国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
瀧山寺鬼祭り
ふりがな
:
たきさんじおにまつり
火祭り
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
・公開期日 毎年旧暦正月7日に近い土曜日
指定証書番号
:
544
指定年月日
:
2025.03.28(令和7.03.28)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
愛知県
所在地
:
愛知県岡崎市(おかざきし)滝町(たきちょう)
保護団体名
:
瀧山寺鬼祭り保存会
火祭り
解説文:
詳細解説
愛知県岡崎市の瀧山寺に伝承される鬼祭りで、正月の法会である修正会に行われる。鬼祭りは、その年の豊作を祈願する庭祭りと、災厄を祓う鬼の出る火祭りから主に構成される。庭祭りでは、十二人衆と呼ばれる一団が瀧山寺境内の舞台の上で、田打ちから田植えまでの稲作の作業を模擬的に演じ、豊作を祈願する。その後、鬼面と赤い装束をつけた3匹の鬼が現れ、火祭りとなる。
火祭りでは、若い衆が持つ松明が燃え盛るなか、鬼たちは、本堂の外陣と回廊を巡り、また、手に持った大きな鏡餅を振り動かし、五穀豊穣と天下泰平が祈願される。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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火祭り
庭祭り
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火祭り
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解説文
愛知県岡崎市の瀧山寺に伝承される鬼祭りで、正月の法会である修正会に行われる。鬼祭りは、その年の豊作を祈願する庭祭りと、災厄を祓う鬼の出る火祭りから主に構成される。庭祭りでは、十二人衆と呼ばれる一団が瀧山寺境内の舞台の上で、田打ちから田植えまでの稲作の作業を模擬的に演じ、豊作を祈願する。その後、鬼面と赤い装束をつけた3匹の鬼が現れ、火祭りとなる。 火祭りでは、若い衆が持つ松明が燃え盛るなか、鬼たちは、本堂の外陣と回廊を巡り、また、手に持った大きな鏡餅を振り動かし、五穀豊穣と天下泰平が祈願される。
詳細解説▶
詳細解説
瀧山寺鬼祭りは、愛知県岡崎市滝町にある瀧山寺において、正月の法会である修正会に行われる鬼祭りである。その年の豊作を祈願する庭祭りと災厄を祓う鬼の出る火祭りから主に構成され、火祭りでは、数多くの松明が燃え盛るなか、3匹の鬼が登場して本堂の外陣や回廊を巡り、五穀豊穣と天下泰平が祈願される。 鬼祭りが伝承される瀧山寺は、市域の北部、矢作川の支流である青木川上流の山間部に位置する。三河地方を代表する天台宗の古刹で、吉祥陀羅尼山薬樹王院と号し、薬師如来を本尊とする。朱鳥元年(686)に役小角が青木川の滝壺から薬師如来を拾い上げ、一堂を建てたことに始まるという創建伝承を持ち、中世には、熱田大宮司家や三河守護の足利氏の庇護を受けて伽藍が造営され、また、近世には、徳川家の庇護のもと寺領を増やすとともに、瀧山東照宮が建立されている。現在も、鎌倉期の三門や室町前期の本堂などが残る。鬼祭りは、この本堂を中心とする瀧山寺の境内を祭場とし、旧暦の正月元日から7日間続く修正会の最終日となる結願の日に行われる。その期日は、毎年旧暦正月7日に近い土曜日と定められている。 鬼祭りは、室町前期の作とされる瀧山寺所蔵の古い鬼面の存在から、室町時代にはすでに行われていたことが推測されており、また、天明2年(1782)に書かれた「三州瀧山寺人日法会記」に詳細な記述がみえ、祭りの次第や諸役の所作などが当時の様子とともに記されている。この史料にみえる鬼祭りの構成や内容は、現在の鬼祭りとほぼ同じであり、少なくとも近世期の鬼祭りの形態が大きく変わることなく伝承されていることがうかがわれる。 鬼祭りの担い手については、瀧山寺と地下の者と呼ばれる領民が一体となって執り行ってきたと伝えられる。現在は、滝町の住民で構成される瀧山寺鬼祭り保存会が、祭りの準備から執行までを担う伝承組織として活動している。なかでも十二人衆と冠面者が重要な役割を担う。十二人衆は、谷の衆とも呼ばれ、瀧山寺領内の12の谷から選ばれた各代表の系譜を引く役職とされ、世襲制で代々その役目が受け継がれてきた。十二人衆は、祭りの準備や執行を主導し、上役と下役に分けられる。上役は、東次郎と西次郎、コツボネ、福太郎、火打ち2人の計6人、下役は、青モクサのみの6人で、庭祭りでは各自が演じる役割を持つ。冠面者は、鬼面をつけて火祭りに登場する鬼役である。鬼は、祖父、祖母、孫と称される三鬼で、それぞれに重厚な形態の面が伝来する。祖父面と祖母面を被る冠面者は、厄年の者を中心に地区の男性から、孫面を被る冠面者は、地区の小学生の男児からそれぞれ選ばれる。冠面者に選ばれた者は、祭り当日までの7日の間、肉食を絶つなど精進潔斎の生活が厳格に求められる。祭りの準備は、1月7日に瀧山寺に関係者が参集し、当日までの段取りと役割分担を決めることから始まる。これ以後、大小の松明や御幣など祭りに使う道具類の材料採取と製作、鏡餅作りが進められていく。 祭りの当日は、早朝に冠面者が青木川の滝壺に水を汲みに行き、その水で沸かした風呂に入って最後の潔斎を行う。十二人衆も、早朝から宿と呼ばれる三門近くの詰所に集まり、各自の道具や役割を確認しながら控えている。寺の使いである大役が迎えに来ると、十二人衆は正装し、宿を出発して三門へ向かう。三門では、瀧山寺住職や冠面者、大松明を担ぐ若い衆たちが彼らを出迎えて合流し、警護役の棒付を先頭に行列を組み、ゆったりとした足取りで境内の東側にある本坊に向かう。このときに行列の最後につく冠面者から沿道の見物人にタンキリ飴が配られる。一行が本坊に到着すると、十二人衆は広間に通され、夕刻まで精進料理で饗応を受ける。その後、大役に先導されて境内中央の本堂へと移動し、コツボネが祭りの開始を告げる鐘を撞く。それを合図に、祭りの諸役は所定の場所に向かい、本堂前の東西には大御幣が立てられ、祭りの場が整えられていく。 修正会の法要が本堂内陣で始まると、東次郎と西次郎が境内に祀られる日吉山王社、次いで瀧山東照宮の前で、御礼振りと称して長刀を振り、邪気を祓う。本堂前では、住職と冠面者が、鬼と化した修験者を葬り祀ったとされる鬼塚に詣り、塚に向かって煎った五穀を撒いて鬼の霊を供養する。その後、火打ちが本堂内陣の灯明から火種をとり、境内に用意された2つの大松明に点火すると本堂域は燃え上がる炎で明るくなり、庭祭りが始まる。 庭祭りは、稲作の作業過程を模擬的に演じ、その年の豊作を祈る予祝行事で、本堂正面に設けられた舞台で行われる。十二人衆のうち、火打ちと青モクサが東西に分かれ、舞台の両側に並んで配置につくと、東次郎、西次郎が順番に登場し、それぞれ東西に向かって長刀を振って場を清める。次に、コツボネと福太郎が鍬を担いで登場し、田打ち、代掻き、苗草入れ、種蒔き、昼寝、苗見、早乙女集め、苗採り、田植えの順で、農作業の所作を掛け合いで演じる。最後の田植えでは、十二人衆全員が舞台に上がり、コツボネが打つ太鼓に合わせて田植え唄を唄う。その後、再び東次郎と西次郎が舞台上で長刀を振って場を清める。こうして庭祭りが終わり、境内の灯りがすべて消え、半鐘や双盤、太鼓が内陣で乱打されると、赤い装束を着けた3匹の鬼が補佐役の手引きに伴われて本堂奥から現れ、火祭りとなる。孫鬼と祖父鬼は鉞、祖母鬼は撞木を持ち、本堂の外陣と回廊を東から西へと巡り歩く。鬼の後には若い衆が続き、燃え盛る松明を勇壮に振って祭りを盛り上げる。この動きを3回繰り返す。鬼たちは、2度目の登場の際には、大きな鏡餅を持って現れる。この鏡餅は、豊作を意味するという。火の粉が舞う中、孫鬼は、擬宝珠立ちと称して回廊の欄干にある擬宝珠の上に担ぎ上げられ、鏡餅を頻りに振り動かす。他の2匹の鬼も鏡餅を振り動かしながら歩き回る。最後に錫杖振りが舞台上で乱舞し、錫杖の柄尻で床を突くと、その音を合図に鳴り物が一斉に止み、松明の火も消され、祭りは終了となる。なお、松明の燃えさしは、参詣者によって縁起物として持ち帰えられ、鏡餅は、細かく切り分けられて翌日に町内の各戸へ配られる。