国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
岩川の弥五郎人形行事
ふりがな
:
いわがわのやごろうにんぎょうぎょうじ
浜下りの行列
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
・公開期日 毎年11月3日
指定証書番号
:
546
指定年月日
:
2025.03.28(令和7.03.28)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
鹿児島県
所在地
:
鹿児島県曽於市
保護団体名
:
弥五郎どん保存会
浜下りの行列
解説文:
詳細解説
本件は、鹿児島県曽於市大隅町の岩川八幡神社の秋季例祭に行われる行事で、弥五郎と呼ばれる巨大な人形が神幸行列の先頭について町内を練り歩き、五穀豊穣が祈願される。弥五郎は、古代の隼人伝説に登場する武人姿の巨大な人形で、浜下りと称する神幸行列の先払い役として祭りに登場する。弥五郎人形は、台車に載せて地区の男児たちが引き、岩川の市街地を巡行する。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
浜下りの行列
弥五郎人形
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浜下りの行列
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弥五郎人形
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解説文
本件は、鹿児島県曽於市大隅町の岩川八幡神社の秋季例祭に行われる行事で、弥五郎と呼ばれる巨大な人形が神幸行列の先頭について町内を練り歩き、五穀豊穣が祈願される。弥五郎は、古代の隼人伝説に登場する武人姿の巨大な人形で、浜下りと称する神幸行列の先払い役として祭りに登場する。弥五郎人形は、台車に載せて地区の男児たちが引き、岩川の市街地を巡行する。
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詳細解説
岩川の弥五郎人形行事は、鹿児島県曽於市大隅町岩川にある岩川八幡神社の秋季例祭に行われる大人形の出る行事で、弥五郎と呼ばれる巨大な人形が神幸行列の先払い役として曳き出され、五穀豊穣が祈願される。 曽於市は、鹿児島県の大隅半島北部に位置し、北は宮崎県都城市と接する。平成17年(2005)に、曽於郡の大隅町、末吉町、財部町の3町が合併して、現在の曽於市となった。市域の大部分は、シラス台地となっており、畑作を中心とする農業や畜産業が盛んである。本行事は、市域の南部、岩川八幡神社が鎮座する岩川地区の市街地を中心に行われる。 岩川八幡神社は、万寿2年(1025)に京都の石清水八幡宮から勧請されたと伝えられる古社で、かつては岩川郷と称された岩川一帯を氏子圏とする。本行事の運営は、岩川地区の氏子の家々から組織される弥五郎どん保存会が差配し、なかでも地区の青壮年層の男性たちが行事の準備や執行の主な担い手となっている。 岩川八幡神社の秋季例祭は、毎年11月3日から3日間にわたって行われる。岩川ホゼとも呼ばれ、農作物の収穫を祝い、秋の実りに感謝する祭りである。例祭の期間中、地区の家々では、その年に収穫した作物でホゼ料理と呼ばれる御馳走を作って祝う。弥五郎人形行事は、この秋季例祭のうちの初日に行われるもので、市内はもとより、周辺地域からも多くの参詣者が訪れ、ひときわ賑わいをみせる。 本行事の由来や変遷については、天保14年(1843)刊行の『三国名勝図会』に神幸行列である浜下りの記述があり、近世後期には、浜下りの行列に弥五郎と呼ばれる人形が出ていたことが知られている。また、浜下りは、現在は岩川地区の市街地を中心に行われるが、かつては菱田川と前川が合流する川辺まで出向いていた。ただし、川辺に行かなくなった今でも、弥五郎人形が浜に出るという意識は強く、巡行時には「弥五郎どんが浜下りに出かける」などといわれる。 弥五郎人形の「弥五郎」とは、九州地方においては、古代の隼人伝説に登場する大人弥五郎、あるいは武内宿禰であるとも伝えられている。また、当地では、隼人の乱で征伐された隼人の族長であるともいわれている。なお、弥五郎の名前にみえる「五郎」に関しては、非業の死を遂げた者の霊で、災いや祟りをなす御霊であるという伝承もあり、弥五郎人形行事の成立と御霊信仰との関係性を強調する見方もあるがつまびらかでない。 本行事は、11月3日の深夜、若者たちが触れ太鼓を叩いて「弥五郎どんが起きっどー」と大声で触れまわることから始まる。一方、神社の拝殿では、人形の組み立てが始まり、竹で組んだ人形の胴体部分に、梅染と称される単衣の上衣を着せ、頭部には、憤怒形相の木造面を取り付ける。組み立てが終わると人形を拝殿から境内に出し、「弥五郎どん起こし」と称して、綱を引いて人形を立たせる。「弥五郎どん起こし」に参加すれば、身体が丈夫になるといわれている。その後、人形を4輪の台車に載せ、袴を着せ、鉾や刀、煙草入れ、印籠などをつけ、最後にそれらの持ち物に紙垂をつけて完成となる。完成した弥五郎人形は、身の丈が4.85メートル程の武人姿となる。さらに、足下には、大きな草履と下駄を並べる。草履は1.6メートル、下駄は1メートル程の大きさで、人形に履かせるのではなく、境内に人形と一緒に置かれる。このうち、人形本体と衣装、草履は、4年に一度、作り替えられる。 弥五郎の面は、普段は神面として本殿に納められており、行事の時にだけ取り出し、人形に付けて地区内を神幸する。面の形相は、口を大きく開き、上下左右に牙があり、眉は太く、目は大きく見開いている。九州地方には、祭礼の行列に登場する面として天狗鼻面系と大鼻面系の2種の系統があるが、南九州地方では、後者に属する神王面などと呼ばれる神面が多くみられる。神王面は、神霊の依り代とされ、神幸行列の先頭に掲げられることも少なくない。弥五郎と呼ばれる大人形は、このような神王面から次第に発達したものと考えられている。 弥五郎人形を先頭する神幸行列は、当地では、浜下りと称される。浜下りは、岩川八幡神社と御旅所が設けられた大隅中央公民館の往復を経路とし、その間にある氏子の各地区を弥五郎人形が清めて回る。行列は、太鼓隊に続き、台車に載せ、綱を付けた弥五郎人形を男児たちが掛け声をかけながら、青年たちと一緒に引いて進む。人形の左肩には、守人と呼ばれる青年が乗って立つ。守人は、人形の肩を左右に揺らし、威風堂々とした弥五郎の動きを演出してみせ、また、人形の巡行を妨げる電線などを払う役割も担う。弥五郎の後には、大傘、大麻、太鼓、神輿、弓、祭礼旗などが続く。これらの祭具を持つ役は、宮仕とよばれる神社に仕えてきた十家の人たちが担っている。大勢の見物人が沿道で行列を見守るなか、弥五郎人形がゆっくりと引かれ、進んでいく。浜下りの行列は、御旅所に到着すると、弥五郎人形を安置し、その後、地区内を再び清めながら進み、夕刻に神社に帰る。神社に戻った弥五郎人形は、出発前と同様に境内に立たせ、草履と下駄が人形の傍らに置かれる。 弥五郎のような大人形の出る行事は、鹿児島県の薩摩地方や隣接する宮崎県など南九州地方に伝承されている。また、鹿児島県の大隅半島北部や、宮崎県日向地方の南部の地域には、弥五郎と称する大人伝説も色濃く分布している。大人とは体の大きな巨人のことで、その伝説には、窪地を弥五郎の足跡とする足跡伝説、丘状地を弥五郎が畚運びをしてできたとする畚伝説、弥五郎が跨いだとする跨ぎ伝説などがある。また、それらの地域には、弥五郎伝説と関連する「大人」や「矢五郎」などの地名も散見される。南九州地方には、このような大人形や大人に関する伝承が特徴的にみられ、弥五郎人形行事の成立の基盤に大人伝説があったことも考えられている。