国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
川内大綱引
ふりがな
:
せんだいおおつなひき
重無民_綱練_綱の製作
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
娯楽・競技
その他参考となるべき事項
:
・公開日
毎年秋分の日の前日
指定証書番号
:
542
指定年月日
:
2024.03.21(令和6.03.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
鹿児島県
所在地
:
薩摩川内市
保護団体名
:
川内大綱引保存会
重無民_綱練_綱の製作
解説文:
詳細解説
本件は、鹿児島県薩摩川内市に伝承される大規模な綱引き行事で、稲藁で編んだ長大な綱を上半身裸の男性たちが上方と下方に分かれて勇壮に引き合う。
川内大綱引は、綱練と呼ばれる綱の製作と、本綱と呼ばれる本番の綱引きから主に構成される。綱練は、行事当日の早朝より、多く市民や市内の団体などが参加して行われ、半日掛かりで大きな綱を練り上げる。綱の形態は、一本綱で両端にワサと呼ばれる大きな輪が付くのが特徴である。本綱は、当日の夜、市の中心市街地を通る国道 3号の路上を会場として行われる。上方と下方の両陣営ともに、一番太鼓や大将、押大将などの指揮のもと、太鼓隊や引隊、押隊などの集団が連携して動き、攻防を繰り返しながら綱を引き合う。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
重無民_綱練_綱の製作
重無民_本綱_上方と下方に分かれての綱引き
写真一覧
重無民_綱練_綱の製作
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重無民_本綱_上方と下方に分かれての綱引き
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解説文
本件は、鹿児島県薩摩川内市に伝承される大規模な綱引き行事で、稲藁で編んだ長大な綱を上半身裸の男性たちが上方と下方に分かれて勇壮に引き合う。 川内大綱引は、綱練と呼ばれる綱の製作と、本綱と呼ばれる本番の綱引きから主に構成される。綱練は、行事当日の早朝より、多く市民や市内の団体などが参加して行われ、半日掛かりで大きな綱を練り上げる。綱の形態は、一本綱で両端にワサと呼ばれる大きな輪が付くのが特徴である。本綱は、当日の夜、市の中心市街地を通る国道 3号の路上を会場として行われる。上方と下方の両陣営ともに、一番太鼓や大将、押大将などの指揮のもと、太鼓隊や引隊、押隊などの集団が連携して動き、攻防を繰り返しながら綱を引き合う。
詳細解説▶
詳細解説
川内大綱引は、鹿児島薩摩川内市に伝承される大規模な綱引き行事である。稲藁で編んだ長大な綱を上半身裸の男性たちが二つの組に分かれて勇壮に引き合うもので、市内をはじめ周辺地域からも多くの参加者や観客が訪れ、鹿児島県内でも最大の綱引き行事となっている。 薩摩川内市は、鹿児島県の北西部に位置し、川内平野を中央に擁する本土側の地域と東シナ海に浮かぶ甑島列島から成る。本土側の市域は、「川内」と称される旧川内市の範域を中心に、川内平野の西側に市街地が広がり、県下最大の河川である川内川が東西に貫流する。古代には薩摩国の国府や国分寺が置かれるなど古くから北薩地域の中心地であり、川内川の水運を利用した河港都市としても栄えた。近代以降は、焼酎などの食品加工業や製紙、電子部品などの製造業が盛んとなり、商業都市として発展し、現在に至る。川内大綱引は、この川内地域の中心市街地を通る国道3号線の路上を会場とし、毎年秋分の日の前日に行われる。 本行事は、南九州において、旧暦8月15日を中心に広く行われている十五夜綱引きを基調とし、その由来に関しては、島津義弘が慶長の役に際して、兵士の士気を高めるために行ったのがその始まりと伝えられるが詳らかでない。かつては、川内の複数の地区がそれぞれに十五夜綱引きを伝承しており、それらを総称して川内の綱引きなどと呼んでいたが、明治時代以降、次第に地区が合同で行うようになり、現在は、川内川に掛かる太平橋を境に南北に位置する向田と大小路の2つの地区が中心となって行事が伝承されている。行事の実施と運営は、川内大綱引保存会の主導のもと両地区の輪番制で行われ、地区再編の経緯から向田、向田、大小路の順番で3年を一巡とする。向田開催の年は、実施場所も太平橋の南側、向田側の国道3号の路上となり、綱引きの対抗関係は、向田地区を上方と下方に分け、そこに大小路地区の下方と上方が加勢する形式で行われる。一方、大小路開催の年は、反対の北側の国道路上が会場となり、大小路に向田側が加勢して行われる。公開日は、昭和20年代までは旧暦8月16日であったが、何度かの変遷を経て昭和52年(1977)から現行の期日に固定している。 川内大綱引は、綱練と呼ばれる綱の製作と本綱と呼ばれる本番の綱引きから主に構成される。綱練は、多くの市民や市内の団体が参加し、行事当日の早朝から午後にかけて、綱引き会場の国道3号と交差する県道の路上で行われる。綱は、長さ365メートル、重さ約7トンに及ぶ大綱で、稲藁を材料として毎年新しく作られる。綱の形態は、3本に撚った綱をさらに3つ編みにした一本綱で、両端にワサと呼ばれる大きな輪が付くのが特徴である。綱練には、稲藁で綯った縄を道路の両端に置かれた立山と寄山と呼ばれる2つの櫓の間に順繰りに渡していき、3つの束に分けて小綱を作る。この3本の小綱を立山で固定し、寄山で縒りを掛け、一本の大綱に練り上げる。最後に綱の中心を決めて化粧縄を巻きつけ、綱の端部を輪状に編み込んでワサを作る。この大綱のほかに、大綱に付けて用いる長さ4メートル程の引綱も用意しておく。 こうして綱が完成すると、綱出と称して、綱練に参加した人たちが綱を肩に担ぎ、国道3号の路上まで運び出す。その後、会場となる道路の中央に、丸太に化粧縄を巻いたダン木と呼ばれる支柱を立て、その上に綱の中央部を載せて、綱の設置が完了する。 本綱は、当日の夜7時頃から始まる。まず綱の中央付近に祭壇を設け、ダン木祭りと呼ばれる安全祈願の儀礼が行われる。次いで、上方と下方の参加者がそれぞれ綱の配置につく。綱引きの参加者は、上半身裸の若者が中心であり、上方は赤い旗と鉢巻き、下方は白い旗と鉢巻きを使用する。参加者は、双方の地縁的な繋がりを基盤としながらも、職業上の仲間や学校の同窓会など、上方と下方をそれぞれ支援する各種の団体があり、有力な協力団体を数多く集められるかどうかが綱引きの勝敗を左右するともいわれている。上方と下方は、綱引きを実行する統率された組織であり、太鼓隊、引隊、押隊、ワサ係の4つの集団から構成され、年齢や経験に応じて、行事全体を差配する本部長、各集団を指揮する一番太鼓、大将、押大将、ワサ長が選ばれる。とくに一番太鼓、大将、押大将は、三役と呼ばれる重要な役職で、騎馬戦のように高く担がれて移動する。太鼓隊は、一番太鼓から十番太鼓まであり、綱に沿って一列に並び、綱を引くタイミングを引隊に知らせる伝令役で、一番太鼓の合図で動く。引隊は、実際の綱の引き手で、大将が参加する団体の配置や交替の時間などを指示する。押隊は、押大将の指揮のもと綱の中央付近で相手方の引隊を妨害したり、自陣の引隊を邪魔する相手方の押隊を蹴散らしたりする。ワサ係は、綱の最後尾にいて、綱が相手陣営に大きく引き込まれたときに、綱がそれ以上引かれないようワサをダン木に引っ掛ける役割を担い、ワサ長がその取り回しを仕切る。 両陣営の引隊や押隊などが配置について準備が整うと、綱引きの始まりを告げる綱割となる。審判長が開始を宣言し、上方・下方の一番太鼓の背中を叩くと、それと同時に太鼓隊が太鼓を叩き、両陣営の引隊は一斉に綱を引き始め、押隊は相手陣営に勢いよく押し寄せる。以後、双方ともに各隊が巧みに連携しながら、また押隊同士が激しくぶつかり合いながら、およそ1時間半にわたって綱を引き合う。両陣営は、引綱をいつどの程度使うか、膠着状態になった際にいつ綱を再び引き始めるか、など作戦を立てており、こうした攻防や駆け引きが川内大綱引の大きな見所となっている。参加人数は、総勢約3,000名といわれている。 綱引きの勝敗は、所定の時間に審判長が綱の中央に鋸を入れた際に決せられ、中心部分が自陣にあった方が勝ちとなる。こうして勝敗が判定されると、太鼓を叩いてお互いの健闘を称え合い、上方、下方がそれぞれに退場し、本綱は終了する。 なお、川内大綱引保存会では、平成11年(1999)から川内大綱引の開催に先立つ毎年9月に、市内の小学生を主体とした「薩摩川内子供大綱引」を行っており、綱引き行事の次世代への継承にも努めている。