国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
吉野の樽丸製作技術
ふりがな
:
よしののたるまるせいさくぎじゅつ
吉野の樽丸製作技術(ケズリ)
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種別1
:
民俗技術
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
※樽丸を製作する用具は、平成19年3月7日に「吉野林業用具と林産加工用具」として重要有形民俗文化財に指定されている。
指定証書番号
:
指定年月日
:
2008.03.13(平成20.03.13)
追加年月日
:
指定基準1
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
奈良県
所在地
:
保護団体名
:
吉野の樽丸製作技術保存会
吉野の樽丸製作技術(ケズリ)
解説文:
詳細解説
吉野の樽丸製作技術は、吉野杉から酒樽の側板であるクレを作り、それをマルワと呼ばれる竹の輪に一定量詰め込むまでの技術である。樽丸とはこの一定量のクレを詰め込んだものをいう。
この技術は、灘や伊丹などにおける酒造りで使われる酒樽の側板を供給するために、江戸時代中期に始まったとされ、最盛期には、樽丸に最適な木材を生産するのが吉野林業の目標とされ、吉野林業は樽丸林業とも呼ばれた。
樽丸の製作は、タマギリ、オワリ、コワリ、ケズリ、クレホシ、マルマキという6工程からなり、ハニシャクと呼ぶ鋸やオワリボウチョウ、ヘギボウチョウ、ハラアテなどといった特殊な用具が巧みに使われる。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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吉野の樽丸製作技術(ケズリ)
吉野の樽丸製作技術(オオワリ)
吉野の樽丸製作技術(コワリ)
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吉野の樽丸製作技術(ケズリ)
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吉野の樽丸製作技術(オオワリ)
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吉野の樽丸製作技術(コワリ)
解説文
吉野の樽丸製作技術は、吉野杉から酒樽の側板であるクレを作り、それをマルワと呼ばれる竹の輪に一定量詰め込むまでの技術である。樽丸とはこの一定量のクレを詰め込んだものをいう。 この技術は、灘や伊丹などにおける酒造りで使われる酒樽の側板を供給するために、江戸時代中期に始まったとされ、最盛期には、樽丸に最適な木材を生産するのが吉野林業の目標とされ、吉野林業は樽丸林業とも呼ばれた。 樽丸の製作は、タマギリ、オワリ、コワリ、ケズリ、クレホシ、マルマキという6工程からなり、ハニシャクと呼ぶ鋸やオワリボウチョウ、ヘギボウチョウ、ハラアテなどといった特殊な用具が巧みに使われる。
詳細解説▶
詳細解説
吉野の樽丸製作技術は、主に兵庫県の灘や伊丹の酒造りで使用する酒樽の側板にあたるクレ(榑)を、材料となる吉野杉の造林地で大量に製作し、一定量を竹の輪に詰め込むまでの技術である。樽丸とは、一定量のクレを竹の輪に詰め込んだものをいう。 樽丸の材料となる吉野杉は、人工造林を基軸とする吉野林業で生産されてきた。吉野林業は、畿内の城郭や寺社などの建築材を供給する目的で中世末に始まったといわれるが、江戸時代に入ると、灘や伊丹といった日本酒の醸造地の隆盛に対応して、樽丸材の供給も行うようになった。それは吉野杉が、節が少なく、芯が樹木の中心にあり、きめ細かい年輪が同心円状に刻まれているなど優れた形態的特徴を備えていたのに加え、ほのかな香りが酒に移ることで酒の旨みが増し、また酒が腐りにくくなるとされたためであった。 吉野での樽丸製作は、享保年間(1716~1736)に和泉国の商人が安芸国の職人を連れて、今日の吉野郡黒滝村鳥住に来住し、吉野杉を利用して樽丸を製作したのが始まりといわれている。その後、鳥住の人々がこの技術を習得して今日の吉野郡川上村高原に伝えたのを皮切りに漸次周辺地域にも伝わり、吉野郡一帯で樽丸が製作されるようになったという。なかでも黒滝村と川上村の樽丸は、質量ともに最も優れているといわれてきた。 樽丸の製作は、明治から昭和初期にかけて最盛期を迎えるが、この時期には、樽丸に適する用材を生産することが吉野林業の目標とされ、吉野林業を「樽丸林業」、植林された杉山を「伊丹山」、樽丸を「伊丹」、樽丸師あるいは丸師などといわれる樽丸を製作する職人を「伊丹職」と呼ぶことすらあった。また、樽丸師がクニイキ(国行)と称して吉野郡のみならず全国各地の杉山で活動を展開したこともあり、明治以降、秋田をはじめとした他地域の杉の植林地でも樽丸の製作が行われるようになり、酒樽のみならず醤油樽用などの樽丸も製作された。 吉野の樽丸製作は、まず切り出した樹齢60~100年ほどの吉野杉の原木をハニシャク(刃二尺)あるいはコマビキノコ(細挽鋸)と呼ばれる大きな鋸で輪切りにすることから始まる。この工程をタマギリ(玉切)あるいはコマビキ(細挽)と称し、輪切りにした木材をタマ(玉)あるいはコダマ(小玉)と呼ぶ。タマの長さは、クレの長さにあたるため、四斗樽であれば1尺8寸(約54㎝)、二斗樽であれば1尺5寸(約45㎝)、一斗樽であれば1尺1寸(約33㎝)の長さにそれぞれ輪切りする。 次に、このタマを縦におき、オワリボウチョウ(大割包丁)と呼ぶ大きな刃物かオワリヨキ(大割斧)という斧を切り口にあてて、オワリヅチ(大割槌)という木槌で強く叩いて打ち込んで中心から放射状に縦割りしていく。何分割するかは、木材の太さや節の位置などを確認して目分で決めるが、おおよそ6~8分割するのが通常である。この工程をオワリ(大割)と称する。 次に、オワリした木材をワリダイ(割台)の上に立てて両足ではさみ、ヘギボウチョウ(剥包丁)と呼ばれる三日月状に湾曲した刃物を年輪に沿ってあて、コワリヅチ(小割槌)という木槌で叩いて1枚1枚剥いでいく。この工程をコワリ(小割)と称し、これにより幅3~6寸(9~18㎝)、厚さ5分(1.5㎝)程度の木片が数枚出来上がる。コワリでは、コワ(木皮)と呼ばれる外周部の白木の部分とナカスという中心部の中間にあたるアカ(赤)と呼ばれる赤味を帯びた部分だけを利用する。特に、アカがコワと接する部分は、酒樽に組んだとき内側が赤く、外側が白くなるため、ウチマレ(内稀)あるいはコウツキ(甲付)と呼ばれて最上級のクレとされる。なお、コワリで利用されないコワは、下市町下市の割箸工場に売られるが、この割箸製造の技術は、文久2年(1862)に四国からやってきた巡礼僧が、樽丸の製作をみて考案し、下市の人々に伝授したともいわれている。 次にコワリした木片を削って形を整えるとともに表面を滑らかにするケズリ(削り)を行う。サキアテ(先当)と呼ぶ杭を正面に立て、腹部にハラアテ(腹当)あるいはマエアテ(前当)と呼ぶ板をあてがい、水平にした木片をサキアテとハラアテではさみ、センを手前に引いて木片の表面を削る。センには2種類があり、酒樽に組んだとき内側になる面はウチゼン(内ぜん)で削り、外側になる面はソトゼン(外ぜん)で削る。またミミ(耳)と呼ぶ木片の両端もソトゼンで削って形を整える。こうして真上からみるとやや三日月状に湾曲したクレが完成する。 完成したクレは、井形に組んで高さ150㎝ほどまで積み上げ、1ヶ月ほど天日で乾燥させる。この工程をクレホシ(榑干)あるいはマルホシ(丸干)という。 最後にクレを一定量にまとめ、長さ150㎝ほどの2本の真竹で編んだマルワ(丸輪)という輪に詰め込んで樽丸が完成する。この工程をマルマキ(丸巻)という。このときマルワは若干きつめに編んでおき、最後のクレはマルマキボウチョウ(丸巻包丁)という箆(へら)状の用具でこじ開けたり、オオヅチ(大槌)という大きな木槌で強く叩いたりして詰め込んで、運搬の際に荷崩れしないようにする。1つのマルワに、横に並べて長さ36尺分のクレが詰め込まれ、四斗樽だと約4個の樽が組み立てられる。なお、最上級のクレであるウチマレは、他のクレとは別にしてクレホシとマルマキを行い、最後に「内稀」「極稀」といった焼印を押すこともある。 完成した樽丸は、吉野町上市や下市町下市の問屋に卸され、現在はそこから灘や伊丹、伏見、佐賀などの樽屋に陸送されている。 この技術は、木材を切る、割る、削るという基本的な木材加工技術であり、明治以降、全国各地の杉の植林地で行われるようになる樽丸製作に影響を与えるとともに、吉野郡における割箸の製作技術も派生させた。 また、ヘギボウチョウやハラアテ、ウチゼン、ソトゼンといった独特の用具を使うことで、きめ細かい年輪と適度な香りをもつ吉野杉の特性を最大限に生かした技術でもあり、我が国の林産加工技術を考える上で重要である。