国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
呼子の大綱引き
ふりがな
:
よぶこのおおつなひき
呼子の大綱引き
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
娯楽・競技
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年6月第一土曜日とその翌日の日曜日(指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※本件は平成15年2月20日に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
指定証書番号
:
466
指定年月日
:
2013.03.12(平成25.03.12)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
佐賀県
所在地
:
保護団体名
:
呼子大綱引振興会
呼子の大綱引き
解説文:
詳細解説
本件は、佐賀県唐津市呼子町で毎年6月第一土・日曜日に行われる。呼子の集落がサキカタ(浜組)とウラカタ(岡組)に分かれて綱を引き合って漁と農作物の豊凶を占い、サキカタが勝てば豊漁、ウラカタが勝てば豊作になるといわれている。
初日には綱の中心部であるミトを作る作業が行われ、2日目は、地区に祀られている三神社の前を中心にして大綱引きが行われる。綱引きに先立って午前中はワッカシ(若衆)が銅鑼を叩きながら各地区をまわる。寄付をもらった家や、初節供を迎えた家に立ち寄り、酒肴の接待を受けながら徐々に三神社の前に向かう。午後、三神社前にミトが来るように置かれた大綱を銅鑼で囃したてながら引き合い勝ち負けを決める行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
呼子の大綱引き
呼子の大綱引き
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呼子の大綱引き
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呼子の大綱引き
解説文
本件は、佐賀県唐津市呼子町で毎年6月第一土・日曜日に行われる。呼子の集落がサキカタ(浜組)とウラカタ(岡組)に分かれて綱を引き合って漁と農作物の豊凶を占い、サキカタが勝てば豊漁、ウラカタが勝てば豊作になるといわれている。 初日には綱の中心部であるミトを作る作業が行われ、2日目は、地区に祀られている三神社の前を中心にして大綱引きが行われる。綱引きに先立って午前中はワッカシ(若衆)が銅鑼を叩きながら各地区をまわる。寄付をもらった家や、初節供を迎えた家に立ち寄り、酒肴の接待を受けながら徐々に三神社の前に向かう。午後、三神社前にミトが来るように置かれた大綱を銅鑼で囃したてながら引き合い勝ち負けを決める行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
呼子の大綱引きは、佐賀県北西部の玄界灘に面する唐津市の呼子町に伝承される綱引き行事である。古くは旧暦五月節供に行われていたが、昭和49年以来6月の第一土曜日とその翌日の日曜日に行われるようになった。 呼子町は平成17年1月に同じ東松浦郡の6町村とともに唐津市と合併した。唐津市になるまでは東松浦郡呼子町であった。 綱引きは、サキカタ(浜組ともいう)とウラカタ(岡組ともいう)の2つに分かれて呼子町の中心部の路上で行われる。綱引きは3回行われ、その勝敗によって漁と農作物の豊凶が占われる。先に2回勝った方が勝ちとされ、サキカタが勝つと豊漁、ウラカタが勝つと豊作になるといわれており年占の性格を持っていることがうかがわれる。 綱引きの始まりについては、地元ではいくつかの伝説が語り継がれている。よく知られているのが豊臣秀吉の朝鮮出兵にまつわる伝説で、「昔太閤秀吉が、名護屋城在陣の際に将兵や町民の士気を鼓舞するため、将兵に軍船のとも綱を引かせたことに由来する」という伝承である。この伝承はいくつかの異なるものが伝えられており、その1つは「名護屋在陣中、軍船のイカリ綱を使って将兵の娯楽として始めた」と将兵の慰安のために始めたというもので、さらに「名護屋城駐留のみぎり旅情をなぐさめてはじまった」と住民が秀吉の慰撫を目的として始めたというものもありさまざまな伝承が伝えられている。いずれも秀吉の朝鮮出兵と結びつけて起源が語られていることは共通している。 大綱引きは、サキカタとウラカタに分かれて行われ、サキカタは呼子町の先方町、海士町、釣町、小倉町、中町、宮ノ町の六地区、ウラカタが天満町、松浦町、川端町、愛宕町、殿ノ浦岡・殿ノ浦西・殿ノ浦浜がひとつにまとまった殿ノ浦の5地区あわせて11地区によって行われる。大綱引きの前にはワッカシ(若衆)と呼ばれる成年男子によって準備が行われる。ワッカシは学校を卒業してから40歳ぐらいまでの男性をいうが、近年は人口減少もあり50歳ぐらいまで参加する人もいる。ワッカシはまた大綱引きの中心となる引き手でもある。 大綱引きの前日までに、綱引き用の麻製の綱や道路の曲がり角に立てるボングイ(棒杭)と呼ばれる棒を保管場所から運び出す作業、綱の中心部になるミトと呼ばれる部分を作る作業が行われる。現在では、大綱引きのミトは宮ノ町のワッカシが担当して作っているが、平成14年までは天満町と宮ノ町が共同で製作していた。それ以前の昭和20年代までは天満町が主体となりそれを宮ノ町が手伝う形だった。その後、天満町のワッカシが減少し徐々にミト作りの主体が宮ノ町に移って、平成15年からは宮ノ町単独でミト作りを担当するようになった。ミトは藁や莚などで作る。大綱2本をつなぎ、結び目がはずれないように留め、結び目の両端をロープなどで固定する。これを莚8枚を縫い合わせその上に藁束を敷いたものの中央に置き、さらにその上に菖蒲をのせて藁束で覆い被せて莚で包みロープでしばる。以前はロープではなく藁縄を使っていた。この作業をさらに、莚12枚と16枚とを縫い合わせたものの上でそれぞれ繰り替えしてミトが完成する。ミトが完成すると大綱は呼子町の中心部に祀られる三神社の鳥居前の路上にミトが来るようにおかれる。ミト作りと並行して各地区のワッカシにより綱引きが行われる道路の曲がり角の中央部にボングイを立てる作業が行われる。ボングイは大綱引きが曲がりの多い町中の道を利用して行われるため、道沿いの家に綱がふれるのを防ぐために立てられる。また、大綱引きが始まると綱がボングイに強くこすりつけられて摩擦熱が発生するので、燃え上がらないように熱を下げるため頻繁に水がかけられる。このボングイは大綱引きの最中にワッカシがその上にのって指揮をとるのにも利用される。 なお、大綱引きの前日の土曜日には子ども綱と呼ばれる子どもによる綱引きが行われる。大人綱と同じようにサキカタとウラカタに分かれて行われるが、ミトは子ども綱用のものが用意され、おかれる位置が三神社前ではなく唐津市の呼子支所前である点が異なる。子ども綱のミトは中町のワッカシが担当して作っている。 大綱引きの日の午前中には呼子町内の各地区をそれぞれの地区のワッカシが銅鑼を叩きながら回って歩き、家々を訪問して酒や料理、つまみなどの接待を受け、お礼としてジャと呼ばれる竹の棒の先端に色紙や色布をつけたものを配ったりする。これを町廻りと称し、家々を訪問しながらミトのある三神社の鳥居の前に集まってくる。大綱引きの会場に着くとワッカシは大綱に枝綱を結びつける作業を行うなどして大綱引きの開始に備える。それらの準備を進めている間に正午頃になると初節供を迎える子どもを連れた親たちが集まってきて、子供をミトにのせてお祓いをうける行事が行われる。 この行事がすむと大綱引きが行われる。三神社前に置かれたミトを中心に両側にサキカタとウラカタにわかれて銅鑼で囃したてながら綱引きが始まる。サキカタとウラカタのそれぞれの人数は同人数でなくてもよいとされ、人数を数えることも行われない。片方の人数が多くても大綱引きはそのまま行われることになっている。勝敗の決定は大綱引き終了時のミトの位置で判断するが、ミトが一方に大きく引かれてしまった時にはその時点で勝敗が決することになっている。 本件は、5月5日の節供に当たって行われる、漁と農作物の豊凶を占い、初節供を迎える子供の無事成長を祈願して行われる菖蒲綱と呼ばれる綱引き行事であり、九州地方には他に現存する類似の行事の存在が知られていない行事である。 我が国の綱引き行事は全国的に分布するが、それらは行われる時期などから年頭の小正月の頃、五月節供の頃、盆の頃、十五夜の頃などに大きく分けることができる。その多くがその年の豊作や豊漁を祈願して行われ、豊凶を占う年占行事としての性格を有している。呼子の大綱引きも本来五月節供に行われ、その年の漁と農作物の出来を占うことと初節供を迎える子どもの無事成長を祈願する行事である。 本件は日本における綱引きのうち、菖蒲綱と呼ばれる五月節供の頃に行われる綱引きの典型例の一つであり、九州地方における唯一の五月節供に行われる綱引きの例である。我が国における綱引き行事の性格や地域的分布を考える上で重要な行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)