国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
和合の念仏踊
ふりがな
:
わごうのねんぶつおどり
和合の念仏踊り
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種別1
:
民俗芸能
種別2
:
風流
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月13日から16日(指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※本件は令和4年11月30日に「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている。
指定証書番号
:
指定年月日
:
2014.03.10(平成26.03.10)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)芸能の変遷の過程を示すもの
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
長野県
所在地
:
長野県下伊那郡阿南町
保護団体名
:
和合念佛踊り保存会
和合の念仏踊り
解説文:
詳細解説
和合の念仏踊は、毎年8月13日から16日の間、毎晩踊られる念仏踊である。14日と15日には新仏供養のために行われる。
念仏踊は「庭入り」「念仏」「和讃【わさん】」で構成されている。
灯籠、旗、ヒッチキ棒、ササラ、太鼓、太鼓持ち、鉦【かね】、ヤッコ、花、柳、笛の諸役が、灯籠役の「さーよーい、そーりゃ」の掛け声を合図に行列して踊りの庭へ入る。太鼓役と鉦役は膝が地面につくほど低い姿勢をとり、そこから大きく振りかぶるような所作で太鼓や鉦を叩【たた】き進む。踊りの一行が輪になると、早いテンポの笛が入り、太鼓役と鉦役は踊りながら打ち鳴らし、ヒッチキ棒役とササラ役は、互いに体を激しくぶつけ合い、飛び跳ねて踊る。ここまでの次第が「庭入り」である。続く「念仏」では、古老の唱える念仏に合わせて太鼓は静かな音を刻む。「和讃」では、太鼓役が足を揃【そろ】え、膝を屈伸させながら左右に体を振りつつ音頭取りの和讃を復唱し、一節が終わる度に太鼓を打つ。
13日は熊野神社と宮下家で「庭入り」「念仏」「和讃」を行い、林松寺【りんしょうじ】にて「庭入り」を踊る。14日、15日は林松寺のみで行い、新仏の位牌【いはい】を集めて新仏供養として念仏踊を踊る。16日は再び3か所で踊るが「庭入り」のみとなる。
本件は、和合地区の熊野神社、宮下家、林松寺と場所を移動しつつ、各所で踊られる太鼓を中心とした念仏踊である。新仏の位牌を寺に集め、新仏供養のためにも踊る。盆の新仏供養を主たる目的としたかけ踊に、念仏踊が結びついた形態を持つ下伊那地方にみられる盆の芸能の特色を示している。なかでも本件は、踊りの所作がより芸能的に展開しており、地域的特色や芸能の変遷の過程を示して重要である。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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和合の念仏踊り
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和合の念仏踊り
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解説文
和合の念仏踊は、毎年8月13日から16日の間、毎晩踊られる念仏踊である。14日と15日には新仏供養のために行われる。 念仏踊は「庭入り」「念仏」「和讃【わさん】」で構成されている。 灯籠、旗、ヒッチキ棒、ササラ、太鼓、太鼓持ち、鉦【かね】、ヤッコ、花、柳、笛の諸役が、灯籠役の「さーよーい、そーりゃ」の掛け声を合図に行列して踊りの庭へ入る。太鼓役と鉦役は膝が地面につくほど低い姿勢をとり、そこから大きく振りかぶるような所作で太鼓や鉦を叩【たた】き進む。踊りの一行が輪になると、早いテンポの笛が入り、太鼓役と鉦役は踊りながら打ち鳴らし、ヒッチキ棒役とササラ役は、互いに体を激しくぶつけ合い、飛び跳ねて踊る。ここまでの次第が「庭入り」である。続く「念仏」では、古老の唱える念仏に合わせて太鼓は静かな音を刻む。「和讃」では、太鼓役が足を揃【そろ】え、膝を屈伸させながら左右に体を振りつつ音頭取りの和讃を復唱し、一節が終わる度に太鼓を打つ。 13日は熊野神社と宮下家で「庭入り」「念仏」「和讃」を行い、林松寺【りんしょうじ】にて「庭入り」を踊る。14日、15日は林松寺のみで行い、新仏の位牌【いはい】を集めて新仏供養として念仏踊を踊る。16日は再び3か所で踊るが「庭入り」のみとなる。 本件は、和合地区の熊野神社、宮下家、林松寺と場所を移動しつつ、各所で踊られる太鼓を中心とした念仏踊である。新仏の位牌を寺に集め、新仏供養のためにも踊る。盆の新仏供養を主たる目的としたかけ踊に、念仏踊が結びついた形態を持つ下伊那地方にみられる盆の芸能の特色を示している。なかでも本件は、踊りの所作がより芸能的に展開しており、地域的特色や芸能の変遷の過程を示して重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
和合の念仏踊は、長野県下伊那郡阿南町和合に伝わる盆の時期の太鼓を中心とした念仏踊である。鎮守である熊野神社で踊ったのち、和合の草分けとされる宮下家へ移動して踊り、さらに林松寺(りんしょうじ)へ行き踊る。昭和30年代までは地元で「念仏行列」、あるいは単に「念仏」と呼ばれていた。8月14日と15日の晩には、新仏供養として念仏踊が行われている。 下伊那郡阿南町は長野県南部の天竜川中流域に位置する。念仏踊を伝える地区は、江戸時代における和合村の範囲に相当し、近世に東海地方と伊那盆地の物資交流路であった遠州街道から約5km西へ入った、天竜川の支流である和合川が形成する谷間に拓けた集落である。宮下家の祖は、菅原道真の末裔である道家と伝えられ、弘長3(1263)年に遠州宮口、現在の静岡県浜松市から当地に移り住み開村したという。和合の念仏踊は、地元では、寛保2(1742)年、宮下家一五代当主が信州川中島で習得した踊りに由来するとも、宮下家が遠州の出身であることから、遠州の踊りを持ち伝えたとも言われている。 念仏踊は、かつては旧暦7月の盆に行われていたが、のちに新暦7月の盆に行うようになり、昭和61年からは8月13日から16日の四日間となった。 念仏踊は灯籠(1名)、旗(1名)、ヒッチキ棒・ササラ(2組)、太鼓・太鼓持ち(4から7組)、鉦(1名)、ヤッコ(2名)、花(2名)、柳(2名)、笛(複数名)の諸役から成る。灯籠は切子灯籠で、ハナと呼ばれる造花や五色のシデで飾り付けられている。旗には「南無阿弥陀仏 天保七年申年 六月吉日」と染め抜かれているが、その当時からの物ではない。加えて、16日にのみ使用される旗は、紙に六字名号を墨書したもので、かつては宮下家が用意したという。灯籠役と旗役は、念仏踊の一行を先導する役割を持ち、長老が務めることになっている。長老は紋付羽織袴に雪駄の出で立ちである。ヒッチキ棒は140cmほどの竹の棒の両端にシデをつけたもので、ササラは竹製の摺りざさらである。ヒッチキ棒役とササラ役は二人一組となり踊る。太鼓は薄く削ったヒノキを曲げ、ヤマザクラの皮で留めた曲げ胴の締太鼓で、馬や鹿などの腹の皮を用いて作っていた。なかには、天保6(1835)年、嘉永6(1853)年の墨書銘のある太鼓がある。太鼓役が自ら太鼓を持ち踊るほか、太鼓持ちと二人一組になっての踊りもある。太鼓役と太鼓持ちは集まった踊り手の人数により4~7組ほど出る。鉦は下部にシデがつけられており、凸面を撞木(しゅもく)で叩く。ヒッチキ棒役、ササラ役、太鼓役、鉦役は法被姿で、シデのついた菅笠(すげがさ)を被る。ヤッコは竹の棒先に茅をつけたもので、ヤッコ役は纏(まとい)を振るような所作で踊り、茅を傘状に広げていく。花と柳は、竹の先に、ハナやヤナギに見立てた飾りをつけたものである。ヤッコ役、花役、柳役は浴衣を着る。 念仏踊は、近代以降、青年会が主体となって伝承されてきたが、昭和23年に地区全戸を会員とする保存会が結成された。念仏踊を務めるのは、14、15歳以上の男性で、まず太鼓持ちから始めて踊りのリズムを覚え、ヒッチキ棒役とササラ役を経験したのち、太鼓役かヤッコ役を選ぶと言われている。花役と柳役は現在、女性や子供が務めても良い役になっている。また笛は近年、小学生が務めている。 念仏踊は「庭入り」「念仏」「和讃(わさん)」で構成されている。「庭入り」は、踊りの場に入る庭入りと、早いテンポの笛に合わせて激しく踊るヒッチキ拍子の二部構成である。庭入りでは、灯籠役の「さーよーい、そーりゃ」の掛け声を合図に一行は行列して進み、踊りの場を一周して輪となる。この時、太鼓役と鉦役は膝を地面につけるほど低い姿勢をとり、そこから大きく振りかぶるような所作で太鼓や鉦を叩き、歩を進める。一行が輪となったところで早いテンポの笛が入り、ヒッチキ拍子となる。太鼓役と鉦役は踊りながら打ち鳴らし、ヒッチキ棒役とササラ役の二人は体を激しくぶつけ合い飛び跳ねて踊る。続く「念仏」では、太鼓は一変して静かな音を刻む。太鼓持ちが横に並び、それに太鼓役が相対する。その後方には古老が立ち、古老の念仏に合わせて太鼓を打つが、最後にはやや激しいリズムとなって終わる。「和讃」では、音頭取りの和讃の後、太鼓役がそれを復唱する。太鼓役は太鼓を持って、足を揃え膝を屈伸させながら左右に体を振り、一節が終わる度に太鼓を打つ。 和合の念仏踊は13日から16日まで、毎晩踊られている。13日は熊野神社で「庭入り」「念仏」「和讃」を演じた後、宮下家でも「庭入り」「念仏」「和讃」を行い、最後に林松寺で「庭入り」を踊る。和讃は、神社では「神の前の庭ほめ」、宮下家では「庄屋の前の庭ほめ」を唱える。翌14日、15日は林松寺のみで踊られるが、この日は新仏供養として、寺に新仏の位牌を集めて念仏踊を行う。「念仏」は二度繰り返され、「和讃」は新仏の享年や性別によって、例えば天寿を全うした人には「野辺のおくり」、60歳未満で亡くなった人には「釘抜き」、お産で亡くなると「血の池」、子どもだと「西院の河原」、生まれてすぐに亡くなると「花和讃」というように、新仏に合わせた和讃が唱えられる。16日は再び熊野神社、宮下家、林松寺で踊られるが、いずれも「庭入り」のみとなっている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)