国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
秩父吉田の龍勢
ふりがな
:
ちちぶよしだのりゅうせい
秩父吉田の龍勢
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
娯楽・競技
その他参考となるべき事項
:
指定証書番号
:
指定年月日
:
2018.03.08(平成30.03.08)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
埼玉県
所在地
:
保護団体名
:
吉田龍勢保存会
秩父吉田の龍勢
解説文:
詳細解説
本件は,埼玉県秩父市下吉田にある椋神社の秋季例大祭に,龍勢と呼ばれる打ち上げ式の煙火を製造し,五穀豊穣や天下泰平等を祈願して奉納する行事である。
龍勢は,松材をくりぬいて作った火薬筒に黒色火薬を詰めてタガを掛け,竹製の矢柄を長く取り付けたもので,全長は20mほどあり,「農民ロケット」とも呼ばれている。
龍勢の製造と打ち上げは,耕地と呼ばれる小集落を基礎とする27の流派ごとに行われ,この流派が製造技術や仕掛け等に独自の伝承と系統を持つ。例大祭当日は,芦田山の麓に設けられた櫓から,30本の龍勢が一日かけて打ち上げられる。口上の後,点火された龍勢は,白煙を噴きながら300mほど上空まで舞い上がり,背負物と呼ばれる落下傘や唐傘,有色の花火玉等の仕掛けを空中で鮮やかに展開させる。
(解説は指定時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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秩父吉田の龍勢
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解説文
本件は,埼玉県秩父市下吉田にある椋神社の秋季例大祭に,龍勢と呼ばれる打ち上げ式の煙火を製造し,五穀豊穣や天下泰平等を祈願して奉納する行事である。 龍勢は,松材をくりぬいて作った火薬筒に黒色火薬を詰めてタガを掛け,竹製の矢柄を長く取り付けたもので,全長は20mほどあり,「農民ロケット」とも呼ばれている。 龍勢の製造と打ち上げは,耕地と呼ばれる小集落を基礎とする27の流派ごとに行われ,この流派が製造技術や仕掛け等に独自の伝承と系統を持つ。例大祭当日は,芦田山の麓に設けられた櫓から,30本の龍勢が一日かけて打ち上げられる。口上の後,点火された龍勢は,白煙を噴きながら300mほど上空まで舞い上がり,背負物と呼ばれる落下傘や唐傘,有色の花火玉等の仕掛けを空中で鮮やかに展開させる。 (解説は指定時のものをもとにしています)
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詳細解説
秩父吉田の龍勢は、埼玉県秩父市下吉田にある椋神社の秋季例大祭に、「龍勢」と呼ばれる打ち上げ式の煙火を製造し、五穀豊穣や天下泰平などを祈願して奉納する行事である。 龍勢は、火薬筒に竹製の矢柄を長く取り付けた形状や白煙を噴きながら空高く舞い上がる様子から「農民ロケット」とも呼ばれている。 秩父市は、埼玉県の北西部に位置し、周囲を山々に囲まれた秩父地方の中心地である。龍勢が伝承される吉田地域は、秩父盆地の最北部にあり、農林業を主な生業とする。平成17年に秩父市に合併する以前は秩父郡吉田町で、その中心は吉田川と赤平川が合流し、往還も交差する下吉田地区である。 椋神社は、秩父地方では、秩父神社とともに『延喜式神名帳』に記載のある古社である。当社の縁起によれば、日本武尊が東征の折にこの地で迷ったところ、杖としていた矛が光を放ち、猿田彦大神が現れて先を導き難を逃れたことから、矛を御神体として祀ったのがその始まりとされる。 氏子は、椋元八耕地と呼ばれる神社周辺の集落を中心に下吉田、久長、阿熊の各地区で、信仰圏は、秩父市をはじめ小鹿野町や皆野町、長瀞町に及んでいる。 龍勢の起源については、椋神社の創建伝承と関連し、日本武尊の矛先より発した光を氏子たちが尊び、吉田川の河原で大火を焚き、その燃えさしを空高く投げ上げて神を慰めたことが後世、火薬を用いた龍勢に発展したとする説や戦国時代の狼煙に由来する説などが伝えられている。 現在確認されている龍勢の古い記録は、下吉田村出身の国学者で、椋神社の神職もつとめた田中千弥が記した『田中千弥日記』で、慶応3年(1867)9月に2つの耕地が連合して12本の日傘をつけた「龍勢」を打ち上げた記録がみえる。また、明治2年(1869)に上吉田村の新井忠次が龍勢の製造法や火薬の仕様を書き留めた『花火傳覚帳』は、現在と変わらぬ高度な内容を伝えており、少なくとも明治初期の段階で現在とほぼ同等の知識や技術をもって龍勢が打ち上げられていたと考えられる。なお、龍勢の呼称については、雲中を龍が翔るように打ち上がることからその名があるとされる。 龍勢は、椋神社の氏子で、耕地と称する小集落を基礎に形成されている流派ごとに製造され、打ち上げられる。耕地とは、神社のある下吉田地区とその周辺の山間部に暮らす家々の集まりのことで、1つの耕地あるいは複数の耕地を単位に青雲流や高雲龍など27の流派がある。これらの流派は、龍勢の製造技術や仕掛けに独自の伝承を持ち、競い合って龍勢を奉納してきた。現在は、吉田龍勢保存会の指導と管理のもと、各流派が龍勢の製造作業の責任者を定めるとともに、火薬の取扱いの保安講習会を毎年数回実施するなど、安全面に配慮しながら行事の実施と伝承につとめている。 煙火としての龍勢は、火薬筒と背負物、矢柄の3つの組合せを基本構造とする。火薬筒は、松材を刳り貫き、周囲に竹製のタガを掛けたもので、その中に黒色火薬が詰められている。この火薬筒からバランスをとる役目をする矢柄が長く取り付けられ、全長は20m前後となる。背負物は、落下傘や唐傘、長旗、有色の花火玉などの仕掛けのことで、火薬筒の上に結び付けられ、上空で切り離される仕組みとなっている。 龍勢の製造は、棟梁と呼ばれる熟練者を中心に行われる。松や竹などの材料の伐り出しが前年の冬の間に行われ、以後、行事当日までに、火薬筒作り、タガ掛け、背負物の準備、筒に粘土を詰める粘土こなし、火薬の配合と詰込み、噴射口を開ける錐もみ、矢柄の取り付けなどの一連の作業が進められる。これらの作業は、昭和30年代初めまでは各耕地で行っていたが、火薬の取扱い上の問題から、その後は市内の花火店に出向いて作業を行うようになり、平成6年には龍勢製造所を地区内に設け、以後はこの施設内で作業を行っている。 また、8月になると、その年の例大祭に龍勢の打ち上げを希望する流派が椋神社を訪れ、社務所で受付をする。龍勢の奉納数は30本と定められており、同月末にその年の30本を確定し、打ち上げ順を籤引きで決める。龍勢の奉納は、かつては耕地を中心に行われてきたが、近年は地元企業や有志のグループなどが費用を負担して奉納者となり、流派が製造者となって打ち上げる形式が増えている。 椋神社の秋季例大祭は、毎年10月第二日曜日に行われる。当日は、早朝に椋神社で採火式があり、龍勢の火種が作られる。これを神輿に載せて各流派の代表が担ぎ、幣を先頭に芦田山の麓にある打ち上げ櫓に運ぶ。各流派は、準備が整うと、龍勢製造所の敷地内にある保管場所から龍勢を担ぎ出し、櫓へ向かう。これを練りといい、かつては各耕地から椋神社まで集落内を蛇行しながら勢いよく練り歩いたという。櫓の手前には待機場所があり、ここに龍勢を置いて前の流派の奉納を待つ。順番が来ると、龍勢を櫓の真下に運び、火薬筒を上にして縄で櫓上部に引き上げ、導火線を垂らして態勢を整える。櫓の頂部に流派の若者が上がり、幣を左右に振りながら、五穀豊穣などを祈る口上を述べる。これに呼応して、神社の境内に設けられた口上櫓でも流派の者が口上を述べ、最後に「椋神社大前に御奉納」の言葉が発せられると、それを合図に龍勢に点火され、打上げとなる。龍勢は、白煙を噴きながら約300mほど上空まで勢いよく舞い上がり、落下傘などの背負物を空中で展開させる。神社と打ち上げ櫓の間に設けられた桟敷には観衆が群がり、龍勢が上がるたびに歓声を上げ、その年の出来をそれぞれに評価する。龍勢は、背負物の仕掛けをはじめ、上昇の速度や音、回転などが流派で異なり、それぞれに工夫が凝らされていて見所となっている。このように1日かけて夕方まで龍勢が奉納され、すべての奉納後は、流派ごとに直会が行われ、行事は終了となる。 打ち上げ式の煙火は、一般に花火とも称され、夏の風物詩として全国各地で行われているが、本件は、神社祭祀に伴う奉納行事として伝えられているものである。このような民間に伝承されてきた打ち上げ式の煙火は、龍勢や流星などと呼ばれ、関東地方や東海地方、近江地方などにその存在が知られているが、現存例は少なくなっており、埼玉県内では、秩父地方の小鹿野町や皆野町でも行われていたが、すでに伝承が途絶えている。そうした中で、本件は、龍勢の製造から打ち上げまでを地域の人たちが行っている打ち上げ式の煙火の希少な伝承例であり、行事の規模も大きく、伝承状況も良好で、同種の行事の典型例と考えられる。また、当地では、龍勢製造所を地域内に設け、火薬の管理や製造に取り組んでおり、保存の体制も整っている。我が国における奉納煙火の習俗の変遷や地域的な展開を考える上で重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)