国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
大垣祭の軕行事
ふりがな
:
おおがきまつりのやまぎようじ
大垣祭の軕行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年5月15日直前の土・日曜日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
476
指定年月日
:
2015.03.02(平成27.03.02)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
岐阜県
所在地
:
保護団体名
:
大垣祭保存会
大垣祭の軕行事
解説文:
詳細解説
本件は、岐阜県大垣市の総鎮守である大垣八幡神社の例祭に行われる山車行事である。江戸時代に藩主から下賜された三輌山と呼ばれる3輌の軕と、本軕と呼ばれる旧城下10か町の軕が賑やかに曳き出され、八幡神社前での奉芸や市内の巡行、夜宮の行事が行われる。奉芸では、各軕が素朴な操り人形や精巧なからくり人形、子供による舞踊などを披露する。夜宮では、提灯を一斉に灯した軕が神社前に再び集まり、奉芸と軕廻しをみせた後、各町内へ戻る曳き別れとなる。(解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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大垣祭の軕行事
大垣祭の軕行事
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大垣祭の軕行事
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大垣祭の軕行事
解説文
本件は、岐阜県大垣市の総鎮守である大垣八幡神社の例祭に行われる山車行事である。江戸時代に藩主から下賜された三輌山と呼ばれる3輌の軕と、本軕と呼ばれる旧城下10か町の軕が賑やかに曳き出され、八幡神社前での奉芸や市内の巡行、夜宮の行事が行われる。奉芸では、各軕が素朴な操り人形や精巧なからくり人形、子供による舞踊などを披露する。夜宮では、提灯を一斉に灯した軕が神社前に再び集まり、奉芸と軕廻しをみせた後、各町内へ戻る曳き別れとなる。(解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
大垣祭の軕行事は、大垣市の総鎮守である大垣八幡神社の例祭に行われる山車行事で、旧城下の町内より、からくり人形などを載せた13輌の軕が曳き出され、大垣市内はもとより西濃地方一円から多くの参詣者が訪れて賑わいをみせる。 大垣市は、岐阜県の西南部、濃尾平野の西に位置する。近世には、大垣藩の城下町として栄えるとともに、中山道と東海道をつなぐ美濃路の宿場町として、また、揖斐川支流の水門川による舟運の拠点として水陸交通の要衝でもあった。大垣祭は、このような西濃地方の中心地として発展してきた大垣に成立した城下町祭礼であり、その由来については、慶安元年(1648)に藩主の戸田氏鉄が八幡神社を再建した時に城下の10か町が10輌の軕を造って曳き出したこと、延宝7年(1679)には藩主の戸田氏西から3輌の軕が下賜されたことが伝えられており、また、寛政10年(1798)の『八幡宮御祭礼行列帳』には、現在とほぼ同様の軕の名称や構成が見られることから、少なくとも18世紀後半には、各町の軕が出揃い、城下において山車行事が盛んに行われていたことが推測される。祭日は、古くは4月15日であったが、明治の改暦以後、5月15日に改められ、平成7年から5月15日に近い土曜日と日曜日に行われるようになり、現在に至る。 行事の運営は、当番町である番町を決め、番町が祭りの総てを差配する番町制によって行われてきたが、昭和52年に番町制が廃止となり、以後は、旧城下の十か町と神社を中心に構成される大垣祭出軕運営委員会、大垣祭保存会の主導で行われている。日程は、当日を本楽、その前日を試楽と呼び、両日ともに十か町から軕が曳き出される。軕を所有する町は、本町、中町、新町、魚屋町、竹島町、俵町、船町、伝馬町、岐阜町、宮町の10か町で、これらの軕は本軕と呼ばれる。本軕は、最上部に人形を飾る屋形の付いた二層型式を基本構造とし、豪華な彫刻や祭礼幕などで飾られる。本軕のなかでも、船町と伝馬町の二つの軕は、芸軕とも称され、前方に屋根付き舞台を持つ形式をとり、かつては子供歌舞伎も演じられたが、現在は子供による手踊りが行われる。これ以外の8つの軕は、正面上層の前軕にからくり人形の機構を備え、能に取材した囃子などに合わせて、趣向を凝らした各種のからくりが演じられる。こうした軕の構造や出し物については、前者は、主に滋賀県長浜市の長浜曳山祭りの舞台型式、後者は、愛知県の名古屋を中心とするからくり山車の型式との共通性がみられ、大垣の地理的な条件から、本行事が周辺地域の祭礼文化を取り入れつつ、独自の様式を形成してきたことがわかる。 各町が出す本軕に対し、藩主下賜の軕は、神楽軕、大黒軕、恵比須軕の3つである。いずれも簡素な単層露天型式の軕で、三輌軕と呼ばれる。神楽軕は、常に巡行の先頭を行くことから御払軕とも称され、上部に社殿と鳥居を飾り、軕の中から人が直接棒で操る素朴な操り人形を伝えている。人形は胴体部に組まれた心串と両手に付く竹竿で操作される。この種の操り人形は、杖頭人形と呼ばれ、中世成立の尾張地方の津島や熱田の天王祭に登場した大山で演じられたものがよく知られているものの、現存例は少ない。大黒軕と恵比須軕は、上部に大黒、恵比須の大型の神像をそれぞれ安置した飾り軕である。この三輌軕は、十か町が数町単位で共有しており、共有する複数の町内で一年ごとの輪番で当番町を決め、祭礼時には当番町の本軕と一緒に曳行される。 試楽の日は、八幡神社にすべての軕が参集し、鳥居の前で、奉芸と称して、からくり人形や子供の手踊りなどが演じられる。順番は、神楽軕、その当番町の本軕、以後は神社に到着した順となり、奉芸が終わると大垣市役所まで市内を巡行する。市役所前に設けられた会所では、来賓に向け、掛芸と称して各軕がからくり人形などを披露する。各軕は、夜になると再び八幡神社前に集まり、夜宮(よみや)の行事となる。提灯を一斉に点灯した後、順番に奉芸し、手古と呼ばれる曳手たちが軕を前に傾け、左右に回転させる軕廻しが行われる。夜宮での奉芸は、2回行われ、その後、各軕は曳き別れと称して、それぞれの町内に帰る。 本楽の日は、試楽と同様、神楽軕を先頭に八幡神社に到着した順に鳥居前で奉芸を行う。その後、13輌の軕が行列を組み、一日かけて氏子域を巡る。本楽の巡行路は、東回りと西回りがあり、隔年で変わる。夜には、試楽と同様、八幡神社前に参集して夜宮の行事が行われ、その後、曳き別れとなる。行事の終了後、三輌軕については、次年度の当番町に軕を引き継ぐ儀礼がそれぞれに行われるが、恵比須軕だけは、本楽当日の曳き別れの後に八幡神社に向かい、拝殿にて人形の頭を次の当番町に渡して引き継ぎを行うお頭渡しがある。 なお、10か町のうちの竹島町は、かつては朝鮮通信史の行列を模した朝鮮山と呼ばれる軕と異国風の仮装行列を出していたが、明治初年からからくり人形の軕になっている。この種の練り物は、現在はみられないが、大垣祭が近世には今以上に豊富な祭礼の要素を備えていたことを伝えている。 西濃地方には、大垣祭のほかにも、軕と称す山車が出る祭礼が伝承されている。それらの祭礼の中には、大垣祭の影響を受けているものも少なくない。なかでも綾野祭(大垣市綾野町)や久瀬川祭(大垣市久瀬川町)には、軕の形状や出し物に大垣風の趣向が色濃くみられる。 (解説は指定当時のものをもとにしています)