国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
松例祭の大松明行事
ふりがな
:
しょうれいさいのおおたいまつぎょうじ
松例祭の大松明行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年12月31日、1月1日(指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
469
指定年月日
:
2014.03.10(平成26.03.10)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
山形県
所在地
:
保護団体名
:
松例祭保存会
松例祭の大松明行事
解説文:
詳細解説
本件は、山形県鶴岡市に鎮座する出羽三山神社で12月31日から1月1日にかけて行われる行事を中心とし、歳夜祭とも呼ばれる。この行事は羽黒修験の冬の峰の結願の行事として行われてきたもので、現在では手向地区の若者達によって担われている。
12月30日には手向地区の若者が神社に集まり「位上方」と「先途方」 に分かれて二本の大松明を作る「大松明まるき」が行われる。翌31日は手向地区の若者達によって「庭上」と呼ばれる神社境内や「補屋」と呼ばれる建物の中で、賜酒や綱さばきなどの儀礼が行われる。夜11時過ぎには庭上で上下に分かれた若者によって大松明引きが行われ、その勝ち負けと大松明の燃え具合によって翌年の豊作や豊漁を占う。この後、庭上では国分神事や新たな年の火をきり出す火の打替が行われて、新年を迎える行事が終了する。。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
松例祭の大松明行事
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松例祭の大松明行事
解説文
本件は、山形県鶴岡市に鎮座する出羽三山神社で12月31日から1月1日にかけて行われる行事を中心とし、歳夜祭とも呼ばれる。この行事は羽黒修験の冬の峰の結願の行事として行われてきたもので、現在では手向地区の若者達によって担われている。 12月30日には手向地区の若者が神社に集まり「位上方」と「先途方」 に分かれて二本の大松明を作る「大松明まるき」が行われる。翌31日は手向地区の若者達によって「庭上」と呼ばれる神社境内や「補屋」と呼ばれる建物の中で、賜酒や綱さばきなどの儀礼が行われる。夜11時過ぎには庭上で上下に分かれた若者によって大松明引きが行われ、その勝ち負けと大松明の燃え具合によって翌年の豊作や豊漁を占う。この後、庭上では国分神事や新たな年の火をきり出す火の打替が行われて、新年を迎える行事が終了する。。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
松例祭の大松明行事は、山形県庄内地方に位置して日本海に面する鶴岡市羽黒町に鎮座する出羽三山神社で、12月31日から1月1日に行われる大松明を上・下に分かれて引く行事や国分け、火の打ち替えそして烏跳び、兎跳ねの験較べなどを中心にした行事である。 出羽三山神社は羽黒山山頂にあり、大松明を引く行事は、山麓に所在する手向(とうげ)の若者たちが古墓町、桜小路、下長屋町、亀井町の上四町と鶴沢町、池ノ仲町、入江町、八日町の下四町の二手に分かれて行い、上が勝てば豊作、下が勝てば豊漁になるといわれている。また、上は位上方、下は先途方ともいわれる。 行事は手向の氏子を中心とする人々によって担われている。この行事は、かつては羽黒修験の冬の峰の行事として行われ、大松明行事はその結願(けちがん)の行事として行われてきたが、明治初めの修験道廃止以降は手向の若者たちによって担われている。中世にはすでに行われていたといわれるが、史料としては近世のものとされる『羽黒三山古実集覧記』の冬の峰の記録に松聖や大松明引きの記事が見え、また貞享4(1687)年成立といわれる『羽黒山年中行事』に松聖の修行と大晦日の行事が記されているのが知られている。 大松明行事は長い期間にわたって行われる行事の最後の行事である。最初に行われる行事は2人の松聖を決めることで、8月中旬までに手向の氏子の中から位上と先途2人の松聖が決定される。松聖は手向に住む出羽三山神社の氏子の中から生年月日の早い順に決定するとされており、手向の氏子の人たちは子供が生まれるとすぐに神社に届け出記帳することになっている。この帳簿を太業と呼んでいる。松聖が決まると9月24日には幣立祭が行われ、この日から大晦日まで松聖が潔斎に入りお籠もりをする。この潔斎の間12月30日までに行事の費用を集めるために手向や増川郷などの近郷や鶴岡市内などを勧進に回る松の勧進と呼ばれる行事が行われる。 松聖のお籠もりは神社の齋館で位上と先途が部屋を分けて行われる。それぞれの部屋の正面に神棚をもうけ、そこに藁で作った小さな苫屋を置く。入り口には鍬と鎌をつけ中には五穀を納めたものでこれを興屋聖と呼んでいる。2人の松聖は大松明引きの前には興屋聖とともに齋館を出て山頂の補屋に入る。ここで大松明行事が終了するまで背中合わせの形で滞在することになる。 12月30日には手向の上、下あわせて八町の若者たちによって大松明まるきが神社庭上の松明小屋で行われる。これには1,333束の藁を要するといわれ1ヶ月ほど前から準備を始めるといわれている。大松明はツツガムシを模したものといわれ、頭は四角で高さは2メートル余り、長さは7メートル余あり先が細くなっている。 翌日の31日に大松明行事の中心になる諸行事が行われる。午後2時頃になると大松明に結びつける綱の一部をまく綱撒きが行われる。これは信者達が奪い合って自宅に持ち帰るもので、厄除けや火防のまじないとして自宅の入口の上などに吊しておくものである。綱撒きが終わってしばらくすると若者達が補屋を出て上半身裸で大松明のまるき直しを行って元の半分ほどの大きさにする。このとき若者達はそれぞれ小松明を手に持って相手の仕事を邪魔しようと叩き合う。 大松明のまるき直しが終わると若者達は補屋に入り、たき火を囲んで綱さばきを始める。綱さばきは2本の大松明に結びつけられたそれぞれ4本ずつの内の追掛、外の追掛などと呼ばれる綱のどれを持つのかを決めるもので、上、下あわせて八町の若者の代表が酒を酌み交わしながら有利な綱をとろうと一時間ほど交渉を繰り広げるのである。この後、砂はき行事が行われ、大松明を立てる場所までの距離を確認して立てる穴を掘る。 神社の三神合祭殿では大松明を引く行事が始まる前に験較べの行事が行われる。位上方と先途方にわかれたそれぞれ6人ずつが1人ずつ烏の跳び上がる様をまねて飛び跳ねる。その後兎に扮した者が身振りで烏跳びの優劣を示して行事が終了する。 この験較べが終わると庭上では大松明引きが行われる。上と下に分かれて大松明を引いていって立ち上げ焼き払う。大松明を引き出してから立てるまでの早さと燃え具合で勝敗を競う。 新年を迎えると庭上では所司前、大目付、出役、法螺役、松打、役者などの諸役や、手向の各町若衆正副頭、正副カド持ちなどにより、全国を英彦山、熊野、羽黒の支配地に分ける国分けの行事が行われる。この行事が済むと火の打替の行事が行われる。この行事は新年にあたって新しい生命力のある清浄な火を切り出す儀礼であるといわれ、庭上に立てられて火がつけられた鏡松明から、4人の役者が手に持った松明に火をもらうと、火打ち金と火打ち石を手にした位上方、先途方各1人の松打が加わって火口を打ちながら鏡松明の周りを3周する。回り終わると火口を持ってカド持ちの所に行き、競って火口で新しい火を切り出し、早く火がついた方が勝ちとなる。この後、三神合祭殿で大松明引き、火の打ち替え行事の結果が報告され、上の位上方が勝ちと判断されれば豊作、下の先途方が勝ちと判断されれば豊漁になる。 一方、火の打ち替えの行事が終わるとカド持ちは松聖のいる補屋へ行き大松明引き、火の打ち替え行事の結果を報告する。結果を聞くと松聖は幣立祭以後の精進潔斎の間守り続けてきた興屋聖の中の五穀(米、麦、粟、稗、小豆)を取り出して補屋の土間に蒔いて補屋での行事も終了する。これらの行事がすべて済むと松例祭の関係者一同が斎館に集合して、にしの寿司といわれる精進落としの儀礼が行われる。最後に2人の松聖を自宅に送り届けて行事は終了する。(※解説は指定当時のものをもとにしています)