国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
綾渡の夜念仏と盆踊
ふりがな
:
あやどのよねんぶつとぼんおどり
綾渡の夜念仏と盆踊
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種別1
:
民俗芸能
種別2
:
風流
その他参考となるべき事項
:
※本件は令和4年11月30日に「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている。
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
1997.12.15(平成9.12.15)
追加年月日
:
指定基準1
:
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
愛知県
所在地
:
保護団体名
:
綾渡夜念仏と盆踊り保存会
綾渡の夜念仏と盆踊
解説文:
綾渡の夜念仏と盆踊は、盆の夜に、地域の人びとが行列を作って歩きながら、さらに所定の位置で立ち止まって、鉦【かね】を打ち念仏を唱和する夜念仏と、それに引き続いて行われる歌だけに合わせ三味線や太鼓などの楽器を使わない盆踊である。これが伝承される足助町綾渡は、愛知県の東北部にあたり、標高五〇〇メートルを超える山間にひらけた集落である。
この夜念仏と盆踊は、綾渡の平勝寺【へいしようじ】境内を中心に行われる。八月十日と十五日の夕方に、平勝寺境内にある綾渡集会所に保存会の人びとが集まり、鉦や平笠【ひらがさ】などの用具を整え、夜七時過ぎに、平勝寺参道入口の「幟立【のぼりたて】」と呼ばれる場所に夜念仏を行う男性たちが移動し、寺に向かって行列を整える。人びとは平笠をかぶり、浴衣に角帯【かくおび】をしめ、腰に白扇【はくせん】をさし、白足袋【しらたび】に下駄を履いている。行列の先頭と最後に一人ずつ、それぞれ切子【きりこ】灯籠を棒から下げたものを持つ者が立つ。地元では、この灯籠を「折子【おりこ】灯籠」あるいは単に「折子」と呼び、それを持つ者も「折子」と呼んでいる。先頭の「折子」の次に香炉【こうろ】を両手で捧げ持つ「香焚【こうたき】」と呼ばれる者が一人並ぶ。この「香焚」は全体の統率者で「年行事」と呼ばれる役の者がなる。その後ろに、左手に直径約一〇センチメートルの鉦と、右手に撞木【しゆもく】を持った人びとが縦二列に並ぶ。この二列の先頭の二人を「音頭【おんど】」と呼び、音頭に続く人びとを「側【がわ】」あるいは「側衆【がわしゆう】」と呼ぶ。最後は先に述べた「折子」である。なお先頭の灯籠には極楽が、最後の灯籠には地獄の様子が描かれている。
夜念仏は、参道入口で行われる「道音頭【みちおんど】」から始まり、この「道音頭」を唱えながら行列は平勝寺へ向かって進み、平勝寺山門下の石仏の前など、合わせて五か所で立ち止まり、行列の隊形を変えて、それぞれで決まった念仏を唱和する。立ち止まって念仏を唱和するときは、石仏などに向かって半円形に並び、その半円形の中央に「香焚」が立ち、それを取り巻く形で、半円の両端にそれぞれ「折子」が立つ。場所を移動する途中は行列に戻り「道音頭」を唱える。立ち止まる場所とその場での念仏を列記すると、石仏前での「辻回向【つじえこう】」、平勝寺山門での「門開【もんびら】き」、寺の境内に入り観音堂の前での「観音様回向」、その隣の神明社前での「神【かみ】回向」、平勝寺本堂前での「仏【ほとけ】回向」である。これらの念仏は、いずれも、まず「音頭」が一句を唱え、続いて「側衆」が全員で次の句を唱和し、途中で鉦を打ちながら続け、全体で一時間半ほどになる。
この夜念仏が終わると、平勝寺境内の中央に二基の「折子灯籠」を立て、それを中心に人びとが輪になって盆踊を行う。夜念仏を見物していた女性や子どもも加わり、歌い手である「音頭とり」の歌に合わせ、踊り手も「はやしことば」を歌いながら踊る。なお踊りによっては、右手に扇を持ち、これをひるがえして踊る。伴奏の楽器は何もないが、人びとは下駄を履いていて、その下駄が境内の砂地を一斉に踏んだり、けったりする音が、軽やかな伴奏になっている。踊りは「越後甚句【えちごじんく】」や「御嶽扇子踊【おんたけおうぎおどり】」「娘づくし」など一〇曲ほど続く。
この綾渡の夜念仏は、かつては綾渡地区の一五歳から三五歳の男子によって構成される「若連【わかれん】」が担当し、旧暦の七月一日に練習を始め、十日に平勝寺の観音堂前で一通りを演じ、十三日から十六日にかけては、地区内外の、その年に亡くなった人があった、いわゆる新仏【しんぼとけ】の家からの招きに応じて出かけていって夜念仏と盆踊を披露し、十七日には平勝寺境内で演じた。現在のように新暦の八月十日と十五日に行うようになったのは昭和四十年ころからである。
綾渡の夜念仏と盆踊の始まりは明確ではないが、足助町内には一二基の「夜念仏供養塔」があり、その最も古いものは寛政六年(一七九四)の銘があり、また隣の旭町にも一〇基以上の夜念仏供養塔が確認されるので(『足助町誌』一九七五年刊)、江戸時代には夜念仏が周辺各地で広く行われていたと考えられる。しかし現在も、鉦を打ちながら念仏を静かに唱和する夜念仏と伴奏楽器を用いない盆踊を一連のものとして行っているのは綾渡だけとなった。
盆に先祖や新仏の供養のために行われる念仏踊や盆踊は、全国各地で行われ、太鼓を打ちながら激しく踊ったり、三味線や太鼓で華やかに踊るなど、多様に展開されているが、綾渡の夜念仏と盆踊は、その古風な形態をうかがわせ、芸能の変遷の過程と地域的特色を示すものとしてとくに重要なものである。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
綾渡の夜念仏と盆踊
綾渡<あやど>の夜念仏<よねんぶつ>と盆踊<ぼんおどり>
写真一覧
綾渡の夜念仏と盆踊
写真一覧
綾渡<あやど>の夜念仏<よねんぶつ>と盆踊<ぼんおどり>
解説文
綾渡の夜念仏と盆踊は、盆の夜に、地域の人びとが行列を作って歩きながら、さらに所定の位置で立ち止まって、鉦【かね】を打ち念仏を唱和する夜念仏と、それに引き続いて行われる歌だけに合わせ三味線や太鼓などの楽器を使わない盆踊である。これが伝承される足助町綾渡は、愛知県の東北部にあたり、標高五〇〇メートルを超える山間にひらけた集落である。 この夜念仏と盆踊は、綾渡の平勝寺【へいしようじ】境内を中心に行われる。八月十日と十五日の夕方に、平勝寺境内にある綾渡集会所に保存会の人びとが集まり、鉦や平笠【ひらがさ】などの用具を整え、夜七時過ぎに、平勝寺参道入口の「幟立【のぼりたて】」と呼ばれる場所に夜念仏を行う男性たちが移動し、寺に向かって行列を整える。人びとは平笠をかぶり、浴衣に角帯【かくおび】をしめ、腰に白扇【はくせん】をさし、白足袋【しらたび】に下駄を履いている。行列の先頭と最後に一人ずつ、それぞれ切子【きりこ】灯籠を棒から下げたものを持つ者が立つ。地元では、この灯籠を「折子【おりこ】灯籠」あるいは単に「折子」と呼び、それを持つ者も「折子」と呼んでいる。先頭の「折子」の次に香炉【こうろ】を両手で捧げ持つ「香焚【こうたき】」と呼ばれる者が一人並ぶ。この「香焚」は全体の統率者で「年行事」と呼ばれる役の者がなる。その後ろに、左手に直径約一〇センチメートルの鉦と、右手に撞木【しゆもく】を持った人びとが縦二列に並ぶ。この二列の先頭の二人を「音頭【おんど】」と呼び、音頭に続く人びとを「側【がわ】」あるいは「側衆【がわしゆう】」と呼ぶ。最後は先に述べた「折子」である。なお先頭の灯籠には極楽が、最後の灯籠には地獄の様子が描かれている。 夜念仏は、参道入口で行われる「道音頭【みちおんど】」から始まり、この「道音頭」を唱えながら行列は平勝寺へ向かって進み、平勝寺山門下の石仏の前など、合わせて五か所で立ち止まり、行列の隊形を変えて、それぞれで決まった念仏を唱和する。立ち止まって念仏を唱和するときは、石仏などに向かって半円形に並び、その半円形の中央に「香焚」が立ち、それを取り巻く形で、半円の両端にそれぞれ「折子」が立つ。場所を移動する途中は行列に戻り「道音頭」を唱える。立ち止まる場所とその場での念仏を列記すると、石仏前での「辻回向【つじえこう】」、平勝寺山門での「門開【もんびら】き」、寺の境内に入り観音堂の前での「観音様回向」、その隣の神明社前での「神【かみ】回向」、平勝寺本堂前での「仏【ほとけ】回向」である。これらの念仏は、いずれも、まず「音頭」が一句を唱え、続いて「側衆」が全員で次の句を唱和し、途中で鉦を打ちながら続け、全体で一時間半ほどになる。 この夜念仏が終わると、平勝寺境内の中央に二基の「折子灯籠」を立て、それを中心に人びとが輪になって盆踊を行う。夜念仏を見物していた女性や子どもも加わり、歌い手である「音頭とり」の歌に合わせ、踊り手も「はやしことば」を歌いながら踊る。なお踊りによっては、右手に扇を持ち、これをひるがえして踊る。伴奏の楽器は何もないが、人びとは下駄を履いていて、その下駄が境内の砂地を一斉に踏んだり、けったりする音が、軽やかな伴奏になっている。踊りは「越後甚句【えちごじんく】」や「御嶽扇子踊【おんたけおうぎおどり】」「娘づくし」など一〇曲ほど続く。 この綾渡の夜念仏は、かつては綾渡地区の一五歳から三五歳の男子によって構成される「若連【わかれん】」が担当し、旧暦の七月一日に練習を始め、十日に平勝寺の観音堂前で一通りを演じ、十三日から十六日にかけては、地区内外の、その年に亡くなった人があった、いわゆる新仏【しんぼとけ】の家からの招きに応じて出かけていって夜念仏と盆踊を披露し、十七日には平勝寺境内で演じた。現在のように新暦の八月十日と十五日に行うようになったのは昭和四十年ころからである。 綾渡の夜念仏と盆踊の始まりは明確ではないが、足助町内には一二基の「夜念仏供養塔」があり、その最も古いものは寛政六年(一七九四)の銘があり、また隣の旭町にも一〇基以上の夜念仏供養塔が確認されるので(『足助町誌』一九七五年刊)、江戸時代には夜念仏が周辺各地で広く行われていたと考えられる。しかし現在も、鉦を打ちながら念仏を静かに唱和する夜念仏と伴奏楽器を用いない盆踊を一連のものとして行っているのは綾渡だけとなった。 盆に先祖や新仏の供養のために行われる念仏踊や盆踊は、全国各地で行われ、太鼓を打ちながら激しく踊ったり、三味線や太鼓で華やかに踊るなど、多様に展開されているが、綾渡の夜念仏と盆踊は、その古風な形態をうかがわせ、芸能の変遷の過程と地域的特色を示すものとしてとくに重要なものである。