国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
坂越の船祭
ふりがな
:
さこしのふなまつり
坂越の船祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年10月第二土、日曜日(宵宮、本宮)(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は、平成4年2月25日に坂越の船祭りとして記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されています。
指定証書番号
:
463
指定年月日
:
2012.03.08(平成24.03.08)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
兵庫県
所在地
:
保護団体名
:
坂越の船渡御祭保存会
坂越の船祭
解説文:
詳細解説
本件は、兵庫県赤穂市坂越にある大避神社の祭礼で、神輿船を中心とする数多くの木造和船からなる船団が行列を組んで海上を巡行する大規模な船渡御祭である。10月中旬に行われる本宮には、櫂伝馬を先頭に、天幕や五色の吹流し、幟などで飾られた、獅子船、5艘の頭人船(五番頭人船から一番頭人船)、楽船、神輿船、歌船から成る一大船団が、東之浜から坂越湾に浮かぶ生島まで、坂越湾内を巡行する。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
坂越の船祭
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坂越の船祭
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坂越の船祭
解説文
本件は、兵庫県赤穂市坂越にある大避神社の祭礼で、神輿船を中心とする数多くの木造和船からなる船団が行列を組んで海上を巡行する大規模な船渡御祭である。10月中旬に行われる本宮には、櫂伝馬を先頭に、天幕や五色の吹流し、幟などで飾られた、獅子船、5艘の頭人船(五番頭人船から一番頭人船)、楽船、神輿船、歌船から成る一大船団が、東之浜から坂越湾に浮かぶ生島まで、坂越湾内を巡行する。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
坂越の船祭は、兵庫県赤穂市坂越にある大避神社の祭礼で、神輿船を中心とする祭礼船が船団を組んで海上を渡御する大規模な船渡御祭である。十月中旬に行われる本宮には、櫂伝馬に曳航され、天幕や五色の吹き流し、幟などをつけた優雅な船団が東之浜と坂越湾に浮かぶ生島の間を巡行する。 赤穂市坂越は、瀬戸内海の東部、播磨灘にある坂越浦に古くから開けた港町で、近世には廻船業の拠点として栄えたところである。坂越には、聖徳太子に仕えた秦河勝が蘇我入鹿の難を逃れて来浦したという伝承があり、 この秦河勝を祭神として祀るのが当地の産土神である大避神社である。生島は、原生林の生い茂る周囲約二キロメートルほどの小さな島で、河勝が漂着した場所と伝えられており、聖地として普段は立ち入りが禁止されている。船祭りは、この島に設けられた御旅所への神幸を中心に坂越湾を舞台として行われる。 この祭りは、坂越浦の経済的な発展とともに伝承されてきたもので、近世の史料にはすでに現行の船祭りの基本的な形態がうかがわれる。当地に残る『奥藤家文書』のうち、坂越村から赤穂藩に祭礼の執行を願い出た享保11(1726)年の「祭礼行烈覚」には、神輿船をはじめとする船列の構成が記されており、弘化2(1845)年に作られた『大避神社祭礼絵巻』には、華麗な各船とともに海上渡御の様子が克明に描かれている。 祭日は、秦河勝が生島に漂着した日とされる9月12日が本宮であったが、現在は10の第二日曜日となっている。 祭祀組織は、小島、潮見町、東之町、本町、北之町、西之町、大泊、鳥井、上高谷、下高谷の10町を氏子とし、祭りの進行を差配する大避神社の総代会をはじめ、社家(奥藤・登根・井筒の三家)、頭人、神役、櫂伝馬(漕船組)、歌船組、獅子組などの役がある。なかでも、船祭りにおいて中心的な役割を担うのが頭人である。頭人は、神輿に供奉して祭事に関わり、船渡御では頭人船に乗り込んで神輿船の先を進む。その数は、一番頭から五番頭までの5人で、9月12日の頭差祭で頭人を出すえ5つの町が決められる。頭人の出る町では、集会所や自宅を頭人宿とし、高張提灯や傘、風鈴などを頭人飾りと称して飾り付ける。また、頭人には警護と呼ばれる5、6名の男性が補佐役として付く。警固は、各町内で頭人と同じ班の男性たちがつとめる。神役は、神輿の担ぎ手で、頭人の出る5つの町内から2名ずつが選ばれる。櫂伝馬は、船団を先導する2艘の船の漕ぎ手で、坂越湾に面する4町(小島、潮見町、東之町、西之町)が輪番で担当する。歌船組は、御船歌の歌唱と海上の警固を役割とし、西之町の福田家とその縁者が代々つとめている。獅子組は、上高谷が担当し、神輿の出立ちなど行事の節目で獅子舞を奉納する。このほかに、楽船に乗って雅楽を演奏する楽人と呼ばれる役があるが、現在は、特別な年に限って奏楽する形になっている。 祭りの準備は、1週間ほど前の船おろしからはじまる。生島にある船倉から船を曳き出して海に下ろし、次いで神社が保管する祭礼用具が各役に受け渡され、準備が進められる。 宵宮は、獅子組が神社に参拝してお祓いを受けてから、大避神社の社殿で例祭の祭事が行われる。次いで、磯洗いと称して、歌船組を乗せた船が坂越湾内を一周し、海上渡御の経路を清めて回る。また、宵宮と本宮の午前中には、ハナトリと呼ばれる櫂伝馬による船競漕が奉納される。紅組、黄組の2艘の櫂伝馬がハナと呼ばれる浜に立てた笹竹を目指して、沖からの漕ぐ速さを何度も競い合う。その後、夕方から宵宮祭となる。宵宮祭には、烏帽子を被り、直垂で正装した五人の頭人が高張提灯を先頭に警固に付き添われながら、それぞれの頭人宿を出発し、行列を組んで神社に向かう。これを頭人練りという。頭人の一行は、ゆっくりと時間をかけ、名乗りを上げながら参道を悠然と歩み、途中で他町の一行と出会うと頭人の立派さを競って即興の掛け合いとなる。一行が神社に着くと、頭人は拝殿に上がり、一番頭から五番頭まで決められた座について祭事が執り行われる。 翌日の本宮は、早朝から各町の頭人船が天幕や幟などで飾り付けられ、一方、櫂伝馬の男性たちは、ハナトリが終わると神社に参拝する。昼頃からは、頭人をはじめとする諸役が神社に集まって祭事を行い、それが終わると、五人の頭人と神輿を中心に行列を組んで東之浜に向かう。東之浜では、一行が到着すると、沖に待機していた二艘の櫂伝馬が浜に漕ぎ着け、漕ぎ手の若者たちがバタカケを行う。バタカケとは、船渡御前の一種の余興で、神輿船に掛けるバタイタと呼ばれる7枚の板を使い、高く差し上げて数名がその上で踊ったり、垂直に立ててよじ登ったり、また、板ごと観衆に突き進んだりするなど種々の演技をみせる。バタカケが終わると神輿が船に移され、各役がそれぞれの船に乗り込み、生島に向けて船団が出発する。 船渡御は、二艘の櫂伝馬を先頭に、獅子船、五番頭人船、四番頭人船、三番頭人船、二番頭人船、一番頭人船、楽船、神輿船、歌船の順番で東之浜を出発する。船団は、浜を出ると湾内を大きく左回りに進み、生島の御旅所を目指す。頭人船は、御旅所で神輿を迎えるために途中で船団を離れ、一足先に生島に上陸する。残りの船団が島に着くと、頭人たちが出迎えるなか神輿が御旅所の堂内に納められる。その後、夕方には再び神輿が神輿船に移されて還御となる。頭人たちは、神輿を迎えるために対岸の潮見之浜に着いてから陸路で東之浜へと向かい、一方、船団は、浜沿いに大きく湾を迂回し、日が沈み、篝火が海岸で次々と焚かれるなか東之浜に向かう。船団は浜に着くと、一行は下船し、再び行列を組んで神社に戻り、祭りは終了となる。 なお、坂越では、船檀尻と呼ばれ、海上に船を並べて舞台を築き、獅子舞などを奉納する行事が昭和23年以来途絶えていたが、本町所有の船檀尻の部材が発見されたことを契機に、平成21年の祭礼で約60年ぶりに復活している。 坂越浦の海運業の発達とともに伝承されてきた祭礼であり、華やかに飾られた数多くの祭礼船が登場する盛大な船渡御祭は、海上の御旅所に神輿を載せた船団が曳航する船祭の典型例と考えられるものである。兵庫県下においては、大規模な船祭りの唯一の伝承例であり、また、瀬戸内海を代表する伝統的な船祭りとしても注目される祭りである。 また、櫂伝馬による船競漕や漕ぎ手によるバタカケなど船に関わる多彩な構成要素がみられるとともに、頭人と呼ばれる特色ある祭祀組織が維持されているなど地域的特色も顕著で、我が国の祭礼やその変遷を理解する上で重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)