国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
三朝のジンショ
ふりがな
:
みささのじんしょ
三朝のジンショ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
娯楽・競技
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年5月3・4日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は、平成11年12月3日に三朝のジンショとして記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
指定証書番号
:
指定年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
鳥取県
所在地
:
保護団体名
:
三朝区ジンショ保存会
三朝のジンショ
解説文:
詳細解説
三朝のジンショは、鳥取県三朝町に伝承される五月節供の綱引き行事で、5月3日に綱からみと呼ばれる綱を綯う作業が行われ、翌4日の夜に地区の中央を走る路上で綱引きが行われる。綱は山から切り出した藤蔓で作られ、長さ約80m以上、重さ約4tにも及ぶ。地区を2分し、東と西の対抗で行われ、雌雄の大綱の頭部をカセギと呼ばれる樫の木の棒で結合させて激しく引き合う。東が勝つと豊作、西が勝つと商売繁盛となるとされる。また勝負がはじまる前に、綱を地面に打ち付けるように曳き出すことで、邪気や災厄を祓うともいわれる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
三朝のジンショ
三朝のジンショ
三朝のジンショ
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三朝のジンショ
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三朝のジンショ
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三朝のジンショ
解説文
三朝のジンショは、鳥取県三朝町に伝承される五月節供の綱引き行事で、5月3日に綱からみと呼ばれる綱を綯う作業が行われ、翌4日の夜に地区の中央を走る路上で綱引きが行われる。綱は山から切り出した藤蔓で作られ、長さ約80m以上、重さ約4tにも及ぶ。地区を2分し、東と西の対抗で行われ、雌雄の大綱の頭部をカセギと呼ばれる樫の木の棒で結合させて激しく引き合う。東が勝つと豊作、西が勝つと商売繁盛となるとされる。また勝負がはじまる前に、綱を地面に打ち付けるように曳き出すことで、邪気や災厄を祓うともいわれる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
三朝のジンショは、鳥取県東伯郡三朝町三朝に伝承される五月節供の綱引きで、藤蔓を材料にして綯い上げた雄雌2本の巨大な綱を繋ぎ合わせて激しく引き合い、その勝敗によって五穀豊穣などを占う行事である。 三朝町は、中国山地を背にして鳥取県のほぼ中央に位置する温泉町である。町域の大部分は山林によって占められ、農林業や豊富に湧き出るラジウム温泉を利用した観光業を主な生業としてきたところである。 ジンショが伝承される三朝地区は、天神川の支流となる三徳川と、南から迫る急峻な山麓の間に広がる地域で、東側の上手にあたる家々をカミンジョ、西側の下手にあたる家々をシモンジョと呼んでいる。カミンジョは農業を営んできた家が多く、一方、シモンジョは旅館や商家が多くみられ、ジンショは、この2つの集落を東方、西方として大綱を引き合うもので、5月4日の夜、三朝地区の温泉街を東西に走る通りの路上で行われる。 ジンショとは、表記の上では、「陣所」や「神所」、「神緒」、「神縄」などの諸説があり、また、陣詰めしていた武士が士気を鼓舞するために行った綱引きがその始まりであるという伝承もあるが、その由来は定かではない。 また、ジンショは、古くは旧暦5月5日に行われ、茅や蓬、菖蒲などで作った綱を用いていたというが、明治初期頃から藤蔓を綱の材料として用いるようになり、綱自体も次第に長大化して現行の形態に至ったと伝えられている。 山陰地方では、五月節供の綱引きは、菖蒲の節供に因みショウブズナとも呼ばれ、因幡地方を中心とする山陰東部に分布が集中しており、三朝のジンショも、こうした綱引き分布圏の広がりの中に基本的には位置づけることができる。三朝町近隣の倉吉市や関金町などでも、かつてはジンショと呼ばれる同種の綱引きが行われていたことが確認されていることから、ジンショは、ショウブズナの習俗を基盤に地域的に展開してきた伯耆地方における綱引きの類型として注目される。 ジンショに用いられる綱は、山に自生する藤蔓を使って毎年新しく作られる。綱は、雄綱、雌綱ともにツボグチ(壺口)と呼ばれる楕円形をした輪状の頭部をもち、長さは約80㍍、胴回り約1.5㍍で、重量は両方の綱を合わせると約4㌧にも及ぶ。 行事の準備は、4月中旬に藤蔓を採取する作業から始まる。山から切り出した藤蔓は、丸く束ね、材質を柔らかくするために三徳川の中に堰を設けて浸けおく。その後、行事前日の5月2日になると、藤蔓を川から引き揚げ、河川敷で選り分けておき、翌3日の早朝から「綱からみ」と呼ばれる綱を綯う作業に取り掛かる。 綱からみは、ソウゴト(総事)とも呼ばれ、三朝地区の男性がほぼ総出で一日掛かりで行われる。はじめに雄綱のツボグチをつくり、次にその大きさに合わせて雌綱のツボグチをつくる。両方のツボグチが完成すると、ツボグチを向かい合わせ、夫婦綱と呼ばれる細い藤蔓で2つの綱を結び、その間に榊を立て、御神酒を供える。これが終わると再び作業となり、ツボグチの後部から藤蔓を鎖状に次々と繋いで幾本もの細い綱をつくり、さらにそれらを順繰りに絡めていって最終的に1本の太い綱に綯い上げる。最後に、綱の胴体部に30~50㎝程の間隔で、細い藤蔓を使ってヒキズナ(引綱)を結びつけて完成となる。 5月3日夜には「綱出し」が行われる。綱出しとは、東方、西方の順番で男性たちが綱引きが行われる通りまで綱を運び出すことである。3・4日の行事は、綱の動きを差配する指揮者と呼ばれる男性1名と、その下にいる取締役と呼ばれる男性6名の統制のもと、安全に配慮しながら行われる。 3日の綱出しは、ニナイボウと呼ばれる樫の棒を使い、綱を肩に載せて担ぎ出す。通りの東西の分岐点には、杉の枝で覆われた緑門と呼ばれる門が設けられており、そこまで綱を担ぎだし、クセツケを行う。西方の雌綱は、三朝大橋の袂でもクセツケをする。 クセツケとは、綱引きの直前に2つの綱のツボグチがうまく結合するように、前もって綱の頭部を曲げたり、ねじったりして、くせをつけておくことである。綱を路上に下ろした後、ツボグチの部分を立て、その上に男性が交互に勢いよく掛け登り、周囲の男たちが激しく揺さぶる。これを数回繰り返す。こうしてクセツケが終わると、綱は尾の方を先頭にして担ぎ出され、翌日の綱引きまで東西のはずれに置かれる。 翌5月4日は、夜になって再び綱出しが行われる。綱出しに先立って、若衆の集団が提灯を持って地区内を走り回り、そろそろ行事が始まることを知らせる。 4日の綱出しは、前日とは異なり、男性たちが大綱の腹を地面に打ち付けながら、綱を引きずるように運び出すのが特徴である。綱をこのように扱うことには、邪気や災厄を祓う意味があるという。こうして雄綱、雌綱が東西から登場し、緑門のところで対峙すると、まず両方の綱のツボグチを高くせりあげる。そして、それぞれのツボグチに男性が1人ずつがよじ登り、雌綱のツボグチに雄綱のツボグチが入るよう間合いをはかりながら歩み寄る。しかし、綱の結合はたいてい1回では決まらず、東西の男性たちによる揉み合いを経て、何度目かにようやくツボグチ同士が組み合わさるとカセギと呼ばれる樫の木のかんぬきが差し込まれ、2つの綱が1本に繋がる。それと同時に激しい引き合いが始まる。 三朝では、綱引きの勝敗の結果でその年の生業の吉凶が占われ、東方が勝てば五穀豊穣、西方が勝てば商売繁盛になるという。また、綱引き後、綱はすぐに解体されるが、綱に触れた者は1年間は無病息災でいられるとされ、綱の一部を切り取って持ち帰る者も少なくない。 日本の綱引き行事は、小正月や盆など季節の折り目に各地で行われているが、この行事は、巨大な雌雄の綱を結合させて引き合う五月節供の綱引きであり、綱を地面に打ち付けることで邪気を祓うという五月節供に行われる綱引きの性格を伝えているとともに、地区を二分する対抗関係や勝敗による年占などに綱引き行事の典型的な要素が見出される。また、藤蔓のみを材料にして綯われる雌雄の大綱の形態は、地域的特色が豊かである。 五月節供の綱引きは、山陰地方を中心に日本海沿岸地域に主に分布しており、鳥取県内では、子供組を中心に行われる「因幡の菖蒲綱引き」(鳥取市及び岩美郡岩美町・昭和62年1月8日重要無形民俗文化財指定)があるが、本件は、伯耆地方における五月節供の綱引きであるだけでなく、山陰地方を代表する大規模な綱引きと考えられ、また、周辺地域に伝承されていた同種の綱引きが途絶えてしまった現在、伯耆地方の綱引きを伝える唯一の伝承例となっている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)