国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
与論島の芭蕉布製造技術
ふりがな
:
よろんじまのばしょうふせいぞうぎじゅつ
イトバショウの皮剝ぎ
写真一覧▶
解説表示▶
種別1
:
民俗技術
種別2
:
衣食住
その他参考となるべき事項
:
指定証書番号
:
516
指定年月日
:
2020.03.16(令和2.03.16)
追加年月日
:
指定基準1
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
鹿児島県
所在地
:
保護団体名
:
与論島芭蕉布保存会
イトバショウの皮剝ぎ
解説文:
詳細解説
与論島の芭蕉布製造技術は、鹿児島県大島郡与論町に伝承されている、イトバショウの繊維を原材料として「芭蕉布」と呼ばれる伝統的な布を製造する技術である。与論島では、芭蕉布はバシャヌヌと呼ばれ、普段着や仕事着、帯などに主に用いられてきた。芭蕉布の製造は、イトバショウの栽培からはじまり、伐採と皮剥ぎ、皮の選り分け、灰汁による皮の煮炊き、繊維の採取、糸づくり、米糠によるアク抜き、整経、織りの工程からなる。イトバショウの繊維は、芯に近いほど上質となるため、ウヮーゴ(外)、ナーゴ(中)、ナーグ(内)の3種類に丁寧に選り分けて糸にする。糸づくりは、フーウミと呼ばれ、灰汁で煮て不純物を取り除いた繊維を陰干しした後、細かく裂いて、1本ずつ指先で繋ぎ、時間をかけて長い1本の糸にする。その後、糸車で撚りを掛け、精練、整経の工程を経て、高機で織る。織りは、平織であるが、芭蕉の糸は切れやすいため、適度な力加減と糸の操作が必要であり、熟練を要する。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
イトバショウの皮剝ぎ
〇高機での織り
〇糸づくり
写真一覧
イトバショウの皮剝ぎ
写真一覧
〇高機での織り
写真一覧
〇糸づくり
解説文
与論島の芭蕉布製造技術は、鹿児島県大島郡与論町に伝承されている、イトバショウの繊維を原材料として「芭蕉布」と呼ばれる伝統的な布を製造する技術である。与論島では、芭蕉布はバシャヌヌと呼ばれ、普段着や仕事着、帯などに主に用いられてきた。芭蕉布の製造は、イトバショウの栽培からはじまり、伐採と皮剥ぎ、皮の選り分け、灰汁による皮の煮炊き、繊維の採取、糸づくり、米糠によるアク抜き、整経、織りの工程からなる。イトバショウの繊維は、芯に近いほど上質となるため、ウヮーゴ(外)、ナーゴ(中)、ナーグ(内)の3種類に丁寧に選り分けて糸にする。糸づくりは、フーウミと呼ばれ、灰汁で煮て不純物を取り除いた繊維を陰干しした後、細かく裂いて、1本ずつ指先で繋ぎ、時間をかけて長い1本の糸にする。その後、糸車で撚りを掛け、精練、整経の工程を経て、高機で織る。織りは、平織であるが、芭蕉の糸は切れやすいため、適度な力加減と糸の操作が必要であり、熟練を要する。
詳細解説▶
詳細解説
与論島の芭蕉布製造技術は、鹿児島県大島郡与論町に伝承されている、イトバショウ(糸芭蕉)の繊維を原材料として「芭蕉布」と呼ばれる伝統的な布を製造する技術である。 与論島は、鹿児島県の最南端、奄美群島を構成する島々のなかで最も南に位置する。東は太平洋、西は東シナ海に面した隆起珊瑚礁からなる平坦な島で、1島で1町を形成している。地理的には亜熱帯に属し、1年を通して温暖な気候で、生業は農業を中心に漁撈や製糖などが営まれてきた。 芭蕉布は、イトバショウの葉鞘から採取した繊維を糸にして織られる布で、鹿児島県の奄美地方と沖縄県にみられる。古くは琉球国の官服に使用され、近世には琉球を支配した薩摩藩への貢納品でもあったことが知られるが、生地が薄くて軽く、風通しのよい独自の風合いをもつ芭蕉布は、高温多湿な南西諸島の気候風土によく適しており、庶民の身近な衣料として利用されてきた。近世末期から明治初期の奄美地方の風土や生活を記録した『南島雑話』や『南島誌』などの地誌には、芭蕉布の製造法や芭蕉の衣服が奄美の島々で広く日常的に用いられていたことが記されている。 与論島では、芭蕉布はバシャヌヌと呼ばれ、普段着や仕事着、晴れ着、帯などに主に用いられてきた。 芭蕉布が島の生活のなかに息づいていたのは昭和20年代までであり、昭和30年代に入ると、製糖工場の建設や紬織りによる現金収入の増加、木綿の普及などによって、島の経済や生活様式は様変わりし、女性が家内で芭蕉布を織ることも次第に行われなくなり、芭蕉の衣類も日常生活から姿を消した。こうした状況のなかで、昭和55年に島の有志によって「与論島芭蕉布保存会」が結成され、芭蕉布の製造が今日に継承されている。保存会の活動は、屋外型の民俗資料館である与論民俗村の施設内で1年を通して行われており、一般公開もされている。 芭蕉布の製造は、原材料の栽培と伐採、皮剥ぎと皮の選り分け、灰汁による皮の煮炊き、繊維の採取、糸づくり、アク抜き、整経と織りの工程からなる。保存会では、イトバショウの栽培も自ら行っており、島内に専用の芭蕉畑を持ち、原材料の安定的な供給に努めている。栽培は、新芽が出ると株わけして増やし、4年ほどかけて中心部から繊維が採れる大きさに育てる。芭蕉布を1反織るには、200本から300本のイトバショウが必要となる。伐採は、イトバショウの幹内の水分が適度となる11月から始まる。外皮が枯れ、2mほどに成熟したものを選び、8月頃から先端部を切り詰めて成長を止め、幹を均等な太さにするために、ハウチと称して葉を切り落としておく。伐った幹は、切り揃え、根を上にして外皮から内側に1枚ずつ手で縦に剥いでいく。皮は、1本の幹から20枚ほど採れ、ウヮーゴ(外)、ナーゴ(中)、ナーグ(内)の3種類に選り分ける。芯に近い部分ほど上質の繊維が採れ、ナーグは晴れ着用、ウヮーゴは仕事着用など繊維の質ごとに使い分けする。剥いだ皮は、さらにオモテ(表皮)とウラ(外皮)に剥ぎ分け、オモテの方を糸の繊維として使う。 次に剥いだオモテを煮て繊維を柔らかくする作業に移る。オモテは、数枚を重ねて折り結び、バシャタバイと呼ばれる束にして大釜に入れ、パイジル(灰汁)で2時間ほど煮る。パイジルは、アダンやソテツ、ガジュマルなどの葉や実の殻を焼いて作ったアルカリ成分の強い木灰を用いる。バシャタバイは、赤褐色になると釜から引き揚げ、水に浸け置いてアクを取る。その後、バシャピキクダと呼ばれる扱管を用いて、オモテを1本ずつ丁寧にしごいて不純物を取り除き、フ―と呼ばれる繊維質を取り出す。フーは陰干しして乾燥させた後、繊維の質ごとに分けて手で巻き、フーチグル(糸玉)にする。 繊維の採取が終わると、4月から糸づくりが始まる。糸づくりは、フーウミと呼ばれ、最も手間のかかる工程である。フーチグルを水に浸し、指先で繊維を細かく裂いて糸にし、2本の糸の元と先を繋ぎ、継ぎ目の余りを刃物で切り取る。この作業を繰り返し、時間をかけて1本の長い糸に績んでいく。績んだ糸は、パタ(糸車)で撚りを掛ける。経糸用の糸は枝毛が出ないように7~8回、緯糸用の糸は2~3回撚りを掛ける。撚り掛けした糸は、米糠を入れた湯で煮てから水洗いし、陰干しする。こうすることでアクと渋が十分に抜け、繊維に光沢が出て丈夫な糸になるという。糸は、再度パタに掛けて管に巻き取る。なお、芭蕉布は、無地を基本とするが、絣や縞の晴れ着などを作る場合は、糸染めの工程がこの後に入る。染めは草木染と藍染で、草木染の場合、黒・茶系統の色はシャリンバイ、黄・橙系統の色はフクギを材料とする。文様は、細かい絣柄が与論島の芭蕉布の特徴とされる。 糸ができ上がると織りの工程に入る。織りは、糸に湿り気が出る6月から行う。織るものに応じて経糸の長さと本数を決め、ハッシー(桛)に掛けてアゼを作り、長く伸ばしてフーサ(筬)の目に通して巻き取る。こうして整経した経糸を高機に掛け、ヒジキ(杼)で緯糸を通しながら織っていく。織り組織は平織であるが、芭蕉の糸は切れやすいため、織り方にも適度な力加減と糸の操作が必要であり、熟練を要する。着尺1反を織り上げるのに半年から1年はかかるという。なお、保存会には、島で織られた芭蕉布の衣類が数多く収集されており、技術を伝承する上での貴重な資料となっている。