国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
阿月の神明祭
ふりがな
:
あつきのしんめいまつり
阿月の神明祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月11日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
指定証書番号
:
指定年月日
:
2009.03.11(平成21.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
山口県
所在地
:
保護団体名
:
神明祭顕彰会
阿月の神明祭
解説文:
詳細解説
阿月の神明祭は、もと旧暦1月15日に行われた小正月の火祭りで、阿月地区を東西2つに分けて行われ、災厄除けや病気除け、豊作を祈願する。
地区の砂浜に東西に分かれて1本ずつ、御幣や橙などで飾り立てたシンメイと呼ぶ長い柱を立てる。シンメイを立て終わると、前年結婚し仲間を退会する若者を担ぎ、海に投げ込んで祝う儀礼が行われる。昼と夜の2回シンメイの前でシンメイ踊りや長持ちジョウゲが行われる。夜になるとシンメイに火が点けられて焼かれ、海側にシンメイを倒す。人々は倒れたシンメイから飾りや御幣などを取り合って家に持ち帰る。また燃えている火で餅などを焼いて食べると病気をしないなどともいう。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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阿月の神明祭
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阿月の神明祭
解説文
阿月の神明祭は、もと旧暦1月15日に行われた小正月の火祭りで、阿月地区を東西2つに分けて行われ、災厄除けや病気除け、豊作を祈願する。 地区の砂浜に東西に分かれて1本ずつ、御幣や橙などで飾り立てたシンメイと呼ぶ長い柱を立てる。シンメイを立て終わると、前年結婚し仲間を退会する若者を担ぎ、海に投げ込んで祝う儀礼が行われる。昼と夜の2回シンメイの前でシンメイ踊りや長持ちジョウゲが行われる。夜になるとシンメイに火が点けられて焼かれ、海側にシンメイを倒す。人々は倒れたシンメイから飾りや御幣などを取り合って家に持ち帰る。また燃えている火で餅などを焼いて食べると病気をしないなどともいう。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
阿月の神明祭は、山口県柳井市大字阿月で2月11日に行われる行事で、本来は小正月に行われていた災厄除けや病気除け、豊作などを祈願する火祭りである。 阿月は、山口県東部の柳井市にあり瀬戸内海に面している。近世には毛利氏の家臣浦氏の領地で、天保13(1842)年頃成立したといわれる『防長風土注進案』には、浦氏が阿月に移封された正保元(1644)年に神明祭を行ったと記されている。 また、『浦慈之助日記』の慶応4(1869)年1月15日には「例年ノ通、神明祭礼の事」と記されており近世末期には神明祭が行われていたことが確認できる。 行事は、地区内を東西2地区に分け、それぞれにシンメイと呼ばれる2体の大きな柱をたてて行われる。 行事は、シンメイ作りの作業から始まる。行事の2週間前頃から青年達により神明の材料集めが行われ、芯にする木材や竹などが集められる。これら木材や椎の葉、ウラジロ、竹などは適当なものを選び、生えている山の持ち主から酒1、2升の礼でもらう。芯はもとは松を用いていたが、松食い虫の被害で松がほぼ全滅したため現在では檜を用いている。この檜に竹をしばり芯棒である神木にする。 行事の一週間ほど前にはシンメイの部材や飾りを作るマキタテ(巻き立て)を行い、できあがったものは行事当日まで神明宮や浜などに置いておく。 行事当日は早朝から浜でシンメイを作る作業が行われる。4本の丸太で作った脚に神木を取り付けるとともに、脚のすぐ上には椎の枝で作ったモチシバ(餅柴)、その上に半分に切ったダイダイ(橙)をさした串を巻きつけ、さらにその上に板に神札を円盤状に貼り付けたオウギモチ(扇餅)、その上に梅の枝を巻きつけ、竹で編んだ受け台、ウラジロ、諸葉を巻きつけたモロバモチ、その上に横幣を取り付けその両端に神木の先端から弓張りと呼ばれる縄をつける。さらに神木の先端にはシンザサと呼ばれる竹の葉を取り付けて飾り立てる。この状態でオコシタテ(起こし立て)まで横に寝かせておき、その間に地区の人たちがシンザサに五色の吹き流しを取り付けたり、横幣に飾りを家から持ち寄って取り付けたりするなどして飾り立てる。 オコシタテは、神明を起こして立てることで、白鉢巻に白の肌着、白足袋姿の青年たちにより行われる。神社に樽みこしを担ぎ込むと3本の大幣を受け取り、シンメイの先端部の3か所に結びつける。これが済むとシンメイに何本もの綱を結びつけて四方から引いてたてる。こうして立ち上がったシンメイの前には仮宮が立てられ起こし立てが終了する。 オコシタテが済むと過去1年の間に結婚した男子を担いで行き海に放り込む儀礼が行われる。この儀礼は若連からの脱退の儀礼ともいわれており、神明祭が若連からの脱会の機会となっていたことがわかる。 オコシタテが済んだ後、午後になるとシンメイの周囲と東西の祭場を結ぶ通りで、シンメイ踊り、長持ジョウゲなどが行われる。シンメイ踊りは未婚の男女を中心にして踊られるもので、男子は赤穂義士討入の場や新撰組、柳生但馬守と十兵衛などの扮装で踊り、女子は笠踊りなどを踊る。 また、この時には若者3人が長持ちを担いで調子はずれに練り歩く長持ジョウゲも奉納される。これらの行事が済むと昼の行事は終了する。 日が暮れると再び昼に行われたシンメイ踊りと長持ジョウゲが同じように繰り返して行われる。 これらが済むと、シンメイに火を点けて燃やす行事が行われ、これをハヤスといっている。シンメイの前にあった仮宮や祭壇が片付けられ、総代によってシンメイに火が点けられる。火が点けられたシンメイは瞬く間に勢いよく燃え上がる。燃え上がったシンメイは、しばらくすると取り付けられている何本もの綱を操って海側に向かって倒される。倒れたシンメイに取り付けられていた綱は火の勢いを見ながらを取りはずされ、地区の人々は燃えているシンメイから飾りや御幣などを我先にとりあって家に持ち帰る。また燃えている火で餅などを焼いて食べると災難にあわないとか子どもは病気をしないといわれており、人々は持ってきた餅などをあぶって食べる。なお、かつては、シンメイを燃やした灰は田畑の虫除けに使ったという伝承もある。 我が国には、高い柱状の作り物を立てて火を点けて焼くサイノカミとかドンドン焼きなどと称される小正月の行事が各地で行われてきた。この行事もその一つで、現在2月11日に行われているが、かつては1月15日に行われていた。この火で餅を焼いて食べると災厄にあわないとか、灰は田畑の虫除けになるなどといった伝承は、各地に伝わる同種の行事と共通している。 また、東西2本のシンメイを立てて東西対抗で行われオコシタテの早さを競ったという伝承もあり、東西対抗の要素もみられた。さらにこの行事が地区の若者の若連からの脱退の儀礼が行われる場ともなっているという特色もある。 これまで同種の行事では東北日本や中国地方日本海側の行事が注目され指定されてきたが、本件は中国地方瀬戸内海側における行事として注目されるものである。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)