国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
新宮の速玉祭・御燈祭り
ふりがな
:
しんぐうのはやたまさい・おとうまつり
速玉祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月6・7日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
指定証書番号
:
指定年月日
:
2016.03.02(平成28.03.02)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
和歌山県
所在地
:
保護団体名
:
熊野速玉大社祭事保存会
速玉祭
解説文:
詳細解説
本件は,和歌山県新宮市にある熊野速玉大社を中心とする大規模祭礼である。
速玉祭は,初日に神馬の渡御があり,神霊を神馬に戴き,大社や御旅所などを巡る。そして翌日には神輿渡御と御船祭りがある。「一つもの」と呼ぶ人形を載せた神馬を先頭に,神輿が出発し町内を巡ったあと,神霊は神輿から船に遷され川を遡上し,御船島へと向かう。御船島では小船による早舟競争が行われ,終わると神霊は陸にあがって御旅所へと入り,所定の儀式があって還御となる。
御燈祭りは,神倉山の山上に上がり子と称する参拝者が群れ集うなか,御神火が起こされ,火は大松明に移される。大松明はいったん下山し再び上ってくると,人びとはその火を一斉に分かち始める。やがて辺り一面は火の海のようになるが,頃合いを見計らって山門が開けられると,上がり子たちは一気に山を駆け下りていく。翌日は,御礼参りの日で,神倉山の麓で大護摩供や火渡り,餅撒きなどがある。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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速玉祭
御燈祭り
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速玉祭
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御燈祭り
解説文
本件は,和歌山県新宮市にある熊野速玉大社を中心とする大規模祭礼である。 速玉祭は,初日に神馬の渡御があり,神霊を神馬に戴き,大社や御旅所などを巡る。そして翌日には神輿渡御と御船祭りがある。「一つもの」と呼ぶ人形を載せた神馬を先頭に,神輿が出発し町内を巡ったあと,神霊は神輿から船に遷され川を遡上し,御船島へと向かう。御船島では小船による早舟競争が行われ,終わると神霊は陸にあがって御旅所へと入り,所定の儀式があって還御となる。 御燈祭りは,神倉山の山上に上がり子と称する参拝者が群れ集うなか,御神火が起こされ,火は大松明に移される。大松明はいったん下山し再び上ってくると,人びとはその火を一斉に分かち始める。やがて辺り一面は火の海のようになるが,頃合いを見計らって山門が開けられると,上がり子たちは一気に山を駆け下りていく。翌日は,御礼参りの日で,神倉山の麓で大護摩供や火渡り,餅撒きなどがある。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
新宮の速玉祭・御燈祭りは、和歌山県新宮市にある熊野速玉大社を中心とした祭礼行事で、多くの年間祭事のなかでも特に重要なものとされ、地域をあげて盛大に行われている。 新宮は、紀伊半島の南部、熊野川の河口に位置し、熊野三山のひとつである熊野速玉大社の門前町として栄えてきた。周囲には海や山、河川をめぐる豊かな自然を有し、往時は熊野川の筏(いかだ)流しによる木材の集積地にもなっていた。熊野速玉大社は市街地の北方に鎮座し、その近くを流れる熊野川には御船島と呼ぶ離れ小島がある。大社の南には南北に長い権現山を挟んで、その南面に神倉山(神倉神社)があり、また、大社の東方、熊野川河口近くにある小さな山が蓬莱山で、その南麓には阿須賀神社がある。この大社・神倉山・阿須賀神社は、ちょうど三角形の頂点のような位置関係になっているが、本件は、こうした大社諸社を拠点とし、町全体を舞台として展開する大規模祭礼である。 熊野速玉大社は、熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山と称され、これらは全国に約3000社以上あるとされる熊野神社の総本社にあたる。各社とも固有の祭祀起源を持つが、10世紀後半に相互に祭神を合祀して熊野三山の信仰体系が成立すると、11世紀には阿弥陀信仰が強まってくるなかで、熊野の地は浄土とみなされるようになり、院政期の歴代上皇の度重なる御幸をきっかけに、その名は全国に広まった。やがて、皇室から武士、さらには庶民へと熊野信仰は広がっていき、平安時代末期から鎌倉時代にかけては「蟻の熊野詣」と例えられたように、多くの人びとが熊野三山を訪れた。新宮の速玉祭・御燈祭りは、このうような信仰の歴史を背景に、今日に受け継がれてきた。 大社の組織は、近世まで新宮本願・神倉本願といって、前者は速玉社を、後者は神倉山(神倉社)を中心とする二者体制をもって構成されてきた。ただし、両者は別個のものではなく、主従関係を保ちつつも、いわば表裏一体の信仰体系を守ってきた。速玉祭は新宮本願としての熊野神の降臨をモチーフとした祭礼であり、御燈祭りは神倉本願としての火迎えの行事であるが、いずれも自然万物に根差した熊野信仰を色濃く反映している。現在、両者は本社・境外摂社の関係にあって位置付けも異なるため、熊野速玉大社祭事保存会を組織することで、これら祭礼行事の包括的な保存と継承を図っている。なお、祭日としては、曜日に関係なく、速玉祭が毎年10月の15・16日を、御燈祭りが毎年2月の6・7日を当てており、明治の改暦以前は、速玉祭が旧9月の、御燈祭りが旧正月の当該日であって、いずれも月遅れとしただけで、季節感も含め基本的には変わっていない。 速玉祭は、初日に神馬による渡御がある。昼過ぎよりはじめられるが、まずは神霊を神馬に戴き、大社から阿須賀神社へと巡行し、到着すると神霊をいったん本殿に納める。そこで所定の儀式を終えたのち、再び神霊を神馬に遷し、大社へと戻って納める。そして再度、神霊を神馬に移し、今度は御旅所へと巡行して遷霊したのち、やはり所定の儀式があって、夕方には還御となる。このうち、御旅所は熊野川の河原に設けたもので、杉の葉で葺いた仮宮であり、新宮の初原を表すものとされている。そして、翌日には神輿の練りと御船祭りがある。昼過ぎになると、大社にて出立の杯儀等があったのち、一つものと称する人形を載せた神馬を先頭に神輿が出立する。途中、一行は二手に分かれ、一つものは河原へ、神輿は町内へと向かう。河原では町内を練り終えた神輿が来るのを待つこととなるが、やがて到着すると神輿から神幸船に神霊が遷され、神幸船は諸手船と呼ぶ船に曳航され、川を遡って御船島へと進む。こうしたのち、次に早舟競争といって、9艘の小舟が御船島まで漕ぎ上がり、島を3周して御旅所前の河原まで競い合うという競技が行われる。この間、神幸船は島の近くでこの様子を見届けるが、終わると諸手船に曳かれ、同じく島を3周して河原へと至る。すると今度は、船から神輿に神霊が遷され、陸にあがって御旅所へと入って遷霊、そして所定の祭事があったのち、夕方には還御、直会となって祭りは終了する。熊野の神々は、海の彼方から神倉山(ゴトビキ岩)に降臨され、諸処を遷りゆき、川を遡上するなどして現在の地に至り着いたとされており、これら諸行事はその足跡を踏襲する形で成り立っているといわれている。ちなみに、神馬渡御式は大社の主祭神である熊野速玉大神(伊弉諾尊)、大社第二殿)の足跡を、神輿渡御式・御船祭りは熊野夫須美大神(伊弉冉尊)、大社第一殿)のそれを辿るものだという。 御燈祭りは、勇壮な火祭りとしてよく知られている。当日は、上がり子といって、この日山に登る者は浜や川で禊ぎをし、体を清めておく。そして「白尽くめの衣装に白尽くめの食事」といって、白襦袢に白股引、白頭巾、白足袋など、真っ白な出で立ちで、腹には荒縄を幾重にも巻き付けて草鞋履きとなり、白飯に白豆腐、白蒲鉾、白い香の物など、白いものに限った食事をとる習わしとなっている。夕方になると、上がり子たちは各々手に松明を持って大社や阿須賀神社などを巡拝し、入山停止時刻となる午後六時までには神倉山へと登りはじめる。この頃、御幣や大松明などを掲げた斎主ら一行も大社より出立し、神倉神社へと向かい、到着すると小休止したのち、山を登る。神倉山の山上には、すでに上がり子たちが多数群れ集っており、斎主らはそれを割って入るかのようにしてゴトビキ岩に付随する社の瑞垣の内へと入ると、所定の儀式があったのち、御神火が起される。やがて火の付いた松明を手にした斎主が瑞垣の外に登場すると、一斉に歓声があがり、火は一本の大松明に移される。この火は山腹にある中ノ地蔵に奉納することになっているため、大松明はいったん下山し再び戻ってくるが、この間に上がり子たちは徐々に興奮状態となっていき、いよいよ火が到着すると人びとは火を分かちはじめる。次第にあたり一面は火の海のようになっていき、頃合いを見計らったところで境内の山門が開けられると、一気に上がり子たちは我先にと山を駆け下り、そのまま家路にと散っていく。この光景は「火の滝」「下り龍」などともいう。こうして、斎主ら一行は最後尾に付いて下山し、その後は阿須賀神社へと進んで奉幣の儀を行い、次に大社へと帰着し同様に奉幣して終わる。なお、翌日は神倉山の麓にて午前中より大護摩供や火渡り、ぜんざい振る舞いや餅撒きなどがあるが、この日は御礼参りといって、氏子らによる参拝が再びあって大いに賑わう。御燈祭りは、神の来臨を復演するとともに、正月にあたって自家に新たな火を迎え更新する火迎えの行事とされるが、かつては神倉聖(ひじり)によって行われた年籠(ねんろう)修行(修正会)のひとつでもあり、神仏分離のあった近代以降は地域の新春行事として根付いている。 新宮の速玉祭・御燈祭りは、熊野三山のひとつ、熊野速玉大社を中心とした神聖な地において今日に伝えられてきた祭礼行事である。また、全国各地に影響を与えてきた熊野信仰を背景に展開してきた祭礼であるとともに、他に類例のない大規模祭礼でもある。神々の降臨とその足跡をモチーフとして復演しつつ、清らかな火を迎え入れることをもって原点回帰とし、社会の秩序維持と浄化再生を図った祭事であり、いずれも自然を畏れ崇める自然崇拝的かつ原初的な信仰の性格が強く認められ、我が国の民間信仰や祭礼行事のあり方を理解するうえで重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)