国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
悪石島のボゼ
ふりがな
:
あくせきじまのぼぜ
悪石島のボゼ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年旧暦7月16日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※本行事は平成30年11月29日に「来訪神仮面・仮装の神々」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
指定年月日
:
2017.03.03(平成29.03.03)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
鹿児島県
所在地
:
鹿児島県鹿児島郡十島村
保護団体名
:
悪石島の盆踊り保存会
悪石島のボゼ
解説文:
詳細解説
悪石島のボゼは,異様な容姿をもち,畏くも怖ろしいものとされており,盆の最終日となる旧暦7月16日の夕刻に現れ,人びとの邪気を追い祓う。
この日,墓地に隣接するテラと呼ぶ空地にて,3名の若者が赤土と墨を塗りつけた仮面を被り,体にはビロウの葉を巻つけ,手足にはシュロ皮やツグの葉を当てがうなどしてボゼに扮する。手には,それぞれボゼマラと称する男根を模した長い杖を持つ。
夕方,ボゼは,呼び太鼓の音に導かれ,盆踊りで人びとが集まる広場に現れる。ボゼは,ボゼマラの先端に付けた赤い泥を擦りつけようと,観衆を追い回すことから,あたりは笑いと叫びで騒然となっていく。この泥を付けられると,悪魔祓いの利益があるとされ,特に女性は子宝に恵まれるなどという。騒ぎがしばらく続いたのち,太鼓の音がゆったりとしたリズムに変わると,ボゼは体を揺するようにして踊り始めるが,再度急変の調子で再び暴れだし,やがてその場を去っていく。こうして邪気が祓われ,清まった人びとの安堵と笑顔が満ちるなか,最後に盆踊りがもうひと踊りされ,以後は余興と称して夜が更けるまで歌って踊り,飲食に興じる。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
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なし
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悪石島のボゼ
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悪石島のボゼ
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解説文
悪石島のボゼは,異様な容姿をもち,畏くも怖ろしいものとされており,盆の最終日となる旧暦7月16日の夕刻に現れ,人びとの邪気を追い祓う。 この日,墓地に隣接するテラと呼ぶ空地にて,3名の若者が赤土と墨を塗りつけた仮面を被り,体にはビロウの葉を巻つけ,手足にはシュロ皮やツグの葉を当てがうなどしてボゼに扮する。手には,それぞれボゼマラと称する男根を模した長い杖を持つ。 夕方,ボゼは,呼び太鼓の音に導かれ,盆踊りで人びとが集まる広場に現れる。ボゼは,ボゼマラの先端に付けた赤い泥を擦りつけようと,観衆を追い回すことから,あたりは笑いと叫びで騒然となっていく。この泥を付けられると,悪魔祓いの利益があるとされ,特に女性は子宝に恵まれるなどという。騒ぎがしばらく続いたのち,太鼓の音がゆったりとしたリズムに変わると,ボゼは体を揺するようにして踊り始めるが,再度急変の調子で再び暴れだし,やがてその場を去っていく。こうして邪気が祓われ,清まった人びとの安堵と笑顔が満ちるなか,最後に盆踊りがもうひと踊りされ,以後は余興と称して夜が更けるまで歌って踊り,飲食に興じる。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
悪石島はトカラ列島のほぼ中央に位置するが、ここに来訪神に関する行事が伝えられている。この神は、ボゼと呼ばれ、異様な容姿をもち、畏(かしこ)くも怖ろしいものとされており、盆の最終日となる旧暦七月十六日の夕刻に現れ、人びとの邪気を追い祓う。 トカラ列島は、薩南諸島に属する島嶼群で、それらほぼ全島群をもって行政区分としての十島村を構成している。このうち、悪石島は面積約7・49㎢、周囲を約12・64㎞とし、現人口は約70人、世帯数は約40世帯である。およそ断崖絶壁に囲まれ、平坦な土地は少なく、大半は琉球竹で覆われれている。島の伝統的な生業は焼畑と漁業であったが、戦後、昭和27年の本土復帰、続く昭和28年の離島振興法などを契機に、島内の道路整備や港湾施設の改良が進められ、現金収入が進展してくると、従前の農漁業は衰退していった。今日では、肉牛を中心とする畜産業や通船作業が主な収入源となっている。 当地の集落は、島の西南にある港近くの浜集落と南部にある上集落の2つがあるが、ボゼが登場するのは後者である。上集落は、トンチと呼ぶ島の開祖の地を中心に家並みが展開する。集落西方には、単にテラあるいはテラ跡と称する広場があって、この奥手にムラの墓地がある。また、墓地のさらに西裏にはスバタケ、シバタテと呼ぶ海を臨む場所があり、ここはかつて出漁時に柴を立て、安全確認の標場としたところだという。一方、トンチの北東には公民館があり、古くは釈迦堂があったと伝え、やはり広場が設けられている。これらトンチ、テラ・墓地、シバタテ、公民館(釈迦堂)広場といった諸所が、島の盆行事が行われる主要な空間となっている。 悪石島のボゼは、旧暦の7月7日から16日にわたって行われる盆行事の最終日に現れる。盆行事の概略としては、7日を墓参りの日とし、家によっては笹飾りを屋敷の入り口に立てておく。夕方、所定の時間には公民館広場とシバタテにて浴衣姿の男たちによる盆踊りがある。盆踊りは、この日のほかにも同様にして9日・11日・13日と行われるが、かつては毎晩であった。さらに、14日・15日・16日にも盆踊りは続くが、これらとは場のあり方が異なっている。こうして13日を迎えると、早朝より墓掃除があり、日中、各家では遺影や位牌を仏壇から出して床の間に飾り、迎え盆の準備にあたる。この日の夕方にある盆踊りの前後には、提灯を持って墓参し、先祖の霊を迎えに行く。 14日の早朝からは、男たちによってテラでボゼの面作りがはじめられる。竹伐りののち、テゴと呼ぶ農作業用の籠を本体とし、竹ヒゴを組み込むなどして三体分の骨組みを仕上げ、昼前までには終えておく。夕方前になると墓参りがあるが、この際には、水の子と称した、ナスやサツマイモ、ウリ、カボチャの花などを細かく刻んで、アワとともに和えたものを少量供え、ショウハギの葉で水を振り払うようにかけていく。詣る箇所は、テラの小屋前に設けられた仮設の施餓鬼棚、当主夫婦と縁のある諸墓、路傍の石仏・小祠等々であるが、こうして詣ることを水祭りという。この日の水祭りはテラからはじめ、公民館裏手に祀る荒神で終わりとし、この後、皆が集まったところで同所広場にて盆踊りがある。 15日は、朝から前日に引き続き面の仕立てで、昼前までに骨組みに紙を貼って乾燥させておく。昼過ぎには近親宅を廻って線香をあげたのち、前日とは逆順に公民館側よりテラに向かって水祭りをする。そして、男たちが出揃ったところでテラにて盆踊りを行うが、この場合に限って、最後は踊りながら墓を通り抜けるということをする。次に、公民館に移って再び盆踊りがあり、終わって一旦解散とし、夜にはトンチに集合、今度は小二才・大二才と呼ぶ二組に分かれ、それぞれで家廻りの盆踊りがはじめられる。最初と最後の家は決まっており、そこでは共に踊るため、男たち全員が当家の庭先で行い、終わると酒肴の接待がある。頃合いを見計らって、小二才、大二才の二手となるが、先々で接待を受けるため、次第に酔いも回って夜半となる。なお、二才とは若衆のことであり、小二才は若年層、大二才は壮年層としていたが、昨今では高齢化が進み、50歳前後が目安ともいうが、極めて不分明である。また、接待を終えた家では提灯を持って墓参し、先祖の霊を送りに行く。 16日は、同じく朝から面に取り掛かり、昼前までには塗りあげて完成させる。彩色には、アカシュといって赤土を水で溶いたものを使って地色とし、墨で縞模様を描いていく。また、枝を伐ってボゼマラと称する男根を模した1mほどの杖を3本作り、アカシュを塗っておく。この日は水祭りはないが、前日と同様、夕方前にはテラで盆踊りがあり、終わると人びとは公民館に移動し、暫時休憩したのち再び踊りとなる。この間、テラでは選ばれた心身健全な若者3名が面を被り、体にはビロウの葉を巻き付け、手足にはシュロの皮やツグの葉を当てがうなどしてボゼに扮していく。ただし、この有様は絶対に見てはならないとされており、テラへの立ち入りも厳禁となる。こうして広場での踊りがひと段落すると、不意に太鼓が叩かれはじめ「東西東西、ボゼを出すぞ、遠からん者は音に聞け、近くの者は寄って目にも見ろ」との口上で、ボゼが呼び出される。 ボゼは、呼び太鼓の音に導かれ、盆踊りで人びとが集まる広場に現れる。ボゼは、ボゼマラの先端に付けた赤い泥を擦り付けようと、観衆を追い回すことから、あたりは笑いと叫びで騒然となっていく。この泥を付けられると、悪魔祓いの利益があるとされ、特に女性は子宝に恵まれるなどという。騒ぎがしばらく続いたのち、太鼓の音がゆったりとしたリズムに変わると、ボゼは体を揺するようにして踊りはじめ、再度急変の調子で再び暴れだし、やがてその場を去っていく。こうして、邪気が祓われ、清まった人びとの安堵と笑顔が満ちるなか、最後に盆踊りがもうひと踊りされ、以後は余興と称して夜が更けるまで歌って踊り、皆して飲食に興じる。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)