国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
三戸のオショロ流し
ふりがな
:
みとのおしょろながし
三戸のオショロ流し
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月16日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
455
指定年月日
:
2011.03.09(平成23.03.09)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
神奈川県
所在地
:
三浦市初声町三戸
保護団体名
:
三戸お精霊流し保存会
三戸のオショロ流し
解説文:
詳細解説
この行事は、三浦市初声町三戸に伝承される盆の精霊送りの行事で、毎年8月16日早朝に、華やかに飾り付けられたオショロブネ(精霊船)と呼ばれる大きな藁船を海岸で作り、子どもたちが沖まで泳ぎながら船を曳いて行き、先祖の霊を海の彼方に送るものである。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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三戸のオショロ流し
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三戸のオショロ流し
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三戸のオショロ流し
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解説文
この行事は、三浦市初声町三戸に伝承される盆の精霊送りの行事で、毎年8月16日早朝に、華やかに飾り付けられたオショロブネ(精霊船)と呼ばれる大きな藁船を海岸で作り、子どもたちが沖まで泳ぎながら船を曳いて行き、先祖の霊を海の彼方に送るものである。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
三戸のオショロ流しは、神奈川県三浦市初声町三戸に伝承される盆の精霊送りの行事で、毎年8月16日早朝に、華やかに飾り付けられたオショロブネ(精霊船)と呼ばれる大きな藁船を海岸で作り、子どもたちが沖まで泳ぎながら船を曳いて行き、先祖の霊を海の彼方に送るものである。 三浦市初声町は、三浦半島の南西部に位置し、畑作を中心とする農業と漁業を生業としてきた地域である。オショロ流しが伝承される三戸地区は、相模湾に面した集落で、海岸にそって北から神田、北、上、谷戸の4つの地区がある。自治会組織のうえでは、上と谷戸が1つの単位となって谷戸上として活動しており、オショロ流しは、この3つの地区ごとに藁船を製作して行われる。 三戸では、盆は月遅れで行われ、8月13日から16日の期間である。オショロ流しは、13日に各家が盆棚を設えて、オショロサマと呼ばれる一対の円筒形の飾り物を供物とともに供え、迎えた先祖の霊を16日早朝、三戸海岸から集団で送り出すもので、セイトッコと呼ばれる子ども組によって伝えられてきた。現在は、3地区の区長と三戸全体を統括する大区長を中心に保存会が組織され、大人の主導のもと、セイトッコを中心に行事が伝承されている。 セイトッコは、小学校1年生から中学校3年生までの男子で構成される年齢集団で、地区ごとに組織されている。三戸は、コワカイシュウ、シュクロウ、セワニンなどと呼ばれる年齢階梯の制度が続けられてきた地域で、セイトッコはこれらの年齢集団のもっとも下に位置づけられる。7年に1度、元服式と呼ばれる儀礼が地区で行われ、これを済ますと次のコワカイシュウに仲間入りするが、それまではセイトッコとしてこの行事に参加する。 オショロ流しでは、セイトッコのなかでも、最年長の子どもが大将あるいは親方と呼ばれて行事の中心的な役割を担う。また、セイトッコに加入している子どもの家々が1年交替の輪番制で、行事の当番となるヤド(宿)をつとめる。ヤドとなった家では、食事を用意するなど子どもたちの世話をしたり、子どもたちが集まって船につける飾りや五色のセガキバタ(施餓鬼旗)を作ったりする。昭和30年代までは、浜小屋と呼ばれる簡素な小屋を海岸に作り、盆の期間はセイトッコがそこで寝泊まりをしていたというが、現在でも谷戸上では、地区の集会所を利用して、盆の1週間ほど前から子どもたちが寝食を共にし、行事の準備をしたり、遊んだりして過ごす。 8月16日は、深夜から明け方にかけて、セイトッコはそれぞれの地区にある寺院で、墓に供えられた盆の供物を集める。三戸には3つの浄土宗寺院があり、谷戸上では光照寺、北では霊川寺、神田では福泉寺にセイトッコがそれぞれ集合し、ミソハギなどの盆花、サトイモやホオズキ、ササゲ、トウモロコシ、賽の目に切ったナスなどの供物を集め、リヤカーなどに積んで三戸海岸へ運ぶ。 早朝になると、セイトッコは、「オショロサマ、コシテ、ケーヤッセ」(オショロブネをこしらえてください)と大きな声を出しながら地区内を歩き回り、大人たちにオショロ船の製作をはじめるよう合図する。このときに大将は、セイトッコ1人ずつに対し、順番に大きな声を出すよう指示し、声が小さいと何度もやり直しさせる。 午前6時頃になると、セイトッコの男親を中心に大人たちが三浦海岸に集まり、セイトッコも手伝いながら、オショロブネの製作に取り掛かる。オショロブネは、地区によって形態に若干の差異があるが、全長5~7㍍ほどの大きさで、麦藁と竹を主な材料として作られる。船は、竹で骨組みを作り、麦藁を縄で縛り付けて船体を整えた後、セイトッコが予め用意しておいた様々な色の花飾りや折り紙などを付けて作る。また、セガキバタは船の周囲に差し立てる。 船の製作が始まる頃になると、地区の家々では、盆棚を片付け、オショロサマや供物を持って浜に向かう。三浦海岸に着くと、オショロブネの近くの砂浜にオショロサマと供物を並べ、線香を供えて手を合わせる。そして、船が出来上がると、セイトッコが墓から集めた供物や地区の人々が持ってきた供物を船に乗せる。オショロサマは、1本の竹に何体も繋げるように差して船の舳先などに飾り、笹に結びつけた五色旗や新盆の家が持参した提灯は、船の中央に差し立てる。 こうして飾り付けが終わると、午前8時を目処に各地区のオショロブネが海に出される。船の出発時には、谷戸上では光照寺、神田では福泉寺の僧侶が鉦を鳴らして読経する。その後、セイトッコが海に入り、大勢の人たちに見送られながら3艘のオショロブネが沖に向けて出発する。船の舳先には、船板と呼ばれる板が海に入るセイトッコの人数分だけ縄で取り付けられており、子どもたちはこの船板につかまり、横一列になって泳ぎながら、沖を目指してゆっくりと船を曳いていく。オショロブネには、セイトッコの男親たちを乗せた2艘の船が少し離れて併走する。 セイトッコは、オショロ船がある程度沖まで進むと、付き添いの船に乗り込み、オショロブネはもう1艘の付き船が回収して縄で括り付け、浜へ曳いて戻る。オショロブネは、かつては西の方角に向けて沖に流し出していたが、現在は海岸へ引き上げて燃やすようになっている。 なお、オショロブネを流し終えると、谷戸上では、大将がヤドの神棚に祀られているオミシメサマを風呂に入れる。オミシメサマは、着物を着た小さな木像で、セイトッコが祀る神であり、子どもの守り神とも伝えられている。かつては、大将がオミシメサマを風呂に入れた後、無病息災を祈ってセイトッコが順番に風呂に入ったが、現在は、風呂場でオミシメサマの体を拭くだけになっている。その後、セイトッコはヤドや集会所に集まり、共同飲食をしてから解散となる。このオミシメサマは、オンベ焼きと呼ばれる正月行事が終了すると、次のヤドをつとめる家に御幣とともに引き渡される。 盆は、正月とともに、日本の年中行事を考える上で重要な節目にあたり、先祖の霊を迎え、送る行事が各地に伝承されている。そうした中で、この行事は、先祖の霊を船に託して送る、船流しの形態をとる盆行事の典型例と考えられるもので、大きな精霊船を用いた集団的な精霊送りの行事としても注目される事例である。 また、セイトッコと呼ばれる年齢集団によって行事が伝承されてきたことは地域的な特色であり、少子化が進むなかで、年齢階梯的な役割分担や年番制をとるヤドの慣行など伝統的な要素をよく残していて、我が国の年中行事や民間信仰を理解する上で重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)