国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
放生津八幡宮祭の曳山・築山行事
ふりがな
:
ほうじょうづはちまんぐうさいのひきやま・つきやまぎょうじ
02放生津八幡宮祭の曳山・築山行事_曳山行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開期日は毎年9月30日から10月2日
指定証書番号
:
517
指定年月日
:
2021.03.11(令和3.03.11)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
富山県
所在地
:
富山県射水市
保護団体名
:
放生津八幡宮曳山・築山保存会
02放生津八幡宮祭の曳山・築山行事_曳山行事
解説文:
詳細解説
本件は、富山県射水市にある放生津八幡宮の秋季祭礼に行われ、13基の曳山が市内を揃って巡行する「曳山行事」と、放生津八幡宮の境内に臨時の山を置き、神仏の人形などを飾る「築山行事」から構成される。江戸時代を通じて、この2つの「山」行事が伝承され、現在に至る。
曳山行事は、昼間は、花傘や人形などで美しく飾られた「花山」、夜は、四方を数多くの提灯で四角く囲んだ「提灯山」となり、旧新湊市街地を賑やかに巡行する。
一方、築山行事は、山に見立てた雛壇様の築山台に海上から神霊を迎えて祀った後、主神と四天王の人形を安置し、その前方に、飾人形と称して、地域ゆかりの人物や歴史に取材した場面を、毎年趣向を凝らして表現し、一般に公開する。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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02放生津八幡宮祭の曳山・築山行事_曳山行事
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解説文
本件は、富山県射水市にある放生津八幡宮の秋季祭礼に行われ、13基の曳山が市内を揃って巡行する「曳山行事」と、放生津八幡宮の境内に臨時の山を置き、神仏の人形などを飾る「築山行事」から構成される。江戸時代を通じて、この2つの「山」行事が伝承され、現在に至る。 曳山行事は、昼間は、花傘や人形などで美しく飾られた「花山」、夜は、四方を数多くの提灯で四角く囲んだ「提灯山」となり、旧新湊市街地を賑やかに巡行する。 一方、築山行事は、山に見立てた雛壇様の築山台に海上から神霊を迎えて祀った後、主神と四天王の人形を安置し、その前方に、飾人形と称して、地域ゆかりの人物や歴史に取材した場面を、毎年趣向を凝らして表現し、一般に公開する。
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詳細解説
放生津八幡宮祭の曳山・築山行事は、富山県射水市にある放生津八幡宮の秋季祭礼に行われ、13基の曳山が市内を勇壮に巡行する曳山行事と、八幡宮の境内に臨時の山を置き、神仏の人形などを飾る築山行事の2つの「山」行事から構成される。 射水市は、富山県西部に位置し、北は富山湾に面し、市域の大部分は低平な射水平野が広がる。市域の東西には、県内の二大都市である富山市と高岡市があり、平成17年に新湊市と射水郡の三町一村が合併して誕生した。本行事は、放生津八幡宮が鎮座し、市域の北部にある旧新湊市街地を中心に行われる。この地域は、放生津潟から西へ流れる内川の南北に発達した中世以来の港町であり、漁業や廻船業などで栄え、現在は、富山新港を中心とする臨海工業地帯として新たな経済的発展をみせている。 放生津八幡宮は、天平年間(729~749)に越中国司の大伴家持が宇佐八幡宮を勧請したことに始まるとする創建伝承をもつ古社で、応神天皇を主祭神として祀る。古くは奈古八幡宮と称し、明治42年(1909)に現在の神社名に改称した。この八幡宮の最大の行事が毎年9月30日から行われる秋季祭礼で、曳山行事は10月1日(曳山巡行)、築山行事はその前後の9月30日(魂迎式・築山祭)、10月2日(築山祭)の2日間行われる。 曳山行事は、慶安3年(1650)の創始を伝える古新町の曳山を最古とし、文久2年(1862)に新興の南立町が曳山を建造したことで、現在と同じ13基の曳山が揃っている。放生津は、17世紀末からこの地域の経済的な拠点となる在郷町としてしだいに発達していくが、町の成熟とともに曳山の数も増え、曳山行事も都市的な祭礼に発展していったと考えられている。一方、築山行事は、放生会での「山作」を伝える享保15年(1730)の記録や弘化2年(1845)の氏子による「築山台」の寄進の記録などがあり、近世後期には、現在と同様の人形を飾る築山の形態が成立していたと推測されている。行事の運営については、放生津八幡宮曳山・築山保存会が全体を統括し、その傘下の団体で、曳山を保有する「曳山町」から構成される新湊曳山協議会、八幡宮の氏子総代を中心に組織される放生津八幡宮築山保存会が行事の執行を担当している。 曳山行事は、8月上旬から、巡行の順番である曳山番附を決める鬮取式、曳山に乗せる人形を安置する山宿の設置、人形に神霊を降ろす入魂式、各曳山町が自町内で行う町内曳きなどを経て、当日の巡行を迎える。曳山巡行は、各町の曳山が放生津八幡宮から順番に出発し、神輿渡御に随行する形式で行われる。曳山は、古新町、長徳寺、奈古町、中町、四十物町、東町、荒屋町、三日曽根、新町、紺屋町、立町、法土寺町、南立町の13基で、毎年固定の「鬮除け一番山」である古新町を先頭とし、曳山番附の順番に従い、一列になって進む。古新町を除く12基の曳山は、内川を境に南北六町ずつが「前山」(二番山から七番山)と「後山」(八番山から一三番山)に分けられ、1年交替で入れ替えとなる。 曳山の巡行は、本曳きと呼ばれる。曳山は、昼は「花山」、夜は「提灯山」となり、曳山町の範囲となる旧新湊市街地を囃子に合わせ、1日かけて巡行する。曳山は、港町の狭い街路を進み、曳き子が息を合わせ曲がり角を勢いよく曲がる「角回し」が見せ場となっており、最後に八幡宮に戻ってから曳き別れとなり、各町内へ帰る。 花山は、高さ8メートル前後の四輪の外車形式で、車輪と長手で構成する地山の上に、彫刻や錺金具、高欄が付く下山、中山、上山が載る縦長の重層構造をとる。下山には囃子方が乗り込み、上山には町の守護神で、王様と呼ばれる人形を置き、その前方に前人形と呼ばれるからくり人形を飾る。地山から上山までは心柱が貫いており、その頂部に標識と称される大型の飾り、その下に放射状に垂れる花傘が付く。この心柱に由来して、曳山は「本」とも数えられる。13基のうち、中町の曳山は、花傘がなく、上山が回転する独特の構造を持つ。一方、提灯山は、花傘部分を取り外し、中山から上部を数多くの提灯で四角く囲んだ形態をとり、巡行時には、曳山全体が行燈のような趣をみせる。 築山行事は、9月30日に八幡宮の境内において、海から神霊を迎えて築山に遷す「魂迎式」と「築山祭」(小祭)が行われる。築山は、行事のたびに組み立てる臨時の祭壇で、高さ約3メートル、幅約6メートル、奥行き約3メートルの雛壇様の形態をとる。魂迎式は、海から迎えた神霊を御舟代と称される小型の木造船に宿らせる儀礼で、続いて行われる築山祭で、神霊を築山上に立てた神籬に遷す。その後、10月2日の早朝に「築山飾」と称して、人形の飾り付けを行う。人形は、主神人形、四天王人形、飾人形の三種がある。主神人形は、ウバガミと呼ばれる鬼女の容貌を持つ山の神で、最上段にある屋形の上に安置される。四天王は、下段の四隅に置かれ、甲冑を着けて鉾を持つ。下段の中央には、飾人形が置かれ、地域ゆかりの人物や歴史に取材した場面が毎年趣向を凝らして表現される。築山飾が完成すると、築山に神霊を降臨させて祀る「築山祭」(大祭)が行われる。その後、築山は、当日の日没までの間だけ参詣者に公開される。なお、同日の午後には、神饌として生きた鳥と魚を八幡宮の神前に供えた後、自然に放つ放生会式が執り行われる。 また、当地の曳山行事は、周辺地域の祭礼に大きな影響を与えてきた。放生津の曳山の型式や運行の仕方は、近世後期以降、伏木や海老江、氷見など富山湾沿岸の港町で受容され、放生津を中心とする一つの祭礼文化圏を形成するに至っている。一方、築山行事は、かつては石川県中能登町にある石動山の梅宮祭でも行われていたが、明治期に廃絶しており、現在は、放生津八幡宮と高岡市の二上射水神社に伝承されるのみとなっている。