国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
大村の郡三踊(寿古踊・沖田踊・黒丸踊)
ふりがな
:
おおむらのこおりさんおどり(すこおどり・おきたおどり・くろまるおどり)
大村の沖田踊・黒丸踊
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
民俗芸能
種別2
:
風流
その他参考となるべき事項
:
公開日:おおむら秋まつりほか(指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※沖田踊及び黒丸踊は令和4年11月30日に「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている。
指定証書番号
:
指定年月日
:
2014.03.10(平成26.03.10)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)芸能の変遷の過程を示すもの
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
長崎県
所在地
:
長崎県大村市
保護団体名
:
寿古踊保存会
沖田踊保存会
黒丸踊保存会
大村の沖田踊・黒丸踊
解説文:
詳細解説
長崎県大村市の旧郡【こおり】村の寿古、沖田、黒丸の各地区にそれぞれ伝わる風流踊【ふりゅうおどり】である。寿古踊、沖田踊、黒丸踊の三つの踊りには「同時に始まった吉例の踊」との伝承があり、地元で「郡三踊」と呼ばれている。現在は、大村市が毎年行う「おおむら秋まつり」などの催しに各踊りが輪番で出演するなどしている。
三つの踊りは、いずれも踊りの庭までの道行【みちゆき】と庭での踊りの2部構成をとっている。それぞれ踊りは異なるものの、踊り手や囃子方【はやしがた】の衣裳【いしょう】や、囃子方が1列に座して演奏する形など共通する要素が多く見られるものである。
寿古踊の庭での踊りは、子供たちによる「垣踊【かきおどり】」と「早踊【はやおどり】」である。踊り手は舞太鼓【まいだいこ】と垣踊【かきおどり】から成り、いずれも振袖【ふりそで】姿だが、舞太鼓だけは袴【はかま】を着け、月の輪と呼ぶ笠【かさ】を被【かぶ】る。中央に位置した舞太鼓を挟んで垣踊が2列になり、その後、輪となって踊る。沖田踊は、年長の子供たちによる長刀【なぎなた】と年少の子供たちによる小太刀が、長刀を外側、小太刀を内側とした二重の輪を作り、お互いに向き合って打ち合わせて踊る。黒丸踊には「入羽【いりは】」「小踊【こおどり】」「三味線踊【しゃみせんおどり】」がある。入羽では、81本の竹を放射状に広げ、その1本1本に和紙製の花飾りを付けた大きな花輪を背負った大花輪と、旗を背負った大旗が、背負い物を左右に揺らしながら胸前の太鼓を叩【たた】くなどして踊る。鉦【かね】叩きも左右に体を動かしながら鉦を叩く。また、小踊、三味線踊では、子供たちが陣形を変えつつ踊る。
本件は、祝事の芸能として神社祭礼等とは結びつかず、また3地区それぞれに伝承される踊りが一連のものとして位置づけられ、演じられてきた芸能である。近世の文献に記された踊り手の構成などを今に残し、地域的特色や芸能の変遷の過程を示して重要なものである。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
大村の沖田踊・黒丸踊
大村の沖田踊
大村の黒丸踊
写真一覧
大村の沖田踊・黒丸踊
写真一覧
大村の沖田踊
写真一覧
大村の黒丸踊
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
長崎県大村市の旧郡【こおり】村の寿古、沖田、黒丸の各地区にそれぞれ伝わる風流踊【ふりゅうおどり】である。寿古踊、沖田踊、黒丸踊の三つの踊りには「同時に始まった吉例の踊」との伝承があり、地元で「郡三踊」と呼ばれている。現在は、大村市が毎年行う「おおむら秋まつり」などの催しに各踊りが輪番で出演するなどしている。 三つの踊りは、いずれも踊りの庭までの道行【みちゆき】と庭での踊りの2部構成をとっている。それぞれ踊りは異なるものの、踊り手や囃子方【はやしがた】の衣裳【いしょう】や、囃子方が1列に座して演奏する形など共通する要素が多く見られるものである。 寿古踊の庭での踊りは、子供たちによる「垣踊【かきおどり】」と「早踊【はやおどり】」である。踊り手は舞太鼓【まいだいこ】と垣踊【かきおどり】から成り、いずれも振袖【ふりそで】姿だが、舞太鼓だけは袴【はかま】を着け、月の輪と呼ぶ笠【かさ】を被【かぶ】る。中央に位置した舞太鼓を挟んで垣踊が2列になり、その後、輪となって踊る。沖田踊は、年長の子供たちによる長刀【なぎなた】と年少の子供たちによる小太刀が、長刀を外側、小太刀を内側とした二重の輪を作り、お互いに向き合って打ち合わせて踊る。黒丸踊には「入羽【いりは】」「小踊【こおどり】」「三味線踊【しゃみせんおどり】」がある。入羽では、81本の竹を放射状に広げ、その1本1本に和紙製の花飾りを付けた大きな花輪を背負った大花輪と、旗を背負った大旗が、背負い物を左右に揺らしながら胸前の太鼓を叩【たた】くなどして踊る。鉦【かね】叩きも左右に体を動かしながら鉦を叩く。また、小踊、三味線踊では、子供たちが陣形を変えつつ踊る。 本件は、祝事の芸能として神社祭礼等とは結びつかず、また3地区それぞれに伝承される踊りが一連のものとして位置づけられ、演じられてきた芸能である。近世の文献に記された踊り手の構成などを今に残し、地域的特色や芸能の変遷の過程を示して重要なものである。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
大村の郡三踊(寿古踊・沖田踊・黒丸踊)は、長崎県大村市の旧郡(こおり)村のうち寿古、沖田、黒丸の各地区にそれぞれ伝わる風流踊である。これら三踊りには「同時に始まった吉例の踊」との伝承があり、地元で「郡三踊」と呼ばれている。江戸時代には大村藩の祝事の際の芸能として演じられ、現在は、大村市が毎年行う「おおむら秋まつり」などの催しに各踊りが輪番で出演するほか、市の記念の催しなどでは三踊りが披露される。 大村市は長崎県中部、大村湾の東岸にあたる。市の北東部には多良山系が連なり、そこを源とし大村湾に注ぐ郡川によって形成された大村平野は、古代から近世にかけて、このあたりの中心地として発達した。大村の郡三踊を伝承する寿古、沖田、黒丸各地区は、郡川の河口部に位置し、旧郡村に属していた。 この三踊りの起源は定かではないが、大村藩によってまとめられ19世紀半ばに完成をみた『郷村記』によれば、寿古踊は文明12(1480)年に肥前国須古から来た人が教え、大村純伊(すみこれ)の帰城祝いに踊ったとされ、沖田踊と黒丸踊については、文明年間(1469~1487)、中国地方から来た浪人の法養(ほうよう)という人物が教えたとされる。沖田踊と黒丸踊は純伊の帰城祝いに踊ったとの記述はないものの、これら三踊りは同時に始まった吉例の踊と記されている。8年目ごとに踊ったとあり、文化11(1814)年に盆の時期の踊りが藩によって禁止された時、この三踊りは由緒ある踊りとして継続が許され、また、寿古踊は他の踊りに先駆けて一番最初に踊るとも記されている。 三踊りは、いずれも踊りの庭までの道行(みちゆき)と庭での踊りの二部構成となっており、囃子方は踊りの庭に一列に座して演奏する。踊りの内容は異なるものの、踊り手や囃子方の衣裳、寿古踊と沖田踊の道行に同道する笠鉾や添人など、共通する要素は多い。 寿古踊は、舞太鼓(1名)と垣踊(かきおどり)(10名)から成る踊り手と、笛、締太鼓、歌から成る囃子方で構成される。踊り手は振袖姿で、袖口には先端に鈴を付けた紅白の紐を垂らし、腰には印籠を下げる。舞太鼓だけは袴を着け、大小二本の太刀を差し、月の輪と呼ぶ笠を被る。月の輪は、笠の周囲に布を垂らして顔を見せないように拵えてあり、笠の前部には三日月を象った作り物をのせ、三日月の両端から、先に飾りの付いた長い竹ひご2本が延びる。その竹ひごは舞太鼓の背後に向かって弧を描いて垂れるように作られている。また笠の上部は植物に見立てた緑の物で飾り付けられている。垣踊は額に紫の鉢巻きを締め、菅笠を被る。腰には扇と脇差を差している。囃子方の衣裳は三踊りに共通で、黒の長着に角帯を締め、菅笠を被った姿である。踊り手は子供が務め、皆、化粧を施す。囃子方は大人である。 道行では、笛と太鼓の演奏にのせ、長老が務める先導役を先頭に、「寿古踊」と染め抜かれた幟、傘鉾、舞太鼓、垣踊、笛、太鼓の順に並んだ一行が踊りの庭に入場し、それぞれ所定の位置まで進む。踊り手一人一人には添人が付き、添人は工夫を凝らした飾り物を下げた日傘を踊り手に差し掛ける。添人は踊り手の祖母や母等が務めている。踊りの庭では、「垣踊(かきおどり)」と「早踊(はやおどり)」が踊られる。どちらの踊りにおいても、舞太鼓は踊りの中央に位置し、「垣踊」では垣踊が舞太鼓を挟んで二列になって踊り、「早踊」では舞太鼓を中心に輪となって踊る。舞太鼓は茣蓙の上に締太鼓を据え、それを長い桴で叩きながら踊る。囃子方は茣蓙を敷いた上に一列に座して演奏する。幟、傘鉾、添人は踊りの庭を取り囲むように立つ。歌詞は「目出たき御代のはじめかな」で始まる祝い歌の後、恋の歌が歌われている。 沖田踊は、中学生による長刀と小学生による小太刀が踊り手で、囃子方は締太鼓、笛、鉦、歌から成る。踊り手の人数に定めはない。踊り手は黒の着物に角帯で、腰に印籠を下げ、黒の手甲脚絆をつけ、化粧をする。長刀は菅笠を被るが、小太刀は鉢巻きを締めた姿である。 道行では、寿古踊と同様、笛と太鼓の演奏にのせ、先導役、傘鉾、「沖田踊」と染め抜かれた幟、長刀、小太刀、笛、太鼓の一行が踊りの庭まで進む。踊り手には添人が付く。道行で踊りの庭に入ると、小太刀を内側、長刀を外側にした二重の輪を作り、お互いに向き合って小太刀と長刀を打ち合わせて踊る。歌の歌詞はいずれも恋の歌である。 黒丸踊は、大花輪(4名)、大旗(2名)、鉦叩き(4名)、踊り子(8名)から成る踊り手と、笛、小鼓、締太鼓、歌、三味線の囃子方で構成される。大花輪は、81本の竹を放射状に広げ、その一本一本に和紙で作った花飾りを付けた大きな花輪を背負い、大旗は「大薩摩黒丸踊」と記した旗を背負う。両者とも胸前に鋲留太鼓を吊るす。鉦叩きと踊り子は子供の役である。踊り手はいずれも黒の着物に角帯、腰に印籠を下げ、黒の手甲脚絆、鉢巻き姿であり、子供は化粧をする。 大花輪を先頭に、大旗、鉦叩き、囃子方が、道行して踊りの庭に入り、大花輪は庭の四隅に立ち、大旗は大花輪の間、正面からみて左右の列に対面して立ち、さらに大花輪と大旗の間に鉦叩きが入る。それぞれ所定の位置につくと、「入羽(いりは)」が始まる。入羽は大花輪、大旗、鉦叩きによる演目で、大花輪と大旗は背負い物を左右に揺らしながら太鼓を打ち、鉦叩きも左右に体を動かしながら鉦を叩く。続いて、踊り子が登場して「小踊」「三味線踊」となる。小踊では笛、小鼓、締太鼓、歌が囃し、三味線踊ではそれに三味線も加わる。踊り子は二列になって向かい合い、場所を入れ替わったり、方形から円形へと踊りの陣形を変えて踊る。歌の歌詞は、入羽が祝歌、小踊と三味線踊は恋の歌となっている。 これら三踊りの踊り手の構成や人数については、『郷村記』に記された内容をほぼ今に伝えている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)