国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
論田・熊無の藤箕製作技術
ふりがな
:
ろんでん・くまなしのふじみせいさくぎじゅつ
論田・熊無の藤箕製作技術
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種別1
:
民俗技術
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
指定証書番号
:
465
指定年月日
:
2013.03.12(平成25.03.12)
追加年月日
:
指定基準1
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
富山県
所在地
:
保護団体名
:
論田・熊無藤箕づくり技術保存会
論田・熊無の藤箕製作技術
解説文:
詳細解説
本件は、富山県氷見市の西部、石川県との県境付近に位置する論田、熊無という隣り合う2つの集落に伝承されてきた箕を作る技術である。江戸時代中期より続くとされる技術で、製品は藤箕と称され、北陸一帯に売りさばかれてきた。
製作は、材料の採取・加工、ヒラミと呼ばれる平面状に編む工程、ヒラミを立体にして持ち手を取りつける工程の3工程に分けることができる。藤、矢竹を丁寧にござ目に編んでヒラミを作り、これにU字に曲げたニセアカシア(あるいは山漆)の枝を持ち手として取りつける。
丈夫な箕を作るために、ヒラミを編む工程で、幅の広いハバフジと幅の狭いヨセフジを交互に編んで編み目を密にしたり、ハバフジの裏に細い矢竹のひごを一緒に編んで形状を安定させたり、箕の先端に山桜の皮を編み込んだりするといった特徴的な技術もみられる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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論田・熊無の藤箕製作技術
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論田・熊無の藤箕製作技術
解説文
本件は、富山県氷見市の西部、石川県との県境付近に位置する論田、熊無という隣り合う2つの集落に伝承されてきた箕を作る技術である。江戸時代中期より続くとされる技術で、製品は藤箕と称され、北陸一帯に売りさばかれてきた。 製作は、材料の採取・加工、ヒラミと呼ばれる平面状に編む工程、ヒラミを立体にして持ち手を取りつける工程の3工程に分けることができる。藤、矢竹を丁寧にござ目に編んでヒラミを作り、これにU字に曲げたニセアカシア(あるいは山漆)の枝を持ち手として取りつける。 丈夫な箕を作るために、ヒラミを編む工程で、幅の広いハバフジと幅の狭いヨセフジを交互に編んで編み目を密にしたり、ハバフジの裏に細い矢竹のひごを一緒に編んで形状を安定させたり、箕の先端に山桜の皮を編み込んだりするといった特徴的な技術もみられる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
論田・熊無の藤箕製作技術は、藤と矢竹をござ目に編み、持ち手にU字に曲げたニセアカシアあるいは山漆の枝を取りつけた、藤箕と呼ばれる箕を製作する技術である。 論田と熊無は、氷見市西部の山間部、石川県との県境付近に位置する隣り合った2つの集落である。稲作や畑作に従事してきた集落であるが、田畑が多くなかったこともあり、農閑期の藤箕製作も重要な生業であった。最盛期には、ほぼ全戸が藤箕製作に従事しており、稲作・畑作が副業といわれたことすらあった。 藤箕製作の起源については、600年ほど前に天台宗の僧が伝えた、あるいは蓮如上人より教わったなどという言い伝えがあり、江戸時代は箕を加賀藩に献上して材料の採取について保護を受けていたとも伝えられている。記録では、元禄4(1691)年の加賀藩の農閑期の産物調査の書上げ『農隙所作村々寄帳』に「箕仕申候 加納村兵左衛門組下 論田村」と記され、また文政5(1822)年の射水郡の産物書上げ『射水郡産物稲名等相調理書上申帳』にも「箕 八代組 論田村 同 熊無村」とあり、江戸時代には論田と熊無が箕の産地として知られていたことがわかる。明治時代になってからは、北陸一帯に知られるようになり、大正15年には「双光信用購買販売利用組合」を結成して集荷・販売を一手に行うようになった。昭和に入ってからは販路も北海道や朝鮮半島、中国東北部まで拡大し、昭和35年には年産132,000枚を記録した。その後、製作量は徐々に減少するが、昭和40年に「双光藤箕生産組合」を結成して縁起物の素材としての製作も始められた。現在は、穀物の運搬・選別用に農家に販売されるほか、ジャガイモの運搬・選別用に北海道に販売されたり、縁起物の素材として関西に販売されている。 藤箕には、大箕、中箕、小箕のほか、先端がややすぼまった水車箕、先端が広がっている長箕などがあり、大きさ・形状が若干異なるものの、いずれも製作技術は基本的に同じである。富山県や石川県には、論田や熊無から製作技術を習った、あるいは論田や熊無の職人が移住して藤箕を製作したと伝える集落もいくつかあり、いずれも箕が製作されてきたが、現在、職人はほとんどおらず、藤箕も製作されていない。 藤箕の製作工程は、大きく、材料の採取・加工、ヒラミと呼ばれる平面上のものを編む工程、ヒラミを立体にして持ち手を取りつける工程に分けることができる。 藤箕の材料は、藤、矢竹、山桜、ニセアカシア(あるいは山漆)である。藤は、箕の本体に編む藤と持ち手の取りつけに使う藤皮の二種ある。本体に編む藤は、十一月頃に近隣の山で採取し、長さ一メートル前後に切り揃える。使うときは、叩いて柔らかくし年輪に添って剥いで幅約3㎝のハバフジと幅約5㎜のヨセフジを用意する。持ち手の取りつけに使う藤の皮は、トイソーといい、6月頃に近隣の山で採取する。皮だけを剥いで持ち帰って一度煮てから乾燥させる。使うときは、湯に浸けて柔らかくする。矢竹は、11月に近隣や能登方面の山で採取し、1m前後に切り揃える。使うときは、箕包丁と呼ばれる長さ30㎝ほどの刃物で表皮を剥ぎ、縦に小割し、20日ほど乾燥させて幅約5㎜のひごにする。山桜は、9月頃に近隣の山から皮を採取する。ニセアカシアと山漆は、直径1㎝ほどのものを11月に採取し、U字に曲げて紐で固定して乾燥させておく。 ヒラミの製作は、緯糸にあたる矢竹のひごに、経糸としてハバフジ・ヨセフジを入れてござ目に編む作業を基本とし、左右半分ずつを順に製作していく。このとき、オサダケと呼ばれる各種の箕の寸法を記した幅約3㎝の真竹製の定規やミミダケと呼ばれる幅約1㎝の矢竹製の棒を用具として使用する。矢竹のひごに入れるハバフジとヨセフジは交互に入れることで編み目を密にし、ハバフジの裏には矢竹のひごをいっしょに入れて形状の安定を図る。また箕の先端部とオオズミと呼ぶ箕の立ち上がり部分には傷みにくいように山桜の皮をいっしょに入れる。これらを入れると、箕太刀と呼ばれる長さ1mほどの柿の木製の棒と箕包丁を用いて強く締める。途中、十数本のヤダケのひごについては1本おきに直角に折り曲げて網代状に編んで三角形にする。最後に余分な藤や矢竹を箕包丁で切り取ってヒラミができる。ヒラミは、中央部をオモハバ、両脇をカタ、手前部分をカタハバという。 ヒラミができあがると、次に三角形の部分をカタハバの内側に入れるようにしながらカタハバとカタを立ち上げ、U字に曲げたニセアカシアか山漆の枝2本をカタとカタハバを挟むようにして取りつける。取りつけには、箕とじ針と呼ばれる長さ20㎝もある針を使い、トイソーを巻きつけていく。まずカタの部分と持ち手にトイソーを巻きつけて固定し、次に三角形の部分とカタハバにトイソーを通して固定する。最後に両脇のカタハバと持ち手にトイソーを巻きつけて固定する。そして先端の余ったニセアカシアあるいはヤマウルシの枝を切り落として完成する。 我が国では古くから箕を穀物等の運搬・選別などの用具として広く用いてきた。我が国の箕は、材料には樹皮、竹類、フジなどの各地の自然環境に応じたものが用いられ、編み方も東日本のござ目編みと西日本の網代編みという地域的な違いがみられる。 本件は、東日本に広くみられる竹類と藤を利用したござ目編みの箕の製作技術の典型例の1つである。また、北陸を代表する箕の産地における技術であり、製品を丈夫なものとするため、幅の広いハバフジと幅の狭いヨセフジを交互に使用して編み目を密にしたり、ハバフジの裏に矢竹のひごを入れて形状の安定を図ったりといった地域的特色の豊かな技術も伝承されており、我が国における山野の植物を利用した編み組み技術、特に箕の製作技術を考えるうえで重要である。また、今日も需要に応じて一定量を製作しているうえ、保存会を結成して技術伝承や後継者育成等にも取り組んでいる。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)