国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
酒津のトンドウ
ふりがな
:
さけのつのとんどう
酒津のトンドウ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月15日に近い土・日曜日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
423
指定年月日
:
2007.03.07(平成19.03.07)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
鳥取県
所在地
:
保護団体名
:
酒津とんど祭り保存会
酒津のトンドウ
解説文:
詳細解説
この行事は、小正月の火祭りで、毎年1月15日に近い土・日曜日に行われる。トンドウと呼ばれる円錐形の大きな作り物を海岸に作って火を燃やし、正月に迎えた歳神を送るとともに無病息災や豊漁を祈願する行事である。行事初日の土曜日は、浜辺に藁や竹などでトンドウを作る。次いで7~12歳までの男子が年齢により決められた役割に従い、コリトリと称して海辺で身を清めてから、海藻を持って地区の家々を清めて回る。翌日曜日は深夜に子どもたちが集落を歩いて火入れの予告をし、早朝にトンドウに火をつけて燃やす。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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酒津のトンドウ
酒津のトンドウ
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酒津のトンドウ
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酒津のトンドウ
解説文
この行事は、小正月の火祭りで、毎年1月15日に近い土・日曜日に行われる。トンドウと呼ばれる円錐形の大きな作り物を海岸に作って火を燃やし、正月に迎えた歳神を送るとともに無病息災や豊漁を祈願する行事である。行事初日の土曜日は、浜辺に藁や竹などでトンドウを作る。次いで7~12歳までの男子が年齢により決められた役割に従い、コリトリと称して海辺で身を清めてから、海藻を持って地区の家々を清めて回る。翌日曜日は深夜に子どもたちが集落を歩いて火入れの予告をし、早朝にトンドウに火をつけて燃やす。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
酒津のトンドウは、鳥取県鳥取市気高町の酒津に伝承される小正月の火祭りで、トンドウと呼ばれる円錐形の大きな作り物を海岸につくって火を点け、正月に迎えた歳神を送るとともに、一年の無病息災や豊漁を祈願する行事である。 トンドウとは、火祭りの行事名称であるとともに、行事のときに松や竹、藁などを材料として作られる円錐形の作り物の呼称ともなっている。 気高町は、鳥取県東部に広がる鳥取市の沿岸部に位置する。トンドウが伝承されている酒津地区は、北に日本海を望み、背後の三方を山に囲まれた集落で、イワシ漁やサバ漁を中心とする漁業を生業としてきたところである。昭和20年代に酒津隧道が開通するまでは、他村との行き来もほとんどない漁村であったといわれている。 トンドウは、この酒津地区にある東条、大中条、小中条、西条、樽谷の5つの地区の人達によって伝承されてきた行事で、かつては旧暦1月14・15日に行われていたが、昭和30年代に新暦に移行し、近年は1月15日に近い土・日曜日を期日としている。 行事初日には、トンドウの組み立てと子どもたちによるコリトリ(垢離取り)が行われ、翌日の深夜、子どもたちによる火入れの予告の後、早朝にトンドウに火が点けられる。 行事の準備や執行は、酒津地区の7~12歳までの男子を中心に、区長や各地区の組長、参加する子どもの父親たちが世話役となって行われる。子どもは、小学1年生から小学6年生までの男子に当たり、子どもたちの中でも、最高学年の小学6年生が頭送り、5年生が一番頭と呼ばれ、以下、学年順に二番頭、三番頭、四番頭、五番頭となる。このうち、一番頭が行事の中心的な役割を担い、頭送りは一番頭の経験者として行事全体の補佐的な役割をつとめる。 行事の準備は、トンドウの周囲に巻きつける、飾り注連縄と呼ばれる藁製の飾りの製作から始まる。これは11月に入ると、子どもによって行われる。その後、1月5日に、トンドウの中心に立てる柱や骨組となる松や竹を近隣の山々から切り出す。これは大人が担当する。 こうした準備作業を経て、行事初日は、早朝から海岸でトンドウの組み立てが行われる。トンドウの組み立ては、まず地区の浜辺に松の木を1本立て、それを神木と称して軸木とし、12本の孟宗竹を周囲に斜めに立てかけて円錐形の荒組を作る。12本の竹は1年=12か月を意味するとされ、潤年には13本とする。次いで、神木の先端に扇と御幣、鯛2匹を取り付け、その頂上部から飾り注連縄を時計回りに巻き付けていく。3周巻き付け、内部に藁や笹を詰め込みトンドウは完成となる。トンドウの大きさは、直径約4.5㍍、高さ約5㍍に及ぶ。 昭和40年代までは、5つの地区が海辺にそれぞれトンドウを作って行事を行っていたが、昭和60年代に入ると地区全体で1つのトンドウを作って行事を行うようになり、現在に至っている。 トンドウが完成すると、午後からはコリトリが行われる。また、各家では、正月飾りを外して浜を訪れ、トンドウに差し込んだり、結びつけたりし、翌日の火入れまでの間に、トンドウの胴体部分は、正月飾りの注連縄や神札などでいっぱいとなる。 コリトリは、子どもたちが浜で禊ぎをした後、トンドウの周囲を回ってから集落へ戻り、家々を清めて回る儀礼である。子どもたちは裸足に上半身裸の姿で、手にモクと呼ばれる海藻を持ち、一団となって海辺へ向かう。浜に着くと、波打ち際に出てモクを潮水につけ、それをぐるぐると振り回しながら身を清め、トンドウの回りを三周する。そして、何組かに分かれ、予めコリトリの依頼を受けている家々に行き、玄関先でモクを振り回しながら「ハライタマエ キヨメタマエ」と唱える。こうして一軒の家を清め終わると、再び海辺に引き返して身を清め、トンドウを回った後、改めて次の家に向かう。子どもたちは、集落と浜を往復しながらこの儀礼を何十回と繰り返し、家々を清めて回る。 コリトリが終わると、子どもたちは、一旦家に帰って着替えてから、トンドウ宿に集まってくる。トンドウ宿は、翌日の早朝にトンドウに点火するまで、子どもたちが寝食を共にする宿である。宿には、祭壇が設けられており、歳神の掛軸がかけられ、御神酒や鯛、赤飯などの神饌が供えられる。各組ごとに行事が行われていたときは、当番制で個人の家を宿に当てていたが、現在は酒津地区の自治会館がトンドウ宿となっている。子どもたちは次の出番まで、一番頭の指揮のもとに、この宿で歓談したり、夕食を食べたり、仮眠をとったりする。 翌日は、深夜になると、子供たちがトンドウ宿を出発し、集落を歩いてトンドウに火を入れる予告をする。火入れの予告は、午前1時の「一番オタキ」、午前2時の「二番オタキ」、午前3時の「三番オタキ」、そして火入れ直前の最後の予告と都合、4回行われる。子どもたちは「一番オタキだでぇー、トンド、トンド」などと威勢のよい声を出しながら集落内を歩き、家々に触れて回る。酒津の人達は、一番オタキの子どもたちの声で床から起き出し、二番オタキで赤飯を食べ、そして、三番オタキで浜に出る支度をする。 こうして火入れの前触れが終わり、浜に人達が集まってくる頃には明け方となり、いよいよトンドウに火が点けられる。藁束に点けられた火がトンドウの下方に移され、トンドウは海風に煽られて、煙を巻くように出しながら大きな炎をつくって燃え上がる。その周囲には、人垣が作られ、集まった人々は火に向かって手を合わせ、1年の無病息災や生業の安全を祈願する。この火で持参した餅を焼いて食べたり、灰をあびたりすることで、1年間は風邪をひかず、元気で過ごせるとされ、また、正月に迎えた歳神はトンドウの火や煙に乗って帰るという。酒津の浜で焚かれるこの大火は、島根県の隠岐の島々からも見えるといわれている。 年頭にあたり、大火を焚いて1年の無事を祈ったり、生業を予祝する行事は、日本各地に地域的特色をもって伝承されているが、この行事は、トンドウと呼ばれる大きな作り物を燃やして歳神を送り、1年の無病息災などを祈願するもので、小正月に行われる火祭りの典型例の一つと考えられる。 また、子供たちによるコリトリの儀礼が伴うことや、頭送りや一番頭など伝承組織に年齢階梯的な秩序がよく守られているなど地域的特色も豊かである。 小正月の火祭りについては、これまで東方地方や関東地方の事例が主に指定されているが、この行事はこれまでに指定例の少ない西日本のうち、山陰地方沿岸部に伝承される特色ある行事として注目されるものであり、伝承状況も良好であることから、我が国の年中行事や民間信仰の変遷を考える上で重要である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)