国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
蛭ヶ谷の田遊び
ふりがな
:
ひるがやのたあそび
解説表示▶
種別1
:
民俗芸能
種別2
:
田楽
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月11日(指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
指定年月日
:
2012.03.08(平成24.03.08)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)芸能の変遷の過程を示すもの
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
静岡県
所在地
:
保護団体名
:
蛭ヶ谷田遊び保存会
解説文:
詳細解説
蛭ヶ谷の田遊びは、年の初めに稲作の様を模擬的に演じて稲の豊作を祈願する予よ祝しゅくの民俗芸能で、毎年2月11日、蛭児ひるこ神社境内に積み上げられた薪の点火を合図に、夕刻から夜更けにかけて演じられている。
演目は番外2番を含めた17演目を伝承する。前半には「本刀【ほんだち】振り」「長本刀【ながほんだち】振り」などの儀式的な演目があり、後半には「田打ち」「田植え」「稲刈り」などの 稲作の様を模擬的に演じる次第が続く。儀式的な演目では、演じ手が太刀や木刀などを振り下ろしたり、反り返るなどの所作を東西南北それぞれに向かって行う。これらの演目は場を浄めるものとされ、「四方切【しほうぎ】り」と総称される。
また、杉の葉を束ねて作った「ほた小僧」と呼ばれる人形が登場する演目がある。ほた小僧を藁縄に結びつけ、青年達が引き回したり、田遊びの最後に社殿脇のサクラの幹に結び付けるなどする。
全演目とも楽器は用いられず、演じ手のかけ声や唱え、所作によって進行する。
本件は、儀式的な次第と稲作の様を模擬的に演じる次第からなる東海地方の田遊びの構成を良く伝えている。また、稲魂【いなだま】の象徴と考えられる人形を用いた次第や、多様な餅の使用、全演目を通じて楽器を使用しないなどの特色がある。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
解説文
蛭ヶ谷の田遊びは、年の初めに稲作の様を模擬的に演じて稲の豊作を祈願する予よ祝しゅくの民俗芸能で、毎年2月11日、蛭児ひるこ神社境内に積み上げられた薪の点火を合図に、夕刻から夜更けにかけて演じられている。 演目は番外2番を含めた17演目を伝承する。前半には「本刀【ほんだち】振り」「長本刀【ながほんだち】振り」などの儀式的な演目があり、後半には「田打ち」「田植え」「稲刈り」などの 稲作の様を模擬的に演じる次第が続く。儀式的な演目では、演じ手が太刀や木刀などを振り下ろしたり、反り返るなどの所作を東西南北それぞれに向かって行う。これらの演目は場を浄めるものとされ、「四方切【しほうぎ】り」と総称される。 また、杉の葉を束ねて作った「ほた小僧」と呼ばれる人形が登場する演目がある。ほた小僧を藁縄に結びつけ、青年達が引き回したり、田遊びの最後に社殿脇のサクラの幹に結び付けるなどする。 全演目とも楽器は用いられず、演じ手のかけ声や唱え、所作によって進行する。 本件は、儀式的な次第と稲作の様を模擬的に演じる次第からなる東海地方の田遊びの構成を良く伝えている。また、稲魂【いなだま】の象徴と考えられる人形を用いた次第や、多様な餅の使用、全演目を通じて楽器を使用しないなどの特色がある。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
蛭ヶ谷の田遊びは、年の初めに稲作の工程を模擬的に演じて稲の豊作を祈願する予祝の民俗芸能で、御田打祭(おたうちまつり)、ほた引祭(ひきまつり)とも呼ばれている。神社境内に積み上げられた薪の点火を合図に、その場を浄めるための儀式的な演目、稲作の様を表現する演目が夜更けまで続けられる。 蛭ヶ谷は、静岡県中部、駿河湾に注ぐ萩間(はぎま)川河口から上流約6kmに位置し、萩間川の支流である蛭ヶ谷川の細い谷間に形成された集落である。北は牧ノ原台地の南部丘陵に達し、東西も家々の背後に丘陵が迫る。地区内には丘陵の裾野に多数の小さな谷があり、蛭ヶ谷川の両岸の平地と比較的規模の大きな谷では稲作が行われてきた。水田の水の確保には苦慮した土地で、四つの溜池を築き、蛭ヶ谷川上流にイバ(井堰)を設けて水を引いた。 蛭ヶ谷の田遊びの始まりは定かではないが、天保7(1836)年没の山中豊平が編纂した『遠淡海地志(とおとうみちし)』に、正月13日に田植祭が行われていたことがみえる。また、蛭ヶ谷の人たちが石段を寄進した礼として、近隣の真言宗西山寺(さいさんじ)から田遊びの権利を譲られたとの伝承があり、西山寺から享保7(1722)年寄進の刻銘がある石柱が見つかっている。 田遊びが行われる蛭(ひる)児(こ)神社は、蛭ヶ谷の南端近く、蛭ヶ谷川左岸に西面してあり、かつては西之宮大神宮とも呼ばれ、兵庫の西宮神社を勧請して祀ったとされる。田遊びは蛭児神社の祭礼として、明治5年までは毎年旧暦1月13日に、同6年以降は毎年2月11日に行われている。境内東側正面に本殿があり、北側に庁屋と呼ぶ社務所が南向きに建つ。この庁屋は、田遊びの稽古場であり、祭礼時には演者の控え室ともなる。境内の南側には薪を積み上げたオカガリが置かれ、田遊びは庁屋とオカガリの間の4m四方を中心に演じられる。 田遊びは15歳から40歳の男子で構成される青年会で取り仕切られる。青年会は年番と呼ぶ責任者を中心とする組織で、年番は年長者の2名もしくは3名が務め、年齢が達して青年会を抜けた者から田遊びの師匠が2名選ばれて青年会を指導する。また、蛭ヶ谷は上(かみ)組、中(なか)組、下(しも)組に分かれており、祭礼においては三組が餅搗(もちつ)き、オカガリ、幟建(のぼりた)ての役割を順番に務めている。 2月7日から9日は田遊びの稽古で、10日に稽古上げと称して一通り演じる。また、この日は餅搗きの当番組が一般参加者へ配る「くれ餅」や、田遊びで使用する「牛の舌餅(したもち)」「牛の鞍餅(くらもち)」「早乙女餅(さおとめもち)」などを作る。祭礼当日は、当番組によってオカガリが組み上げられ、青年会は田遊びに使う諸道具の製作や、田打ち飯の用意をし、夕刻にオカガリが点火されたのを合図に田遊びの奉納となる。 田遊びの演じ手は、細長く切った白い紙を数多く束ねて垂らしたアヤガサ(綾笠)を頭に被り、赤茶の衣に襷を掛け、袴、素足に藁草履の姿である。演目によっては、おかめの面をつけ、手拭いを頭から被った着物に前掛け姿の「おっかあ」あるいは「孕(はら)み女(おんな)」と呼ぶ役や、菅笠(すげがさ)に法被姿の者などが加わる。「おっかあ」の腹部には子授けの願かけをする者から寄せられた下着を入れる。この役は新婚の者が務めることになっている。 田遊びの演目は、番外「矢納(やおさ)め」、一番「ほた引(ひ)き」、二番「里田打(さとたう)ち」、三番「本刀振(ほんだちふ)り」、四番「本刀振(ほんだちふ)りもどき」、五番「長本刀振(ながほんだちふ)り」、六番「木長刀振(きながだちふ)りもどき」、七番「杵振(きねふ)り」、八番「獅子(しし)」、九番「田打(たう)ち」、十番「牛(うし)ほめ」、十一番「鳥(とり)の口(くち)」、十二番「御草押(みぐさお)し」、十三番「麦搗(むぎつ)き」、十四番「麦洗(むぎあら)い」、十五番「田植(たう)え」、十六番「稲刈(いねか)り」、十七番「蓬莱山(ほうらいさん)」、番外「ほた小僧を桜木に結わえる」の構成である。三番から七番までは儀式的な演目で、続いて稲作の様を演じる次第が展開される。なお、「獅子」と「蓬莱山」は明治以前には演じていたとするが、現在は行わない。 番外演目である「矢納め」では、「田打ち」で田打ち役の親方を務める者が、社殿内で三重の輪を描いた的に矢を射る。続く「ほた引き」では、スギの葉を束ねたほた小僧と呼ばれる人形を藁縄の中央に結びつけ、縄の両端をも結わえて輪にしたものを、青年達が引き回す。この時、親方は輪の中央にいて西宮大神宮をはじめとする近隣の神々の名を唱えるが、一つ唱えるたびに青年達が綱を持って勢いよく走り、引き回す。「里田打ち」は田に見立てた樽に鍬に見立てた竹を叩きつける内容で、ここでも神々の名が唱えられる。「本刀振り」「本刀振りもどき」「長本刀振り」「木長刀振りもどき」「杵振り」は、アヤガサに赤茶色の装束の演じ手が、それぞれ太刀、木刀、木の柄の先に刀を縛った長本刀、木の柄に木刀を縛った木長刀、杵を持って演じる。肩にかついだ太刀などを振り下ろしたり、反り返るなどの所作を東西南北それぞれに向かって行う。これらの演目は、田遊びの場を浄めるものとされ、「四方切(しほうぎ)り」と総称される。次から稲作に関わる演目となる。「田打ち」は田打ち役の親方ほか2名が社殿の石段を田に見立てて耕したり、飯を高盛りにした田打ち飯を食べる所作を行う。この時「サンバイ、サンバイ」という唱え事をする。「牛ほめ」はアヤガサの者二名と牛役が演じる。牛役が樽に腹を乗せてうずくまると、牛役の背に鞍に見立てた牛の鞍餅を置くなどする。「鳥の口」は田の水口祭り、次の「御草押し」は田に肥料の草を踏み入れる意味とされる。ともにアヤガサの者2名が束ねたスギの枝を持って演じ、早乙女餅を頬張ったりする。「麦搗き」は桶を臼に見立て、おっかあとアヤガサの者が杵で麦を搗く所作をする。「麦洗い」は魚釣りとも呼ばれ、竹竿で魚を釣り上げる所作がある。「田植え」は、アヤガサの者、おっかあ、菅笠を被った者などが、スギの葉を苗に見立てて田に植える所作をし、続く「稲刈り」では鎌を持った菅笠の者三名が稲を刈る。田遊びの最後には、「ほた引き」で引き回されたほた小僧が社殿脇のサクラの幹に結びつけられ、翌年の田遊びまでそのままにされる。この次第をもって田遊びは終了する。 全演目とも楽器は用いられず、演じ手のかけ声や唱え、所作によって進行する。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)