国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
因幡の菖蒲綱引き
ふりがな
:
いなばのしょうぶつなひき
因幡の菖蒲綱引き
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
娯楽・競技
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年旧暦5月5日及びその前後の土・日曜日(青谷)、毎年旧暦5月5日に近い日曜日(宝木・水尻)、毎年6月5日の後の日曜日(大羽尾)(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
※この行事のうち宝木のものは、昭和59年12月20日に因幡宝木のしょうぶ綱として記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
1987.01.08(昭和62.01.08)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
鳥取県
所在地
:
保護団体名
:
宝木菖蒲綱保存会,水尻菖蒲綱保存会,青谷連合菖蒲綱保存会,大羽尾菖蒲綱保存会
因幡の菖蒲綱引き
解説文:
詳細解説
この行事は、五月節供の綱引き行事で、子ども集団が中心となって展開されるものである。屋根にあげたショウブ・ヨモギ・カヤ等で綱を作り、担いだり抱えたりして家々を巡った後、綱引きを行う。終了すると、海岸に移動し、綱引きの綱で土俵を作って相撲を取る。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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因幡の菖蒲綱引き
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因幡の菖蒲綱引き
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因幡の菖蒲綱引き
解説文
この行事は、五月節供の綱引き行事で、子ども集団が中心となって展開されるものである。屋根にあげたショウブ・ヨモギ・カヤ等で綱を作り、担いだり抱えたりして家々を巡った後、綱引きを行う。終了すると、海岸に移動し、綱引きの綱で土俵を作って相撲を取る。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
我が国には、小正月綱引き、盆綱引きなど季節の折り目に綱を引きずったり、綱を引き合ったりする行事が広く全国的に分布していたが、一部地方を除き、多くは社会状況の変化等により形骸化したり消滅しつつある。 綱引き行事は、元来、庶民の間の信仰から発生した行事で、生業・社会構成・世界観などの相違から複雑な様相を呈して行われてきたものの、その根底には生業や人生などに対する願いがこめられてきた。 因幡地方に伝承されてきた綱引きは、『因伯人情と風俗』(大正15年刊)にも記されており、古老によると江戸時代末期までに遡ることができ、五月節供に実施されてきたところに共通点があり、子ども集団が中心となって展開される点に特色がある。 宝木地区では、綱引きを始める前日に古町・新町の2地区に分かれて子供組の幹部が各1か所に集まり、寝泊まりし、当日の午前零時を期して家々の軒先に挿したり、屋根にあげたりしたショウブ・ヨモギ・カヤ等の束を集める。 早朝には、大人たちの助力でこれらを稲わらに綯い込んでヨリヅナ(親綱)を作り、これにエダヅナ(枝綱)を取り付けて仕上げ、古町の男子は母木神社に、新町の男子は両国梶之助(寛文4年(1663)~宝永5年(1708)鳥取藩の御抱力士)の墓に参詣した後、一同で綱を担いだり抱えたりして各地区内の家々を一巡し、時折り地面に叩きつけたり、路上を引きずったりする。 綱引きは、両地区の境界線とされる路上で行う。長さ10数㍍程の綱2本のはじを結び合わせた後、掛け声勇ましくヨリヅナ・エダヅナを抱えて3回引き合い、勝負審判はそれぞれの地区の子ども組の代表者各1名による2名の合議で行う。終了後、砂浜海岸に場所を移し、綱引きに使用した綱で土俵を作り、対抗相撲を取り、終了後、綱をほど近い湊神社に奉納して行事を終える。 他の地区の綱引きは、宝木地区と同じ趣旨で実施されるものの、水尻地区では、上条・下条に分かれ各軒先に挿したり屋根にあげたショウブのほか、野山から刈り整えてきたカヤで綱を1本ずつ綯い、これを担いで地区内を一巡した後、2本の親綱の頭の部分を結び合わせた後、男女の子どもたちが3回引き合う。その後、男子による相撲が行われ、ツナカクシ(相手方に悟られないように綱を隠す)を終えた後に、上条方は板井神社の石灯篭に、下条方は水尻神社奥殿の石台に巻きつけて奉納する。 青谷地区では、町内を8区分し、地区内の男女の子どもたちが初節供を迎えた家の前の路上などで綱を引く。綱は一本綱で、ショウブのほか刈り整えたカヤを混ぜて綯いあげる。 また、大羽尾地区では、ショウブ・ヨモギ・カヤだけで一本綱を綯い、子ども集団が神社側と寺側とに分かれ、砂浜海岸で綱を3回引き合い、相撲を取った後、綱引きの基点で長短の2つに切断したものを神社側の方は、お宮の境内にあるタモの木に、寺側の方は、観音堂脇の桜の木の枝に垂れ下げる。 この行事は、伝承地によって、細部に相違があるものの、軒下に挿したり、屋根にあげたショウブなどで作った綱で引き合う点に特色があり、年占的要素に加えて、豊饒祈願ないし、災厄除けの意識が明確である。また、日本海岸に濃密な分布を示した五月節供の綱引き行事の典型的なものである。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)