国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
秋田のイタヤ箕製作技術
ふりがな
:
あきたのいたやみせいさくぎじゅつ
秋田のイタヤ箕製作技術(雲然)
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種別1
:
民俗技術
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
指定証書番号
:
指定年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
秋田県
所在地
:
秋田市太平黒沢
仙北市角館町雲然
保護団体名
:
オエダラ箕製作技術保存会
角館イタヤ細工製作技術保存会
秋田のイタヤ箕製作技術(雲然)
解説文:
詳細解説
秋田のイタヤ箕製作技術は、イタヤカエデを横、フジを縦にしてござ目に編み、縁にU字に曲げたネマガリダケを取りつけた箕を製作する技術で、それぞれオエダラ(太平)箕、クモシカリ(雲然)箕として知られてきた。
箕は我が国では古くから農作業などに使用されてきた用具で、タケ、フジなどを材料としたものが多いが、タケ類のほとんど自生しない東北地方北部ではタケ以外の植物を利用する箕の製作技術が見られる。イタヤカエデを主材料に箕を製作する本件は、その典型例の一つといえる。
(※解説は指定当時のものです)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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秋田のイタヤ箕製作技術(雲然)
秋田のイタヤ箕製作技術(雲然)
秋田のイタヤ箕製作技術(太平黒沢)
秋田のイタヤ箕製作技術(太平黒沢)
秋田のイタヤ箕製作技術(太平黒沢)
秋田のイタヤ箕製作技術(雲然)
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秋田のイタヤ箕製作技術(雲然)
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秋田のイタヤ箕製作技術(太平黒沢)
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秋田のイタヤ箕製作技術(雲然)
解説文
秋田のイタヤ箕製作技術は、イタヤカエデを横、フジを縦にしてござ目に編み、縁にU字に曲げたネマガリダケを取りつけた箕を製作する技術で、それぞれオエダラ(太平)箕、クモシカリ(雲然)箕として知られてきた。 箕は我が国では古くから農作業などに使用されてきた用具で、タケ、フジなどを材料としたものが多いが、タケ類のほとんど自生しない東北地方北部ではタケ以外の植物を利用する箕の製作技術が見られる。イタヤカエデを主材料に箕を製作する本件は、その典型例の一つといえる。 (※解説は指定当時のものです)
詳細解説▶
詳細解説
秋田のイタヤ箕製作技術は、フジを縦糸、イタヤカエデを横糸にしてござ目に編み、縁にネマガリダケを取りつけた箕を製作する技術である。 自生する竹類の少ない秋田県では、竹以外の植物を利用して箕が製作されてきた。特に秋田市太平黒沢と仙北市角館町雲然では、米づくりの傍ら、周辺に多く自生するイタヤカエデを利用した箕が盛んに製作され、製品は、それぞれオエダラ箕、クモシカリ箕という名で知られ、穀物の選別や運搬などの農作業等に適した丈夫な箕として県内外の荒物屋や定期市などで販売されてきた。 この技術の起源について、太平黒沢では、旅の僧から伝えられた、夢の中で白装束の老人から伝えられた、山伏から伝えられたなどといわれている。いっぽう雲然では、飴売りから伝えられた、一夜の宿を借りた弘法大師から伝えられた、かくまった流れ者からお礼に伝えられたなどといわれ、いずれもその時期ははっきりしない。 ただ、秋田藩の御用達でもあった津村正恭が、天明8年(1788)から寛政2年(1790)にかけての秋田の様子を記した紀行文『雪のふる道』に、太平黒沢でイタヤカエデを利用して籠類が製作されていたことを記しており、この頃にはイタヤカエデを利用した編み組み技術がこの地域でみられたことがうかがえる。 明治以降、太平黒沢、雲然ともに材料を共同採取する組合を組織し、昭和30年代にかけて地区のほとんどの家が箕の製作に従事して最盛期には太平黒沢で年間約5万枚、雲然では年間約1万枚を製作し、その販路は県内のみならず、隣県や北海道にまで及んだ。 この技術は、採取したイタヤカエデやフジを帯状に加工する工程と帯状にした素材を編んでいく工程に大きく分けられ、太平黒沢と雲然に工程上の大きな違いはみられない。ただ、太平黒沢では主に男性が従事し、雲然では男女ともに従事してきている。 太平黒沢を例としてその製作技術をみると、イタヤカエデは、秋切りといって10月頃に採取した直径約8㎝の若木を利用する。まず、鉈を巧みに使って、縦に8等分にみかん割りするコワリ、幅や厚さを削り揃えるコケズリを行い、最後に表皮と芯の部分を取り去る。 次に、クチタテと称して年輪に鉈をあてて軽く切り込みを入れ、いっぽうを口にくわえてもういっぽうを手にもって慎重に縦に裂いて帯状にする。これをフクといい、雲然では、いっぽうを口にくわえてもういっぽうを足の指で挟んであごを使って裂いていく。フクは、熟練を要し、その出来不出来が材料としての良し悪しに直結してくる。 次に、このイタヤカエデの帯に小刀をあて、帯のほうを軽く引くようにして表面を滑らかになるように削り、幅1㎝前後、厚さ3㎜ほどのツクリギと呼ぶイタヤカエデの帯を作る。この作業はケズリといい、雲然では小刀とは刃が逆の位置についたカチャ小刀を使い、刃の裏の部分をあてて削る。こうしてツクリギの製作と同じ要領で、ツクリギより薄く幅も狭いカラミギ、さらにカラミギより幅の狭い紐状のミサキトリギも作る。 フジは5月頃に採取し、芯を抜いて陰干ししたものを加工する。まず、鉈を使って外皮をきれいにこそぎ取るフジミドリを行い、次に足の裏などでしごいて柔らかくして、フジトオシギリで1㎝ほどの幅に裂く。このフジの帯はサキフジ、あるいはツクリフジと呼ぶ。 また、ネマガリダケは6月末に採取し、数ヶ月乾燥させた後、火であぶって真っ直ぐにしておく。 これらの加工した素材を箕に編む作業は、大きくハネル、アミクミ、フチツケ、ミサキトリの4工程からなる。 まず、ハネギと呼ぶ長さ約80㎝の棒に比較的幅の広いサキフジを結びつけ弓状にし、これを縦糸の中心とする。 次いでその両脇にコハネギと呼ぶイタヤカエデの帯を1本ずつ並べ、縦糸を3本にする。この帯は、何度も使いまわす用具であり、箕の素材であるツクリギなどとは別のものである。 そして3本の縦糸を上下交互に分けて間に横糸となるツクリギを1本ずつ丁寧にはめ込んでいく。これをハネルという。 ハネルが終わると、アミクミに入る。まずはめ込んだツクリギを上下交互に分けて間にサキフジを1本ずつ丁寧にはめ込んでござ目に編んでいく。この際一番最初にはめ込むサキフジは、コハネギに取り替えてはめ込む。初めはすべてのツクリギを上下交互に分け、サキフジをはめ込む。この部分は箕の中央部であるナカヅクリと手前の立ち上がり部分であるアグドとなるため、目が粗くならないように特に注意する。 サキフジをある程度はめ込むと、やや短いサキフジに替えて3分の2ほどの量のツクリギを上下交互に分けて間にはめ込んでいく。この部分は箕の両脇の立ち上がり部分であるワキヅクリとなる。雲然では、これらサキフジをはめ込む際、ヒボと呼ぶ1㍍前後の棒を杼や筬のように巧みに使う。こうしてハネギを中心に左右対称にサキフジをはめ込むと、ハネギを外し、余分なサキフジを切り取る。 次いで、アグドとワキヅクリを立ち上げ、カラミギでしっかり固定する。アミクミはここまでで、箕の形状がほぼできあがる。 フチツケは、箕の形状を決定づける最も難しい工程とされる。まずネマガリダケを手でしごきながらゆっくりとU字状に曲げ、先端を縄で固定する。これをタケマゲという。次にこうして曲げた2本のネマガリダケを、ワキヅクリとアグドの上部を挟むようにしてあて、数箇所にカラミギを絡めてしっかりと固定する。最後に、箕の先端から突き出た余分なネマガリダケを鋸で切る。 ミサキトリは、仕上げの工程で、箕の先端部分であるミサキの端から端まで2本のミサキトリギを絡めていく。先端を丈夫に、かつ使い易くするため、できるだけ密に絡める。最後に太平黒沢ではナカヅクリをイタヤカエデの屑でこすって艶を出し、雲然ではナカヅクリを金槌などで軽く叩いて締めて、箕が完成する。 我が国では、箕は古くから農耕用具などとして重宝されてきた。その素材には、竹、フジ、樹皮などがみられ、編み目にはござ目と網代目があり、地域的特色をもって製作されてきた。 そうした中で、竹類のほとんど自生しない東北地方北部では竹以外の植物を利用してござ目に編む箕の製作技術が顕著にみられる。イタヤカエデを主材料とした箕を製作する技術である本件は、その典型例の一つであり、またこの地域に多く自生するイタヤカエデを有効に利用するなど地域的特色も豊かで、我が国の編み組み技術、特に箕の製作技術を知る上で重要である。 また、太平黒沢、雲然ともに組合を母体に保存会が結成され、材料の確保、後継者の育成等にも積極的であり、伝承状況も良好である。 (※解説は指定当時のものです)