国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
江名子バンドリの製作技術
ふりがな
:
えなこばんどりのせいさくぎじゅつ
江名子バンドリの製作技術
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種別1
:
民俗技術
種別2
:
衣食住
その他参考となるべき事項
:
※江名子バンドリ(製品)とその製作用具は、昭和50年9月3日に重要有形民俗文化財に指定された「飛騨の山村生産用具」(989点)の一部を構成している。
指定証書番号
:
421
指定年月日
:
2007.03.07(平成19.03.07)
追加年月日
:
指定基準1
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
岐阜県
所在地
:
高山市江名子町
保護団体名
:
江名子バンドリ保存会
江名子バンドリの製作技術
解説文:
詳細解説
江名子バンドリの製作技術は、高山市江名子に伝承されるバンドリと呼ばれる蓑を製作する技術である。バンドリとは、飛騨地方でムササビを意味する方言で、蓑を着けた人の姿がムササビに似ているので、この名がある。
ニゴと呼ばれる稲藁の穂先やシナの木の肉皮などを材料として作られ、軽量で、夏は涼しく冬は温かい仕事着として、雨の日の農作業などに使われてきた。
その製作には、ニゴの採取をはじめ、シナの皮剥きやアク取り、乾燥による色出しなど手間のかかる工程があり、また首折りや上編みなど熟練を要する技術が伝えられている。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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江名子バンドリの製作技術
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江名子バンドリの製作技術
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解説文
江名子バンドリの製作技術は、高山市江名子に伝承されるバンドリと呼ばれる蓑を製作する技術である。バンドリとは、飛騨地方でムササビを意味する方言で、蓑を着けた人の姿がムササビに似ているので、この名がある。 ニゴと呼ばれる稲藁の穂先やシナの木の肉皮などを材料として作られ、軽量で、夏は涼しく冬は温かい仕事着として、雨の日の農作業などに使われてきた。 その製作には、ニゴの採取をはじめ、シナの皮剥きやアク取り、乾燥による色出しなど手間のかかる工程があり、また首折りや上編みなど熟練を要する技術が伝えられている。
詳細解説▶
詳細解説
江名子バンドリの製作技術は、岐阜県高山市江名子町に伝承される、バンドリと呼ばれる蓑を製作する技術である。 バンドリは、冬の間の農家の副業として製作されてきたもので、稲藁の穂先やシナの木の樹皮などを材料として作られ、軽量で、夏は涼しく冬は温かい仕事着として雨の日の農作業や山仕事などに用いられてきた。肩編みや首折り、上編みなど手間のかかる工程で編み上げられ、江名子で作られたものは、上等の蓑として飛騨地方一円に古くから知られていた。 この蓑の呼び名であるバンドリとは、飛騨地方でムササビを意味する方言であり、それを身につけた人の姿がムササビに似ていることからその名がついたといわれている。 高山市は、岐阜県の北部、飛騨地方の中央に位置し、江名子町は、高山市街の東南、江名子川の上流にある。江名子町は、今日では、酪農経営や高冷地野菜の栽培なども行われているが、稲作を中心とした農業が営まれてきたところである。しかし、江名子川の冷たい水を田に引いての米作りは、十分な収穫量に恵まれず、冬場のバンドリ作りが農家の生計を支える貴重な収入源であった。第二次世界大戦後は、江名子町の西側の地域が市街地化していった影響により、現在、バンドリの製作は町の東側にあたる上江名子地区を中心に行われている。 バンドリ製作の起源は、伝承によれば江戸時代初期に遡るとされる。寛文年間(1661~1662)に江名子村に移り住んだ加藤源十郎という陶工が江名子村民にその作り方を伝えたのが始まりとされ、彼の墓が残る瀬戸ヶ洞にはバンドリの由来碑も建てられている。また、高山出身の国学者、田中大秀がバンドリを源十郎が伝えたことを天保10年(1839)に記しており、そこには「田蓑」「波牟登利(ばんどり)」の表記がみられる。いずれにしても、その製作技術は門外不出とされ、江名子の人々の間に代々伝えられてきた。 江名子バンドリは、肩と腰の部分が別々に編まれる形態と、肩から腰までが一続きに編まれる形態とに大別される。前者はハナレあるいはコシハナレ、後者はコシツヅキと呼ばれる。このうち、ハナレと呼ばれるバンドリが製作工程も多く、仕上げるのに手間がかかり、特に上等の蓑として飛騨地方一円から買い求められた。 バンドリは、ニゴと呼ばれる稲藁の穂先の部分とシナの木の内皮を主な材料として作られる。 シナの木は、江名子町周辺の丹生川村や清見村(現高山市)など山間部の地域に自生しているものを使用し、樹液が上がる6月に入ると伐採し、6月末から7月にかけて樹皮を剥く。樹皮は、アクを抜き、内皮を剥がしやすくするために、2か月ほど集落内の冷水池に浸けておく。その後、バンドリ製作に使える内皮だけを剥がして水洗いし、ハサ(架)にかけて乾燥させ、赤みを帯びた綺麗な色を出す。 一方、ニゴの採取は、稲刈の終了後、11月頃から行われる。まず、ニゴ抜き棒という細い棒を用いて藁束からニゴだけを抜き取るニゴ抜き、次いで、ニゴに付いた余分な藁を取り除くハカマ取りの作業を行い、その後、シナの樹皮と同様、冷水池に2か月ほど浸け、アクを抜いて漂白する。水から上げたニゴは水分を取り、冬の屋外でしばらく寒気にさらして乾燥させ、しなやかで弾力性のある材料にする。 なお、近年はバンドリに適した稲藁の入手が困難になったため、穂首の長い稲の品種を選び、原材料として栽培している。また、編み縄や首、腰の部分に使う首縄、腰縄は、麻を綯ったものを用いる。とくにバンドリの要所に編み込まれる縄は、黒縄といって泥染めしたものを使う。シナの木の伐採をはじめ、これら一連の作業は主として男性の仕事であり、それに対して、バンドリを編む作業は女性の役割である。 このような原材料の採取や加工の過程を経て、バンドリ本体の製作は、年が明けた1月初旬から始まる。製作の工程は、肩編み、首折り、上編みから成る。ハナレを製作する場合は、これに腰の部分を編む工程が加わる。肩編みには、コモイタとバンドリイシを用いる。コモイタは、2~3尺程度の長方形の板の両端に二股の足を取り付けた編み機である。板の上部には等間隔で切れ目がいくつも入れてあり、この切れ目にバンドリイシと呼ばれる子供の拳大の石を両端につけた編み縄を掛ける。これを編みひもかけという。編む対象によって掛ける編み縄の数が決まっており、肩を編むときは、十一掛け、腰の場合は五掛けとする。 編み方は、編み縄の上に少量のニゴを取り、石を交互に下ろして編みつける方法を基本とする。なかでも肩の製作は編みつけ方に技術を要し、首周りと両肩にかけての部位から背中、腰にかけての部位に至るまで、編み始めとなる大編付から大肩、二番肩、三番肩、四番肩、五番肩、背通りといった工程があり、大肩は35回、二番肩は25回などと編む回数も異なる。また、少しずつニゴの本数を足し、編み目を増やすことで、背中の部分に厚みをもたせるように仕上げるのが特徴の一つである。これは、うつむいて行う作業のときにバンドリが体に密着するように、また、雨が中に入らないようにする工夫であり、この網目を増やす編み方を江名子では人が増えることに譬えて「嫁をとる」という。 一方、腰の製作は、腰縄に肩と同様にニゴを編みつけて帯状にし、着用するときに腰縄を通して肩を繋ぐチオと呼ばれるひも掛けを数カ所付ける。なお、肩や腰の両端など傷みやすい部分には、丈夫で水に強いシナの内皮が編み込まれるなど素材の使い分けもなされる。 バンドリの製作でもっとも難しく、仕上がりを左右する工程は、首折りと上編みである。首折りは、編み上がった肩の首に当たる部分に首縄を巻き込みながら、上部に突き出たニゴを折り返し、首回りを仕上げる工程で、上編みは、首折りした肩に黒縄を数列編み込んでいく工程である。上編みは、一見飾りのように見え、バンドリの気品を高めるともいわれるが、縄をさらに編みこむことで肩の部分のニゴを丈夫にし、網目が乱れにくくなるとともに、バンドリに当たる雨の流れをよくして内部に水が浸み込まなくなるという。 このような工程で編み上げられたバンドリは、優れた雨具、仕事着として高山市内の荒物屋や市などで売られ、また近隣の諸県へも出荷された。しかしながら、昭和30年代に入り、ゴム製の雨具が普及し始めると、バンドリは需要が次第に少なくなり、作り手も減少することになったが、平成5年に江名子の人々によってバンドリ製作の継承を目的とした保存会が結成され、原材料の栽培から後継者の育成まで、積極的な伝承活動が行われている。現在でも、バンドリは毎年1月24日に高山市内で開かれる二十四日市において販売されている。 この技術は、厳選された素材と手間のかかる工程で編み上げられ、類例が少なく、全国的にも注目されるものである。蓑の製作については、日本列島において広く行われてきたが、本件は、原材料となるニゴの採取をはじめ、シナの皮剥きやアク取り、乾燥による色出しなど、よりよい素材を得るための種々の工程がみられ、また、首折りや上編みなど熟練を要する技術を伝えていて、我が国の衣生活に関する民俗技術を考える上で重要である。 蓑の製作技術という地域の生活に根ざした基盤的な技術のあり方を考える上でも注目されるとともに、伝承基盤が脆弱な技術伝承の分野にあって、伝承状況も良好で保存継承の体制も整っており、今後の伝承も大いに期待される。