国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
小菅の柱松行事
ふりがな
:
こすげのはしらまつぎょうじ
小菅の柱松行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:3年ごとの7月14日以後の直近の土、日曜日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事を含むこの地域の柱松行事は、平成17年2月21日に北信濃の柱松行事として記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
指定証書番号
:
456
指定年月日
:
2011.03.09(平成23.03.09)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
長野県
所在地
:
飯山市
保護団体名
:
小菅柱松保存会
小菅の柱松行事
解説文:
詳細解説
この行事は、飯山市瑞穂の小菅地区で行われる小菅神社の例大祭で、五穀豊穣や天下太平を祈願して行われる。前夜の夜宮、例大祭当日の本祭、例祭行列、里社行列、柱松行列、柱松行事で構成され、中でも柱松行事は、上下に分かれた若衆が柱松頂部の尾花への点火の早さを競って天下太平、五穀豊穣を祈願するものである。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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小菅の柱松行事
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小菅の柱松行事
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解説文
この行事は、飯山市瑞穂の小菅地区で行われる小菅神社の例大祭で、五穀豊穣や天下太平を祈願して行われる。前夜の夜宮、例大祭当日の本祭、例祭行列、里社行列、柱松行列、柱松行事で構成され、中でも柱松行事は、上下に分かれた若衆が柱松頂部の尾花への点火の早さを競って天下太平、五穀豊穣を祈願するものである。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
小菅の柱松行事は、新潟県に近接する長野県北東部に位置する飯山市瑞穂の小菅地区で五穀豊穣や天下太平を祈願して行われる行事である。集落に祀られる小菅神社の例大祭で、3年ごとの7月14日以後の直近の土、日曜日に行われる。 この行事は地区の中心部にある旧大聖院講堂前の広場を中心に行われる。行事の起源については不明であるが、16世紀には行われていたといわれている。例大祭は、前日の夜に行われる夜宮、例大祭当日の本祭、例祭行列、里社行列、柱松行列、柱松行事で構成される。 行事直前の日曜日には、小菅地区が中心になり東西(上と下ともいわれる)2本の柱松を立てる。柱松は、ソダと呼ぶ雑木の葉付きの枝をブドウヅルや縄で束ね、頂部に小菅の各家が祭りの前年や前々年に採って用意したススキを束ねた尾花を挿した高さ4㍍前後のものである。この柱松に使われるブドウヅルは近接する野沢温泉村の前坂が用意する。柱松作りは同じ飯山市内で小菅に隣接する針田、笹沢、関沢も関わるなど、複数の集落の参加によって行われる。 例大祭前日の午後には、旧大聖院護摩堂脇の滝で2人の松神子が禊ぎを行い、夕方には父親などや当番とともに小菅神社奥社に向かい一晩お籠りする。 夜には夜宮と呼ばれる行事が行われ、旧大聖院講堂から猿田彦を先頭に獅子やトウロウヅレ(灯籠連れ)と呼ばれる様々な神名などを記した灯籠などの行列が出発して里社に向かう。途中、社務所を経て里社鳥居下に着くと、参道を防ぐように張られた注連縄を猿田彦が切り落とす注連切りと呼ばれる行事が行われる。 例大祭当日の早朝には奥社に一晩お籠もりした松神子が旧大聖院護摩堂に下りてくる。午前中には旧大聖院護摩堂脇で若衆がブナの木片を燃やし、柱松に点火する火を受ける炭をつくる火口焼神事が行われ、柱松行事の準備が進められる。 その後、旧大聖院護摩堂から里社に向かって神職や松神子などの例祭行列が出発し、これが里社に着いて神事が済むと、猿田彦、青木持ち、神職などの里社行列が里社から旧大聖院講堂そばにある御旅所に向かって神輿とともに出発する。 この行列が御旅所に着くと、旧大聖院護摩堂から、里社から戻った松神子を加えた榊、尾花、火口、松太鼓、若衆などの柱松行列が旧大聖院講堂に向かって出発する。 行列が旧大聖院講堂に着くとすぐに、松榊(かつらカツラの木)、尾花、火打ち箱をもった若衆が柱松に登り所定の位置に据え付けて準備を整える。 柱松行列が御旅所に着いて神事が行われると、松神子、若衆とナカトリ(仲取)とも呼ばれる山姥が旧大聖院講堂前に並ぶ。そして、くねり山伏ともいわれる松太鼓役の者が講堂前の広場にある松石の上に乗り、手に持った太鼓を、何度かから打ちした後に打つと、その太鼓の音を合図に、上、下それぞれの若衆が松神子を抱きかかえて柱松へ走って行き、先を競ってよじ登り、柱松頂部にさされた尾花への点火の早さを競いあう。 尾花に火が着くと若衆は松神子を抱きかかえて急いで柱松を降り松神子を抱えて集落のやや上手にあるジョウドバと呼ばれる場所にある休石に走っていく。若衆に抱えられた松神子が先に休石に着いた方が勝ちとされ、上が勝つと天下太平、下が勝つと五穀豊穣になるといわれている。 松神子が降りるとすぐに柱松は支えていたブドウヅルがはずされて倒される。倒された柱松の尾花や松榊、あるいはソダなどは見物人が奪い合って取りあい、家に持ち帰る。これは畑の虫除けになるといわれ、持ち帰った尾花や松榊、ソダなどを畑にさすと作物が害虫の害を受けずにすむといわれている。 柱松の行事が済むと、里社の神輿が御旅所から里社に戻り神輿殿に納められ行事は終了する。 この行事は、本来田植え終了後の時期に行われていた行事で、五穀豊穣を占い、豊作をもたらしてくれるものとして柱松にさされた尾花や松榊、ソダなどを奪い合って持ち帰り、畑の害虫よけにするなど、豊作祈願としての性格が強くうかがえる行事である。また、山に籠もり柱松に点火する役割が子供によって担われている点にも地域的特色がうかがえる。 このように柱松を立てる行事は、年占、祖霊の送り迎えなどの要素を持って日本各地に点々と存在していることが知られているが、その中でも本行事は五穀豊穣、天下太平を祈願する性格が強く認められ、祖霊迎えの要素はあまり見られない。 以上のことから、この行事は、我が国の柱松行事の分布や性格を考える上で重要なものである。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)