国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
新庄まつりの山車行事
ふりがな
:
しんじょうまつりのやたいぎょうじ
新庄まつりの山車行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月24~26日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
指定年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
山形県
所在地
:
保護団体名
:
新庄まつり山車行事保存会
新庄まつりの山車行事
解説文:
詳細解説
新庄まつりの山車行事は、新庄市内21か町から各1台ずつ山車が出され、天満神社の神輿に供奉して巡行する行事である。 宝暦6(1756)年に前年の飢饉で疲弊した領民を励まそうとした新庄藩主の命により始まったと伝えられる。
山車は、歌舞伎や物語などに題材をとった作り物で飾られ、各町内の若者達により毎年造り替えられる。当日は自分の町内を出発した後、天満神社のある最上公園に集合して順に市内を巡行するが、山車につく囃子は周辺部の農村の若者が受け持っている。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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新庄まつりの山車行事
新庄まつりの山車行事
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新庄まつりの山車行事
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新庄まつりの山車行事
解説文
新庄まつりの山車行事は、新庄市内21か町から各1台ずつ山車が出され、天満神社の神輿に供奉して巡行する行事である。 宝暦6(1756)年に前年の飢饉で疲弊した領民を励まそうとした新庄藩主の命により始まったと伝えられる。 山車は、歌舞伎や物語などに題材をとった作り物で飾られ、各町内の若者達により毎年造り替えられる。当日は自分の町内を出発した後、天満神社のある最上公園に集合して順に市内を巡行するが、山車につく囃子は周辺部の農村の若者が受け持っている。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
新庄まつりの山車行事は、山形県新庄市に鎮座する戸沢神社、天満神社、護国神社の3社の例大祭にあわせて市中心部に位置する各町内から山車が引き出される行事で、毎年8月24・25・26日の3日間行われる。 新庄市は、山形県北東部に位置する新庄盆地のほぼ中央に位置する市で、東は奥羽山脈、西は出羽山地に囲まれた小盆地で、冬は大量の雪が降る豪雪地帯である。近世には新庄藩の城下町として栄え、明治以降は新庄を含む最上郡の中心となってきた。 この行事は、近世中期の宝暦6(1756)年に始まったと伝えられている。前年に大凶作に見舞われ、多くの餓死者が出たため、時の藩主戸沢正諶が餓死者の霊を弔い、五穀豊穣を祈願するとともに領民を奮い立たせようと天満神社の祭りを催し、城下の町人に命じて各町内から飾り物を出させて城下を巡行させたのが始まりといわれている。 8月24日は戸沢神社の例大祭で宵祭りといわれ、各町内から出された21台の山車が一堂に会して巡行する。25日は天満神社の例大祭で本祭りといわれており、神輿の渡御とそれに供奉して山車が巡行する。26日は護国神社の例大祭で後まつりといわれ、山車を飾り置いて鹿子踊りなどの奉納が行われる。 これら3社のうち、天満神社は城内に戸沢氏の氏神として祀られていたものであり、戸沢神社は戸沢氏の初代藩主政盛と11代藩主正実を祀る神社で、護国神社とともに旧城内に祀られ氏子のいない神社である。 各町内が出す山車には、歌舞伎や物語、伝説などに題材を取った場面が作られている。車輪と土台の骨組みの部分を除き毎年作り変えられるもので、東北地方の日本海側に見られる風流の山・鉾・屋台の行事の一つである。山車は、各町内ごとに山車作りや巡行を担当する山車若連が相談をしながら出し物を決めていき、行事の2か月ほど前になると町内に山小屋と呼ぶ仮設の小屋をつくり、ここで骨組み作り、紙貼り、大道具・小道具づくり、色上げ、人形作りなどの作業を行う。行事の一週間ほど前からは朝から晩まで山小屋につめて製作が進められる。この際、人形だけは人形師が製作したものを毎年借りて使用することになっている。 24日の宵祭りには午後から各町内の山車若連が思い思いに市内を回り、夕方には決められた場所で集合して駅前通りを巡行する。 翌25日は各町内の山車が午前9時前後に天満神社のある最上公園に集結し、天満神社での神事の後神輿渡御行列に続いて順に出発する。山車の巡行順は行事の前に籤引きで決められ、一番の籤を引いた町内の山車を先頭に巡行することになっている。神輿の渡御行列は途中何か所かの御旅所で休憩しながら巡幸する。山車もこれに付き従って巡行するのである。宵祭りも含め山車が巡行するときには必ず笛、太鼓、鉦、三味線の囃子がつく。 神輿の渡御行列を担当するのは、太田、荒小屋、西山、月岡など近郊の集落で、山車を出す町内とは異なり、囃子を受け持つ集落とも重ならない。 囃子を担当するのは、近郊の集落で、山車ごとに決まっており原則として変わらない。囃子を受け持つ集落では7月になると囃子の練習を始めるので、その頃山車を出す町内の山車若連の頭が囃子を担当する集落の囃子若連の頭に依頼に行く。 このようにこの行事は、歌舞伎や物語、伝説などを題材とした飾りの部分が毎年造り替えられる山車が巡行する風流の山車行事で、山車の運行を担う町内と囃子を担当する集落が協力して運営されるという町場の祭礼の典型的な例を示している。 この行事は、我が国の祭礼に多く見られる山・鉾・屋台が引き出される行事の一つである。これらは種々の飾り物による風流が凝らされたものが多く、この行事も、毎年作り物を変える風流の祭りで、東北地方日本海側に見られる風流の山・鉾・屋台の祭りの典型例の一つといえる。 また、近世に領主によって始められたという起源伝承をもち、それ以来明治になるまで領主の庇護のもとに祭りが行われてきたもので、我が国における祭礼行事のうち特徴的な特殊な起源をもつものといえる。 当該地域における同種の行事の典型例の一つといえるとともに、我が国の山・鉾・屋台の祭礼の変遷、展開過程を考える上で重要な行事である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)