国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
刈和野の大綱引き
ふりがな
:
かりわののおおつなひき
刈和野の大綱引き
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
娯楽・競技
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年旧暦1月15日((※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
1984.01.21(昭和59.01.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
秋田県
所在地
:
保護団体名
:
刈和野大綱引保存会
刈和野の大綱引き
解説文:
詳細解説
刈和野の大綱引きは、旧暦1月15日夜、刈和野の町を二分して行われる綱引き行事である。上町は雄綱を、下町は雌綱を作り、完成後、両町の境界線近くにとぐろ巻きにして安置する。夕食後、相互に綱の出し合いが始まり、雄綱と雌綱をつなぐと引き合いとなる。数千人の人々が綱につながり勇ましく引き合う。勝負は1回限りで、引き合いは30分間以上およぶこともある。終わると綱は浮島神社境内に奉納される。上町が勝てば米の値段があがり、下町が勝てば豊作になるといわれている。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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刈和野の大綱引き
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刈和野の大綱引き
解説文
刈和野の大綱引きは、旧暦1月15日夜、刈和野の町を二分して行われる綱引き行事である。上町は雄綱を、下町は雌綱を作り、完成後、両町の境界線近くにとぐろ巻きにして安置する。夕食後、相互に綱の出し合いが始まり、雄綱と雌綱をつなぐと引き合いとなる。数千人の人々が綱につながり勇ましく引き合う。勝負は1回限りで、引き合いは30分間以上およぶこともある。終わると綱は浮島神社境内に奉納される。上町が勝てば米の値段があがり、下町が勝てば豊作になるといわれている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
我が国には、小正月綱引き・盆綱引き・十五夜綱引きなど季節の折目に綱を引きずったり綱を引き合ったりする行事が広く分布していたが、その多くは形骸化したり消滅してしまった。 綱引きは、元来庶民の信仰から発生した行事で、生業・社会構成・世界観などの相違から複雑な様相を呈して行われてきたものの、その根底には生業や人生に対する願いがこめられていた。 刈和野の綱引き行事は、旧暦1月15日夜、刈和野の大通りで町を二分して行われる。これに要する綱は毎年新藁を集めて作られる。この綱作りは、藁集め、藁打ち、グミ組み、綱作りの順に行われる。10日前頃からとりかかり、延べ400人ほどを要する。上町(二日町)は雄綱を、下町(五日町)は雌綱を分担して完成する。雄綱は長さ約64㍍、最大直径約67㎝、雌綱は長さ約50㍍、最大直径約66㎝。そして、各尻綱約30㍍、小綱約40本(1本約23㍍)をとりつける。これに使用される藁はおよそ7000束とされている。完成後は、両町の境界線(ドップ)近くに、各綱の先端部分(雄綱は「ケン」、雌綱は「サバグチ」という)を上に出すよう、とぐろ巻きにして安置する。 当日午後、精進潔斎した年男が浮島神社から市神を背負ってドップまで奉戴し、そこで神官が綱引きの安全を祈って祝詞を奏上。その後、路上で綱のばしをし、雄綱・雌綱にそれぞれ尻綱・小綱を取りつける。 綱引きは夕食後で、往時は最後の通行人を見送ってから始まったと伝えられている。はじめ両方の若者たちによって押し合いが続き、ついで引き手が綱につくようになると、相互に綱の出し合いが始まり、それを勢いよく数回繰りかえす。こうした雰囲気の高まりのなかで、責任者の指示に従って雄綱のケンを雌綱のサバグチに通して綱合わせを完了。手振りの合図によって引き合いがはじまる。数千人にもおよぶ人々が綱につながり、サントウ(提灯持ち)の灯りのふり方にあわせて、掛け声勇ましく引き合う様は圧巻である。引き合いは延々30分間以上におよぶことが少なくないものの、勝負は1回限り。終って、綱は木槌や挺子でほぐされ、浮島神社の境内に奉納される。 この刈和野の綱引き行事は、綱作りや引き合い方などから、沖縄本島などに分布する行事に酷似しているが、東日本では類例が乏しい。小正月の満月の夜に雄綱・雌綱を介して押し合い、出し合いを繰りかえす点からすれば豊饒多産の呪術が秘められていると見られ、上町が勝てば米の値段があがり、下町が勝てば豊作になるといわれて年占の要素も持つ行事である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)