国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
生里のモモテ
ふりがな
:
なまりのももて
生里のモモテ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
娯楽・競技
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年旧暦2月1日に近い日曜日(指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
471
指定年月日
:
2014.03.10(平成26.03.10)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
香川県
所在地
:
保護団体名
:
生里ももて祭保存会
生里のモモテ
解説文:
詳細解説
本件は、香川県三豊市詫間町生里に伝承される弓射行事で、毎年旧暦2月1日に近い日曜日に行われる。地区の青年たちから選ばれた射手が氏神である三宝荒神宮の境内で競い合って矢を放ち、一年の大漁豊作や集落の安全などを祈願するとともに、厄年にあたる男女などの厄払いを行う。
行事の準備や運営は、トウヤ(頭屋)と呼ばれる10軒の家々が中心となって行う。トウヤの代表であるホンドウと射手には、浜での潮垢離など厳しい精進潔斎の儀礼が伴い、ホンドウによる甘酒の仕込み、ホンドウ宅でのトウヤゴモリの儀礼などが行事の前日までに行われる。
行事当日は、裃を身に着けた射手たちが、三宝荒神宮の境内で、飾り矢を奉納した後、大勢の観衆が見守る中、神の的、厄年の的(42歳、33歳、61歳)、鬼の的など各種の的を射貫く。弓射がすべて終わると、境内でトウヤワタシの儀礼があり、次の年のトウヤへの引き継ぎが行われる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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生里のモモテ
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生里のモモテ
解説文
本件は、香川県三豊市詫間町生里に伝承される弓射行事で、毎年旧暦2月1日に近い日曜日に行われる。地区の青年たちから選ばれた射手が氏神である三宝荒神宮の境内で競い合って矢を放ち、一年の大漁豊作や集落の安全などを祈願するとともに、厄年にあたる男女などの厄払いを行う。 行事の準備や運営は、トウヤ(頭屋)と呼ばれる10軒の家々が中心となって行う。トウヤの代表であるホンドウと射手には、浜での潮垢離など厳しい精進潔斎の儀礼が伴い、ホンドウによる甘酒の仕込み、ホンドウ宅でのトウヤゴモリの儀礼などが行事の前日までに行われる。 行事当日は、裃を身に着けた射手たちが、三宝荒神宮の境内で、飾り矢を奉納した後、大勢の観衆が見守る中、神の的、厄年の的(42歳、33歳、61歳)、鬼の的など各種の的を射貫く。弓射がすべて終わると、境内でトウヤワタシの儀礼があり、次の年のトウヤへの引き継ぎが行われる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
生里のモモテは、香川県三豊市詫間町生里に伝承される年頭の弓射行事である。地区の青年たちから選ばれた射手たちが氏神である三宝荒神宮の境内で競い合って矢を放ち、一年の大漁豊作や集落の安全などを祈願するとともに、厄年にあたる男女や新造船などの厄払いを行う。 詫間町生里は、西讃地方でも瀬戸内海に長く突き出た荘内半島の先端部に位置し、生里と仁老浜の二つの集落からなる。荘内七浦といわれた浦の一つで、戦後は山側の斜面を利用した花卉栽培が盛んに行われるようになったが、生業は古くから漁業を中心とする。 当地に伝承されるモモテは、百手あるいは百々手と表記され、その発生は定かではないが、当地に残る文書資料で、近親者の死や出産などに際して、行事に参加できない忌の期間や範囲を定めた宝暦14(1764)年の『荒神宮百手服忌令』や、行事の作法などを記した安永3(1774)年の『百手作法之事』などの記録から、近世中期には行われていたことがうかがわれる。祭日は、かつては旧暦2月1日であったが、現在は、旧暦2月1日に近い日曜日に改められている。 行事の準備や運営は、トウヤ(頭屋)と呼ばれる10軒の家々の主人たちが中心となって行う。年が改まると自治会長が中心となり、その年のトウヤとライトウ(翌年のトウヤ)が前記の服忌の規定にしたがって選ばれる。忌みのかかった家の主人は、『百々手頭指除帳』に書き上げられ、トウヤに不足等が生じた場合には、この帳面に記された人を古い順からあげていく。トウヤは、旧暦1月8日前後に行われる初寄合で、ライトウとともに顔合わせをする。初寄合は、トウヤが三宝荒神宮の境内に参集し、ホンドウと呼ばれるトウヤの代表を籤引きで決めた後、ホンドウ宅に移動し、行事の段取りや役職等を相談して決める。これ以後、的の材料となる竹の切り出しや境内に敷く砂の採取、道具類の準備などに取り掛かる。旧暦1月23日には、ホンドウを先頭にトウヤと厄年の男性たちが地区内にある神正院に二十三夜のお参りに行き、護摩祈祷を受ける。ホンドウは、この日から神前に供える甘酒を甕で仕込みはじめ、行事当日まで浜での潮垢離と三宝荒神宮への参詣を欠かさず行う。甘酒は、行事前日に口を切り、三宝荒神宮に供えるとともに、トウヤゴモリなどの際にトウヤや射手に振る舞われる。 射手は、オイテサンとも呼ばれ、生里と仁老浜の青年から選ばれる。射手の数は5名から10名で、それぞれの地区の射手の中で、長男で最年長の者がオヤジと呼ばれる射手の先頭となり、経験豊富で信望の厚い者がヤダイと呼ばれる射手全体の頭となる。射手を初めて経験する青年は、ヤブラキと呼ばれ、念入りな稽古が行われる。 行事の前日は、早朝からマトフミと呼ばれる的作りがトウヤと射手を中心に三宝荒神宮の境内で行われる。竹を編んで2メートルほどの楕円形に成形し、正面に紙を貼って的円を墨で描く。これが大的で、このほかに小的を作る。その後、射手は浜に向かい、海に入って潮垢離をとる。潮垢離が終わると、射手は浜に並べられた松の束を的にして予行的に弓を射る。この日の夜は、ホンドウ宅でトウヤゴモリの行事がある。ホンドウ宅の座敷に、ヤダイを上座にして射手衆が座り、膳が振る舞われる。食事が終わると、竹を芯にして稲藁の束を菰で巻いたマキワラを座敷の上座に立て、これを的にして、青竹の矢を用いた弓の稽古が行われる。次いで、トウヤたちが順番に弓の型を披露する。このときにわざと型を崩したり、間違った所作をして、ヤブラキにそれを指摘させる。トウヤはヤブラキが正しい指摘をするまで動作を止めていなければならないことから、これをコシイタという。この後、ホンドウはマキワラを正しく矢で射抜き、そして、矢を差したままのマキワラを背負って座敷の中を踊り歩いてから、庭先に作られたヒラバリと呼ばれる小屋に納める。かつては、射手衆がホンドウ宅に泊まったが、現在は、新参のヤブラキが唄を披露するなどの余興が続いてから解散となる。 行事の当日は、早朝からトウヤ一同が三宝荒神宮へ参り、供物を奉納する。境内では、射手が参集し、茣蓙や座布団などを敷いて的庭が設えられると弓射がはじまる。はじめに、ヤダイによる神前への飾り矢の奉納があり、神の的、厄払いの的、トウヤの三度弓、鬼の的の順で途中休憩を挟みながら夕方まで行われる。射手は、裃を着け、左肩半身を脱いだやや低い独特の体勢から矢を放つのが作法で、生里では小笠原古流の型であると伝えられている。的の用意と当たり矢の検分は、トウヤを務める中年層から選ばれたサイリョウニンが行う。矢の回収や合図の太鼓を打ち鳴らすヤビロイの役は、小学生など地区の子供が務める。 弓射は、生里の射手を上矢、仁老浜の射手を下矢と称し、上矢、下矢の順で行われる。矢を射る前には、サイリョウニンが潮をつけた榊の枝で射手と境内の的庭を清め、射手衆は横一列に並んで円を描くように的庭を回る。これはアミと呼ばれ、的庭を清める意味があるという。境内の山側の斜面は、ヤマと呼ばれる桟敷席となり、厄払いを受ける男女をはじめ、地区の人たちが大勢訪れ、矢が的に命中すると喝采が上がり、外れるとやじが飛ぶ。 神の的は、「千本通し」「神の矢千筋」とも称され、青竹にカワラケを数枚挿み、水引で結んだ的を射る儀礼で、「天照皇大神宮」をはじめ、31の神名が順番に読み上げられ、神ごとに的が立てられる。厄払いの的は、厄年の男女が用意してきた扇子の的を42歳、33歳、61歳の順番で射手が射る。年によっては、新造船や新築した家の厄払いも行われる。厄払いの的は、勝負とも呼ばれる競技性のある弓射で、矢が的に当たるとアテバナと呼ばれる祝儀がヤマから投げ込まれる。また、厄払いの的の途中では、サイリョウニンが願い事を書いた短冊付きの榎の枝を担ぎ、即興で滑稽な踊りを披露する。トウヤの三度弓は、トウヤがアテバナを用意する大的を用いた弓射で、射終わると厄年の男性たちが的に押し寄せ、これを倒すのが仕来りとなっている。最後に「鬼」の字が書かれた小的を厄年の男性たちが射抜く。こうしてすべての弓射が終了すると、トウヤとライトウが神前で向き合って並び、トウヤワタシの神酒を酌み交わして引き継ぎをする。(※解説は指定当時のものをもとにしています)