国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
阿万の風流大踊小踊
ふりがな
:
あまのふりゅうおおおどりこおどり
阿万の風流大踊小踊
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種別1
:
民俗芸能
種別2
:
風流
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年9月15日に近い日曜日(指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※本件は令和4年11月30日に「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている。
指定証書番号
:
指定年月日
:
2011.03.09(平成23.03.09)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)芸能の変遷の過程を示すもの
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
兵庫県
所在地
:
兵庫県南あわじ市阿万上町
保護団体名
:
阿万風流踊保存会
阿万の風流大踊小踊
解説文:
詳細解説
雨乞い踊り、百石踊りとも称され、本来は雨乞い祈願の時の踊りであったが、現在は毎年9月15日に近い日曜日、阿万上町に鎮座する亀岡八幡神社の秋季大祭において神社拝殿で踊られている。
大踊は、音頭取【おんどとり】による歌、拍子木、締太鼓の音楽にのせ、踊り手が2列横隊となり踊る。前列の踊りは前踊りといい、扇やチャッキラコと呼ぶ2本の細竹などを手に持ち、子どもが務める。後列の踊りは中踊りといい、大うちわを持って大人が踊る。室町時代末期から江戸時代初期にかけて流行した小歌と類似した歌詞が残され、また、ゆったりとした歌と踊りで、古風を残している。一方、小踊は、8名前後の踊り手が横1列に並んで踊る。元禄期以降に流行した歌の歌詞を取り入れて、大踊と比べ軽快な踊り振りをみせる。
本件は、大踊と小踊の2種類の踊りで構成されており、歌の歌詞や踊りぶり、音楽などの点から、大踊と小踊は発生の時期が異なると考えられる。このような異なる2種類の踊りが伝承され、正面からの観客を意識した隊形で演じられるところに芸能の変遷過程を示し、地域的特色がある。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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阿万の風流大踊小踊
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阿万の風流大踊小踊
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解説文
雨乞い踊り、百石踊りとも称され、本来は雨乞い祈願の時の踊りであったが、現在は毎年9月15日に近い日曜日、阿万上町に鎮座する亀岡八幡神社の秋季大祭において神社拝殿で踊られている。 大踊は、音頭取【おんどとり】による歌、拍子木、締太鼓の音楽にのせ、踊り手が2列横隊となり踊る。前列の踊りは前踊りといい、扇やチャッキラコと呼ぶ2本の細竹などを手に持ち、子どもが務める。後列の踊りは中踊りといい、大うちわを持って大人が踊る。室町時代末期から江戸時代初期にかけて流行した小歌と類似した歌詞が残され、また、ゆったりとした歌と踊りで、古風を残している。一方、小踊は、8名前後の踊り手が横1列に並んで踊る。元禄期以降に流行した歌の歌詞を取り入れて、大踊と比べ軽快な踊り振りをみせる。 本件は、大踊と小踊の2種類の踊りで構成されており、歌の歌詞や踊りぶり、音楽などの点から、大踊と小踊は発生の時期が異なると考えられる。このような異なる2種類の踊りが伝承され、正面からの観客を意識した隊形で演じられるところに芸能の変遷過程を示し、地域的特色がある。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
阿万の風流大踊小踊は、兵庫県南あわじ市阿万上町に伝承される風流で、大踊と小踊の二種類の踊りから成っている。本来は雨乞い祈願の時に不定期に踊られたものであったが、現在は毎年9月15日に近い日曜日、阿万上町に鎮座する亀岡八幡神社の秋季大祭において神社拝殿で踊られている。 阿万は、淡路島の南端近く、四国と淡路島の間にある鳴門海峡のほぼ東、約10kmほどにあたる。阿万という地名は、古代の三原郡阿万郷にちなみ、その後、山城の石清水八幡宮などがおさめる荘園になる。この風流踊が披露される亀岡八幡神社は、この地域の総鎮守として石清水八幡宮が勧請されたもので、阿万の地は、淡路島南部の中心地とされる。 阿万の風流大踊小踊は、雨乞い踊り、百石(ひやつこく)踊りとも称される。文化8年(1811年)に刊行された淡路島の地誌である『淡路草』には、旱魃時に八幡宮へ雨を祈るにあたり、この踊りを踊ることを告げて参籠すれば必ず奇瑞あり、秋に願ほどきとして踊ることが記されている。さらに同書の記述から、すでにこの頃には現在の芸態に近い姿が整えられていたのを知ることができる。また、嘉永6年(1853年)に雨乞いとして踊った旨が奥書に記された小踊歌本も残されている。明治以降は、明治16年の旱魃に際し三日にわたり踊られ、同26年、同27年にもおおがかりに踊られたことが記録として残る。 阿万の風流大踊小踊の伝承は、大踊は大踊講、小踊は小踊講によってそれぞれ行われている。かつては狂言も演じられており、狂言を伝える講もあったが、今は台本を残すのみである。近年までは各講に属する家筋の長男に限り踊りの伝授が許されたというが、現在はその規制をゆるやかにして継承に努めるようになった。各講は正月、5月、9月の年3回集まって踊りの稽古を行っており、明治27年以降は雨乞いで踊られることはなかったものの、踊りは各講によって伝承された。第二次世界大戦中は各講での稽古も中断していたとのことだが、昭和29年に復活し、この年に亀岡八幡神社への奉納を行った。定期的に神社祭礼時に演ずるようになったのは昭和50代以降のことである。 大踊は、踊り手が二列横隊で踊る。前列での踊りは前踊りといい、紬の白衣に黒の角帯、赤の鉢巻を着けた子どもが務める。持ち物は扇やチャッキラコと呼ぶ二本の細竹で、曲によって持ち替える。後列での踊りは中踊りといい、前踊りと同じ衣装に紫の襷と鉢巻、手甲脚絆に大うちわを持って大人が踊る。踊り手の後方には諷方(うたかた)と称する音頭取が立ち並ぶ。音頭取は手に扇子を持ち、浅葱の紋付に袴の出立ちである。また、音頭取の脇には、長さ約6mの竹の先に約70cmの張り子の玉を乗せたものを持ち、歌の掛け声の後に「トントントン」と床を突いて拍子を取る玉突(たまつき)という役、拍子木、締太鼓が各1名、最後に師匠を務める古老が座につく。一方、小踊は6名から8名程度の踊り手が横一列に並び、締太鼓、拍子木、小鼓、曲によっては笛、鉦が各1名、複数人による歌い手で踊られる。明治26年の記録により、囃子に三味線が加わっていたことがわかるが、現在はない。踊り手の衣装や持ち物は曲によって異なりをみせる。大踊と小踊は一曲ずつ交互に踊られる。今は亀岡八幡神社の拝殿を踊りの場としているが、かつては本殿前に長さ十二間、奥行き五間の仮設舞台を組み演じていた。 大踊では中踊りが踊りの主要な構成部分とされ、これに前踊りがつく。中踊りと前踊りは同じ音楽で同時に異なる所作で踊られ、演目はそれぞれ別の名称で呼ばれる。花の踊(前踊、亀岡踊)、奥山踊(前踊、紅葉踊)、恋の踊(前踊、伊達踊)、坂本踊(前踊、小山踊)、都踊(前踊、町踊)、名古屋踊(前踊、伊勢踊)、忍の踊(前踊、衣ぎぬ踊)が伝承演目である。なお、かつて道行で歌われたという道諷(みちうた)は歌詞のみ残している。小踊は、神楽踊、与作踊、向の山踊、お仙踊、月日踊、千石踊、唐人踊、綾踊の八曲を伝えている。大踊は、室町時代末期から江戸時代初期にかけて流行した小歌と類似した歌詞を残し、一方、小踊は元禄期以降に流布した歌の歌詞を取り入れている。 大踊はゆったりとした歌と所作であり、扇を持ち物とする場合には、扇の要を持たずに骨の部分を持ち、扇をゆるやかに柔らかく動かす。小踊は歌の内容に即して衣装を凝らしたり、歌の旋律などにおいても工夫が細やかになるなど、大踊とは異なる様相を示す。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)