国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
鳥羽・志摩の海女漁の技術
ふりがな
:
とば・しまのあまりょうのぎじゅつ
鳥羽・志摩の海女漁の技術
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種別1
:
民俗技術
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
指定証書番号
:
指定年月日
:
2017.03.03(平成29.03.03)
追加年月日
:
指定基準1
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
三重県
所在地
:
保護団体名
:
鳥羽海女保存会・志摩海女保存会
鳥羽・志摩の海女漁の技術
解説文:
詳細解説
鳥羽・志摩の海女漁については,既に『万葉集』や『延喜式』などに関係の記述があり,その行為自体が素潜りという比較的簡潔な方法であることから,古態をとどめた伝統的な漁撈と解されている。
漁法としては,カチド,フナド,ノリアイの3種がある。カチドは海女が直接陸地から泳いでいって行うもの,フナドは夫婦・親子などの男女が船に乗り込み,漁をしている女性を男性が滑車などを使って引き上げるといった共同作業で行うもの,そして,ノリアイは1隻の船に船頭(男性)と複数の海女たちが乗り合わせ,目的とする漁場でそれぞれ単独で漁を行うものである。漁獲物としては,アワビを始め,サザエ,トコブシ,イワガキ,イセエビ,ウニ,ナマコ,アラメ,ヒジキ,テングサなどがあり,そのため,ほぼ年間を通して漁が行われている。
当地の海女漁は,社会的な規律を前提に,その枠内で個人が行うものである。磯海の資源は掛け替えのない共有財産と位置づけられ,濫獲防止など,自然環境に対する秩序維持の意識が顕著である。こうした伝統を背景に培われた技術伝承においては,とりわけコミュニケーションの場としての海女小屋が果たす役割は大きく,ここで漁に関する知識や情報を得ることが専らである。また,セーマン・ドーマンと称する当地特有の魔除けの印など,周辺習俗も併せよく伝えている。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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鳥羽・志摩の海女漁の技術
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鳥羽・志摩の海女漁の技術
解説文
鳥羽・志摩の海女漁については,既に『万葉集』や『延喜式』などに関係の記述があり,その行為自体が素潜りという比較的簡潔な方法であることから,古態をとどめた伝統的な漁撈と解されている。 漁法としては,カチド,フナド,ノリアイの3種がある。カチドは海女が直接陸地から泳いでいって行うもの,フナドは夫婦・親子などの男女が船に乗り込み,漁をしている女性を男性が滑車などを使って引き上げるといった共同作業で行うもの,そして,ノリアイは1隻の船に船頭(男性)と複数の海女たちが乗り合わせ,目的とする漁場でそれぞれ単独で漁を行うものである。漁獲物としては,アワビを始め,サザエ,トコブシ,イワガキ,イセエビ,ウニ,ナマコ,アラメ,ヒジキ,テングサなどがあり,そのため,ほぼ年間を通して漁が行われている。 当地の海女漁は,社会的な規律を前提に,その枠内で個人が行うものである。磯海の資源は掛け替えのない共有財産と位置づけられ,濫獲防止など,自然環境に対する秩序維持の意識が顕著である。こうした伝統を背景に培われた技術伝承においては,とりわけコミュニケーションの場としての海女小屋が果たす役割は大きく,ここで漁に関する知識や情報を得ることが専らである。また,セーマン・ドーマンと称する当地特有の魔除けの印など,周辺習俗も併せよく伝えている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
鳥羽・志摩の海女漁の技術は、三重県鳥羽市と志摩市に伝承される、女性たちによる素潜り漁に関わる漁撈技術である。主に磯浜を中心とした地先沿岸を漁場とし、貝藻類などを対象に、身ひとつと簡易な道具による採取活動を今に伝えている。 息をこらえて素潜りを行い、有用な漁獲物を採取・捕猟する従事者のことは、我が国では一般に男女の区別なくアマ(海士・海女)と呼んできた。アマについては『魏志』倭人伝(3世紀)に関係の記事があって、すでに弥生時代には我が国にアマが存在していたとする論拠となっており、さらに素潜りという比較的簡潔な漁法であることから、原初的かつ伝統的な漁撈と解されている。当地の海女については、『万葉集』をはじめ『皇太神宮儀式帳』(804年)や『延喜式』(10世紀)などにその記述が散見され、なかでも『儀式帳』では、伊勢神宮に対し神戸(現鳥羽市国崎町)からアワビが献上されていたとあり、今日に及ぶ神宮との深い関係が指摘されている。また、『延喜式』(志摩雑用条)には「潜女」の表記があって、海女の存在が浮き彫りにされている。 鳥羽・志摩が所在する志摩半島はリアス式海岸で、多数の岬や入り江、小島などが複雑に入り組んだ海岸線を形成している。また、沖合では大規模な天然礁が点在することから、黒潮系海流が断続的に波及する。気候は年間を通じて温暖である。こうしたことから、沿岸部ではアワビ、サザエ、ウニなど磯根資源が豊富であり、波の穏やかな湾奥はカキやワカメ、真珠といった浅海養殖に好適で、沖合域ではカツオ、アジ、サバ等々の回遊魚に恵まれる。特に、真珠養殖については先駆地でもあり、これに当地の海女は少なからず関与してきた。 鳥羽・志摩では、現在29地区の漁業集落で海女漁が行われている。鳥羽市域は14地区で鳥羽磯部漁業共同組合に所属し鳥羽海女保存会を作り、志摩市域では15地区あって三重外湾漁業協同組合に属し志摩海女保存会を設ける。その従事者は全国最多で約750名を数える。漁業権は、個人所有(准組合員)の場合もあるが、世帯単位(正組合員)で所有することが多いことから、海女漁を担うには当該世帯の女性であることが通常で、概してその家の者であれば、意思さえあればいつでも自由に行える。海女は集落の一員であることを前提とし、就業の動機としては結婚や子育てなどの節目に左右されることが少なくない。また、収益については共同分配制ではなく、個人の収量に応じており、制限はない。海女の稼ぎは「自分の腕次第」といわれる所以である。 漁の規律は、漁協というよりも、いわばムラ決めに近い。集落ごとの意思によって様々な取り決めがなされており、特に「獲り尽くさない」という考えは根強く、半飼育的な漁獲物の温存など、自然環境に対する秩序維持の意識が顕著である。そのため、操業については1日に1回ないし午前午後の2回とし、しかも開始時間を決め、1回の操業を60分、90分などと制約を加えている。さらに、限定的な禁漁区を設けたり、漁期や出漁日数等を別途定めている集落もある。このことは、磯の資源は伝統的に貴重なムラの共有財産として認知されてきたことに通じる。また、出漁に関しては集団的行動を範とし、相互に目を光らせることで、規律向上と危機管理の意識付けが図られている。漁休判断は個人の裁量によるが、といって終日個々自由に行っているわけではない。 技術伝承のあり方としては、相伝的な形態はとっていない。素潜りは我が身ひとつで行うことから、採捕の術は個で経験し蓄積していくほかなく、自然に覚えたとする者が圧倒的である。そのため、身体能力に長けた若年層に必ずしも有利なわけではなく、むしろ熟練期は経験年数に応じ、概して高齢期に現れる。現在の年齢層としては6、70代が突出し、全体の7割弱を占めている。しかしながら、海女漁は個人の裁量に任されつつも、社会性を兼ね備えたものであることから、集団から得る知識も少なくない。特に、コミュニケーションの場としての海女小屋が果たす役割は大きい。海女小屋は、漁の準備や昼食をとるなど、小屋仲間と称する気のあった者数名で過ごす場で、多くは簡素な建て屋となっている。ここは、海女にとって重要な情報の収集・交換の場でもあり、採取方法や漁獲の生態、危険察知の仕方など、漁に係る知識は常に集団を介して継承されている。例えば、漁の前後には必ず火にあたるとされるが、これは体を温めることで代謝をよくする方法であり、その他、磯笛と称する呼吸の整え方、ヨモギによるメガネの曇り止め、粘土による耳栓の仕方などがある。 漁法としては、カチド、フナド、ノリアイの3種がある。カチドは海女が直接陸から泳いでいって行うもの、フナドは夫婦などが船に乗り込み、漁をしている女性を男性が滑車を使って引き上げるといった、協業で行うものである。そして、ノリアイは1隻の船に船頭と複数の海女たちが乗り合わせ、目的とする漁場でそれぞれが行うものである。主な漁獲物としては、アワビをはじめ、サザエ、トコブシ、イワガキ、イセエビ、ウニ、ナマコ、アラメ、ヒジキ、テングサなどがあり、そのためほぼ年間を通して行われている。素潜りの水深については、対象となる漁獲物の棲息状況によって異なるため、2~3mの場合もあれば、10~20mという場合もあって様々である。ただ、カチドは比較的浅く、フナドは重りを使って潜るため深い。潜水時間は平均すると一度につき50秒程度で、50秒潜水、15秒浮上、50秒潜水と、これを断続的に繰り返す。 おもな漁具としては、ノミ、タンポ、イソメガネ、スンボウなどがある。ノミはアワビなどを剥がし取る道具で、岩の形状に応じて使い分ける大・小のイソノミのほか、カギノミといって、一方が篦状で他方が鍵状に曲がっているものがあり、これは引き手、掻き手代わりに利用する。タンポは浮き輪で、昭和40年代初期まではイソオケ、イソダルと称し、主として桶・樽を使っていた。漁中、これに摑まって呼吸を整えるなど小休止等に用いるが、ここにはスカリと呼ぶ採取物を入れる網袋を繋げておくことが多い。イソメガネは明治20年(1888)頃より使用され、当初は見えすぎて濫獲の恐れもあった。スンボウ(寸棒)は、スンポウなどともいうが、10・6㎝(3寸5分)幅の切れ込みのある用具である。アワビ採取専用のもので、ここに貝をはめ込むことで大きさがわかるようになっており、これは明治35年(1902)に定めた三重県「漁業取締規則」による濫獲防止の規定を反映したものであって、これに満たないアワビは採取禁止となっている。アワビはこの大きさになるまで4年程度を要して産卵に至るのである。また、着衣としてイソギ(磯着)と称する白衣があるが、これは明治44年(1911)明治天皇皇后の御覧を契機に普及しはじめ、大正期を経てほぼ昭和10年頃には定着した。それ以前は専ら白の鉢巻きに腰巻き一つであった。白色はサメ除けによいなどともいう。その後、今日に至るウエットスーツは足ヒレとともに、昭和35年頃より導入され、40年代から50年代にわたり徐々に浸透していった。これによって保温性や機能性が高じたことはいうまでもないが、逆に収量や作業時間の加増を生み出し、濫獲が危惧されたため、むしろ集落によっては当面の使用禁止や制限、または操業日数の縮小等を定めたところが少なくない。 関連習俗としては、好漁や魔除けを願う呪いとして、出漁時に洗米を撒いたり、鼠鳴きといって潜水直前に船や桶の縁を叩き「ツヤ、ツヤ」「チュッ、チュッ」などと唱えることがある。また、セーマン・ドーマンと称する当地特有の印があり、前者は星の印、後者は九字の印となっているが、これはノミや鉢巻きなどに書き込んだり、縫い付けたりすることで魔除けとしている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)