国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
江包・大西の御綱
ふりがな
:
えつつみ・おおにしのおつな
江包・大西の御綱
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月11日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
462
指定年月日
:
2012.03.08(平成24.03.08)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
奈良県
所在地
:
保護団体名
:
江包・大西の御綱祭り保存会
江包・大西の御綱
解説文:
詳細解説
本件は、奈良県桜井市の大西と江包で行われる豊作と子授け祈願の行事である。江包が男綱、大西が女綱を作る。次いで御綱かけが行われ、女綱が市杵島神社を出発して区内を巡りながら江包の素盞鳴神社にむかう。女綱が素盞鳴神社に着くと、男綱も素盞鳴神社に向かう。男綱が素盞鳴神社に着くと、女綱と合体させて鳥居そばの榎の木につるして、双方が手打ちをして式を行う。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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江包・大西の御綱
江包・大西の御綱
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江包・大西の御綱
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江包・大西の御綱
解説文
本件は、奈良県桜井市の大西と江包で行われる豊作と子授け祈願の行事である。江包が男綱、大西が女綱を作る。次いで御綱かけが行われ、女綱が市杵島神社を出発して区内を巡りながら江包の素盞鳴神社にむかう。女綱が素盞鳴神社に着くと、男綱も素盞鳴神社に向かう。男綱が素盞鳴神社に着くと、女綱と合体させて鳥居そばの榎の木につるして、双方が手打ちをして式を行う。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
江包・大西の御綱は、奈良県中部の奈良盆地東南に位置する奈良県桜井市の江包地区と大西地区に伝承される習俗である。年頭に当たって五穀豊穣と子孫繁栄を祈願する行事であり、集落に降りかかる災厄を消除することを目的に行われる行事の一つで、2月11日に両区の合同で行われる。 両区は初瀬川をはさんで北と南に向かい合っている。江包区が男綱、大西区が女綱をつくって両区の境付近にある素盞嗚神社に持ち寄って両綱を合体させて吊す行事で、五穀豊穣と子孫繁栄の行事であるといわれている。 この行事の起源については、昔、大出水があって神様が上流から流れてきたときに、大西は稲田姫、江包は素盞嗚尊を救い上げて祀り、この二神が年に1度正月に結婚すると伝承されている。この伝承があるため、江包と大西は昔から縁組みをしないといわれている。 この行事はもとは旧暦1月10日に行われてきたが、近年は2月11日に行うようになっている。 行事前の2月9日には江包で男綱作りが行われる。区内の50戸ほどの家から1人ずつ参加し、区の中央に位置する春日神社で行われ、各家は藁1束、区長、副区長、区議員の役員は2束ずつ持ち寄る。これに加えて、前年に嫁をもらったり、家を建てるなど祝い事があった家や農家組合に加盟している家は余計に持ち寄るなどして使う藁が集められる。藁は全部で80束から100束必要とされ、藁が足りないときは奈良盆地周辺の山間部の村から買い求める。男綱は最初、10束ぐらいを芯にしてくくり、これにさらに藁をくくりつけながら太くしていき、5巻から7巻ほどくくる。これを綱の頭にしてこれに長さ30mから40mの長さの尾をつけ、重さ600㎏前後の綱を作る。綱が完成すると行事当日の11日までその場に祀っておく。 大西の女綱作りは2月10日に区内の90戸ほどの家から1人ずつ参加し、区の中に祀られている市杵島神社に合祀されている御綱神社の前の小屋で行われる。藁は以前は各家から持ち寄ったが、現在は役員が区所有の田から藁を入手している。また、周辺の山間部から買っていたこともある。女綱は太い三つ縄をあわせて1本に綯ってゆく。綯った縄の先端部を二つ折りにして更に縄を巻き、横の長さ約5m、縦の長さも5mほどの舟形の頭部を作る。これに100mもの尾をつけて重さ600㎏前後の女綱が完成する。この女綱を尾を下にして巻いてゆき、最後に頭をアキノカタと呼ばれる恵方に向けて吊し、行事当日まで置いておく。この巻いた綱が崩れると洪水があるといわれている。 男綱作りも女綱作りも忌みのかかっている者は参加できない決まりであり、綱作りには参加しない。 2月11日に行事が行われる。大西では御綱神社の前で祭りを行い女綱をかつぎ出す。この女綱を先導するのは、世襲でナコウドを務める大西在住の喜田氏の当主である。女綱は区内を進み、途中で結婚や家の新築など、祝い事のあった家々をまわり、祝いをする。区内のはずれに近い初瀬川沿いまで来ると女綱を田の中に下ろし、女綱をまるく土俵のように広げてからかついできた人たちが泥田の中で相撲を取る。この時泥がつけばつくほどその年は豊作になるといわれている。 相撲が終わると再び女綱をかついで出発し、江包の素盞嗚神社に向かう。素盞嗚神社に到着するとナコウドの喜田氏が江包の春日神社まで使いに立つ。この使いを七回半の使いといい、素盞嗚神社から春日神社まで七回半呼び使いに行くものとされている。この七回半の使いが出ている間に、大西ではかついできた女綱を素盞嗚神社の社前にある古木にくくりつけ、女綱の舟形の部分を広げて江包の男綱が到着するのを待つ。 江包の男綱は大西からの七回半の使いが来る前に春日神社を出発し、区の東側にある池の堤に向かい、そこから区の南側を通って相撲を取る相撲場と呼ばれている田まで向かう。途中区内で結婚や家の新築など祝い事のあった家をまわって祝いをする。田につくと男綱をおろし、かついできた男達が泥田の中で相撲を取り始める。男達は泥だらけになるが、江包でも泥がつけばつくほど豊作になるといわれている。 七回半の使いを受けると江包では相撲を終わり、男綱をかついで素盞嗚神社に向かう。神社に男綱が着くと舟形部分を広げて待っていた女綱と合体させる入り船の儀式が行われる。男女の綱がしっかりと合体すると、両綱を鳥居近くの榎の木につるし上げる。両方の縄につけられている尾は、両方とも長く伸ばしてしばりつけて両方の綱が落ちないようにする。大西の女綱の尾は初瀬川に架かる橋の欄干を渡り、対岸にある榎の大木にしばりつけられる。 これがすむと、江包、大西の双方が手打ちをし、その後大西はナコウドの喜田氏と村役だけ、江包は全員が残って素盞嗚神社社殿で式を行う。式が終了すると、お下がりとして神饌のヒネリゴクにしてある洗米をもらって帰る。現在、江包ではこの洗米を雑煮に炊き込んでいるが、以前は苗代を作るときに、この洗米を水口に播くものであったと伝承されている。 我が国の年中行事には、年頭に当たってその年の豊作や安泰を祈願して行われる行事が数多くみられる。本件も年の初めに当たって行われる、一年間の豊穣を祈願し、集落に降りかかる災厄を消除することを目的とした行事である。近畿地方に分布する綱掛け行事の典型例の1つであり、我が国における年頭に当たって行われる行事の特色や地域的分布を考える上で重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)