国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
等覚寺の松会
ふりがな
:
とかくじのまつえ
等覚寺の松会
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年4月第3日曜日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
※この行事は昭和50年12月8日に等覚寺の松会として記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
指定証書番号
:
356
指定年月日
:
1998.12.16(平成10.12.16)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
福岡県
所在地
:
保護団体名
:
等覚寺松会保存会
等覚寺の松会
解説文:
詳細解説
等覚寺の松会は、かつて英彦山などとともに豊前六峰と呼ばれた修験道の拠点の1つ、等覚寺の所在した地域の人びとにより、五穀豊穣、疫病退散、国家安泰を祈願して行われる行事である。当日早朝、施主の禊ぎと神社への大幣奉納が行われ、午後に松会が行われる。松会では、神幸行列に続いて獅子舞が行われ、田打ち・畦切り・畦塗り・代掻き・田植え・はらみ女などの「田行事」が行われる。続いて鬼会が行われた後、鉞舞・長刀舞などの「刀行事」が行われ、最後に幣切りが行われる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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等覚寺の松会
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等覚寺の松会
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等覚寺の松会
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等覚寺の松会
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等覚寺の松会
解説文
等覚寺の松会は、かつて英彦山などとともに豊前六峰と呼ばれた修験道の拠点の1つ、等覚寺の所在した地域の人びとにより、五穀豊穣、疫病退散、国家安泰を祈願して行われる行事である。当日早朝、施主の禊ぎと神社への大幣奉納が行われ、午後に松会が行われる。松会では、神幸行列に続いて獅子舞が行われ、田打ち・畦切り・畦塗り・代掻き・田植え・はらみ女などの「田行事」が行われる。続いて鬼会が行われた後、鉞舞・長刀舞などの「刀行事」が行われ、最後に幣切りが行われる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
等覚寺の松会は、京都郡苅田町で行われる五穀豊穣、疫病退散、国家安泰を祈願する行事で、かつては2月19日に行われていたが、現在は4月第3日曜日に行われている。 等覚寺は、明治の廃仏毀釈までは普智山等覚寺として、英彦山などとともに豊前六峰と呼ばれた修験道の拠点の1つであった。その名称は今でも大字山口の字名として残り、貫山の南東斜面の中腹に位置する標高300㍍ほどの山間の小集落である。 行事の準備は、まず4月1日に坪草刈りと柱起こしが行われ、マツバシラとかハシラマツともいわれる柱に添え木を取り付け、33か所を太い蔓で縛りつけ、縄で四方から引っ張って立てておく。 そして4月第2日曜日には、役出し座・注連下ろし・幣はぎ・盛一臈御座【もりいちろうござ】、綱打ち・綱掛けなどが行われる。役出し座は、松会に奉仕する人たちが白山多賀神社に集まり、松会での役を決める行事で、この日から松会行事が始まるとされている。 注連下ろしでは、白山多賀神社の入口・鳥居・奥の院(青龍窟)、禊ぎをする川・施主の家の門口に注連縄を張る。 幣はぎは、御幣を作ることで、バン(板)・紙・幣串を掛け軸の前に供えて清めると宮総代が大幣3本・祓い串13本を作る。 盛一臈御座は、白山多賀神社の拝殿で行われ、翌年の盛一臈御座といわれる施主を決める行事である。杯が来年の施主に渡されて謡がうたわれ、盛一臈の受け渡しが行われる。 綱打ちとは、山麓の谷・山口本村・稲光の3つの集落において、柱に掛ける大綱を作ることで、それぞれ1本ずつの大綱を打つ。できあがった大綱は、それぞれ10数人の若者に担がれて集落内を練り歩き、婚礼・誕生などの慶事のあった家をまわって酒肴を受ける。その後、白山多賀神社に運んでお祓いを受けてから、綱掛けといって柱に掛ける。 4月第3日曜日の3日前には塩会が行われる。施主と次期施主は白衣の修験者姿で竹筒を携行し、ホラ貝を吹き鳴らしながら、宮総代などとともに白山多賀神社から徒歩で山を下り、約10㎞離れた蓑島の海岸に向かい、海につかって身を清め、潮水を竹筒に詰め白山多賀神社まで持ち帰って神社に供える。 4月第3土曜日午後に神輿洗いと笠揃えが行われ、松会に用いる道具類を準備する。 4月第3日曜日当日は、早朝に施主の禊ぎと神社への大幣奉納が行われ、午後に松会が行われる。松会では、神幸行列に続いて獅子舞が行われ、田打ち・畦切り・畦塗り・代掻き・田植え・はらみ女などの「田行事」が行われる。続いて鬼会が行われた後、鉞舞・長刀舞などの「刀行事」が行われてから、最後に幣切りが行われる。 幣切りは、松役と呼ばれる、花笠を被った施主により行われる。施主は大幣を受け取って担ぎ、斜めに背負って白布で縛りつけ、柱の途中まで縄梯子で登ると、太い蔓を伝わって柱をまわりながらよじ登る。そして頂上に登り詰めると、神輿の方に向かって、天下泰平・国土安全・五穀成就の祈願文を読み上げ、右手に大幣を持って、天地四方を清め、その後、左手に大幣を持ち替え右手で刀を抜いて、大幣の幣串を一気に切り落とす。 翌日、柱は倒されて解体され、来年の施主に権現様の御絵図と御神刀・御神酒スズが渡され、行事は終了する。 この行事は、我が国の民間信仰に大きな影響を与えた修験の伝統をよく伝える特色ある行事である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)