(ごんげん)様と呼ばれる獅子頭を持って地域の家々を訪れ、太鼓と笛、手平鉦(てびらがね)の伴奏によって、門口などで家内安全や豊作・豊漁、厄払い、供養などさまざまな願いに応じて舞い、夜には地区の民家の座敷などで、儀式的な演目や筋のある演劇的な演目などを演じるものである。 宮古市は岩手県東部にあたり太平洋に面している。宮古市街地の北側に、海に接して標高330mの黒森山があり、その中腹に黒森神社がある。黒森山は海上交通の目印の一つであり、山麓からは奈良時代とされる仏教具が発掘され古代から信仰を集めていたことがわかる。黒森神社は、14世紀の棟札により、中世以来の歴史が確認されている。同社は、かつて黒森観音、黒森薬師、黒森大権現社などと呼ばれていた。黒森神社に伝わる獅子頭で、最も古い銘文をもつものには文明17年(1485)とあり、そのころには獅子頭が同社の儀礼で使われていたとされる。黒森神社の権現様による地域巡行の記録は、17世紀末のものが残っている。 黒森神楽の巡行は、同神社の社前で神霊を権現様に移す「舞立(まいだ)ち」から始まる。この「舞立ち」つまり、その年の巡行の始まりは、かつては農作業や山仕事が終わった11月ころであったが、現在では1月3日である。黒森神社を出発し、地域を巡って、また同社に戻るのは、それから30日から40日後である。巡行は、宮古市の北方にあたる岩泉町、田野畑村、普代村、野田村、久慈市を巡る北廻りと、同市南方にあたる山田町、大槌町、川井村を巡る南廻りがあり、年ごとに、それを交互に行っている。ちなみに平成17年は南廻りである。 巡行は、2頭の権現様を持って行う。権現様は、その頭をかぶる者と胴幕を操る者の2名で舞うので、2頭の権現様に合計4名それに太鼓1名、笛と鉦に数名ずつのあわせて10名余りで行われる。神楽の伝承者たちは、多様な舞と楽器演奏をともに習得しているので、それぞれ役割を替えながら家々を巡行している。 黒森神社での「舞立ち」では、権現様の2名の舞手が扇と短い錫杖(しゃくじょう)を持って舞う「ショシャ舞」に続いて、2名のうち1名が権現様を頭にかぶり、他の1名が獅子の胴幕の端を持って「権現舞」が舞われる。権現様の歯を音高く打ち合わせる所作があり、これは祓いの意味があるとされる。その後、黒森神社を出発して地域に入ると、まず土地の神社で同様に「権現舞」が舞われる。次に宿に向かい、宿に入るときには「権現舞」を中心に舞う場合と「シットギ獅子(じし)」を演じる場合がある。「シットギ獅子」は、まず宿の玄関先などに臼を据え、その臼で、シットギと呼ばれる米粉を練ったものを作っておく。舞手たちは、それぞれ剣や杵、すりこぎ、しゃもじなどを持ち、太鼓などの演奏に合わせて、臼の回りで勇壮に舞う。「おかめ」や「ひょっとこ」の面を付けて、滑稽に舞う者も加わる。舞が終わると、舞手たちは、臼のシットギを杵などに付け、それを指にとっては周囲の見物たちの額や頬にこすりつけて回る。人びとは、これを厄払いのオマブリ(お守り)として歓迎する。その後「権現舞」になり、最後に権現様をかぶった舞手が火伏せとして、玄関に焚かれた小さな焚火を踏み消してから宿に入る。 地域の家々を廻るときには、求めに応じてさまざまな祈願や祈祷などの舞を権現様を中心にして舞う。浄めや家内安全などのため戸口で舞う「門舞(かどまい)」をはじめ墓前での「墓獅子(じし)」、家の中で位牌を中心に行う「座敷念仏」あるいは「廻り念仏」、新築祝いの家での「柱固め」、人びとの厄払いに行う「身固め」、馬屋を浄める「馬屋祈祷」、家に祀られた大黒様の像を中心に行う「蔵の祈祷」、新造船を浄める「船祝い」、家の再興を祈願する「板起こし」などがある。それぞれ固有の歌があり、舞も、たとえば「柱固め」では権現様が家の柱を噛む所作があり、「蔵の祈祷」では「大黒舞」と「権現舞」を演じるなど、それぞれに決まっている。 昼の巡行が終わると、夜には宿に近所の人びとが集まる中、多くの演目を舞う。これらを夜神楽とも呼ぶ。現在、夜神楽の演目は合計39演目で、そのうち一晩で12演目ほどを舞う。同じ宿に続けて宿泊する場合は、前夜と異なる演目を選んで舞う。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)