国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
土崎神明社祭の曳山行事
ふりがな
:
つちざきしんめいしゃさいのひきやまぎょうじ
土崎神明社祭の曳山行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年7月20・21日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
1997.12.15(平成9.12.15)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
秋田県
所在地
:
保護団体名
:
土崎神明社奉賛会
土崎神明社祭の曳山行事
解説文:
詳細解説
この行事は、土崎港各町の総鎮守として崇敬されてきた土崎神明社の例祭で、神輿の渡御に合わせて、町内を曳山が巡行する行事である。旧47町内が9つの組に分かれて当番を務める。20日の宵宮では、町内を中心に曳山が曳き回され、神明社に参拝してお祓いを受ける。21日の本祭では、神輿が町内を巡行してお旅所に向かい、各町内の曳山がこれをお旅所前の路上で迎える。巡行中は囃子の演奏に合わせて曳き手の若者や子どもたちが路上で手踊りを披露する。
曳山は、毎年、旧町内を単位に奉納されるが、毎年作り替えられ、その数も年によって違う。また年によっては土崎神明社境内などに置山も作られる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
土崎神明社祭の曳山行事
土崎神明社祭の曳山行事
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土崎神明社祭の曳山行事
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土崎神明社祭の曳山行事
解説文
この行事は、土崎港各町の総鎮守として崇敬されてきた土崎神明社の例祭で、神輿の渡御に合わせて、町内を曳山が巡行する行事である。旧47町内が9つの組に分かれて当番を務める。20日の宵宮では、町内を中心に曳山が曳き回され、神明社に参拝してお祓いを受ける。21日の本祭では、神輿が町内を巡行してお旅所に向かい、各町内の曳山がこれをお旅所前の路上で迎える。巡行中は囃子の演奏に合わせて曳き手の若者や子どもたちが路上で手踊りを披露する。 曳山は、毎年、旧町内を単位に奉納されるが、毎年作り替えられ、その数も年によって違う。また年によっては土崎神明社境内などに置山も作られる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
土崎神明社は、土崎港中央3丁目の湊城本丸跡に祀られ、土崎港各町の総鎮守として崇敬されている。 土崎湊は、室町時代末期の『廻船式目』に北国七湊の1つに数えられたが、慶長7年(1602)、佐竹義宣の入封によって一時荒廃するに至った。しかし、まもなく久保田城の門戸をなす湊として甦り、湊八丁と呼ばれる町並みを形成した。 湊八丁は、上酒田町・下酒田町・新城町・永覚町・加賀町・小鴨町・萱村町(肴町)・菻【がつき】町で、17世紀後半に穀保町と新町が加わり10町となった。土崎神明社の氏子町内は、行政区画では33町内、旧町内単位では47町内となっており、各町内の神社は60社を数える。 土崎神明社の祭りは、「大祭り」と呼ばれ、明治以前は旧暦6月20・21日、その後、月遅れの7月20・21日となって、現在は新暦7月20・21日となっている。祭礼には旧町内を単位に曳山が奉納され、その数は年によって違う。祭りは、昭和45年までは統前町【とうまえちよう】と呼ばれる当番町内を中心に行われた。その後は全町内を9つの組に分けて回り番制とし、組単位で当番を引き受け、当番町は大祭典年番町と呼ばれるようになったが、一般には町名の前に統前を冠して呼ばれている。 大祭は、7月1日の巡回清祓いから始まる。神明社の禰宜と太鼓持ちの神職、付人が、年番町総代・榊持ち・供奉員・巫女・曳山総括委員長宅などを訪れてお祓いを行うもので、各家では床の間に祭壇を設け、天照皇大神の掛け軸を飾り、御神酒・米一升・塩・灯明・初穂料などを用意して待つ。この時21日の神輿の巡行の際に門前に供える「赤砂」の実子縄【みごなわ】と御幣をいただく。清祓いはこの日から19日にかけて行われ、神職が2名ずつ2組に分かれて巡回する。この清祓いの最後は、穀保町お旅所世話係の小野家と決まっている。清祓いを受ける家は250軒ともいわれ、これを受けないと大祭に参加できない。 14日は大会所設営の日で年番町に「大会所」が設置される。大会所の前に竹矢来一対を組み「年番町」「大会所」の提灯を掲げ、「土崎神明社大祭典事務所」の看板をかける。 15日の午前2時、丑の刻に年番町役員らが衣服を正し、長さ4.8㍍、幅70㎝の白幟一対を竹矢来の中に立てる。大会所の中には天照皇大神の掛け軸を掲げ、2本の大幣束と6本の小幣束の計8本と、各種の供え物を飾る。19日までの毎日、神職は大会所に出向いて祈祷をし、祭礼期間中の無事故と好天を祈り、年番町の役員は毎朝神明社に参拝する。 16日は、各町会所の会所開きである。各町内の会所は大会所と同じく天照皇大神の掛け軸を掲げ、大幣束1本と小幣束2本のあわせて3本の幣束と供え物を飾る。各町内の曳山もこの日から組み立てられる。 19日は、神輿巡行の際の休息所となる穀保町と相染町のお旅所の清祓いをする。 20日は、宵宮で、各町内は町内を中心に曳山を曳き回し、神明社に参拝してお祓いを受ける。夜は神社で年番町総代や榊持ちが参加して宵宮祭りが執行される。 21日は、本祭りで奉幣神事・例祭神事が行われる。例祭神事では湯立てが行われ、かつてはこの湯の沸き方や箒の色の変わり方で作占いをしたという。神事後、神幸祭が行われ神輿が町内を巡行し穀保町のお旅所に向かい、各町内の曳山がお旅所前の路上に決められた順番に並んで迎える。この日、曳山が巡行するのは穀保町のお旅所から相染町のお旅所へ向かう神輿に供奉する送り曳山と、相染町のお旅所から神社に向かって神輿が還御に出発した後に自町内に戻るための戻り曳山である。 曳山は毎年造り替えられ、台車の上に櫓を組み紺木綿の布で岩山を象り松や杉の生木を立て、その前面に武者人形と周囲にヤマツゲを配する。毎年ではないが、曳山のほかに神明社の境内や年番町内などに置山も作られる。 曳山の櫓は、台車の前3分の2には岩と人形を飾り、場面を解説する外題を掲げる。後ろ3分の1には囃子方の乗る櫓を組み、櫓の上には世相を風刺した見返しの人形と文句を飾り、櫓の開口部の上部と左右には飾り灯籠をつけて、祭りの心意気や自町内を自慢する文句を書く。曳山は各山事に文句や節の異なる「音頭揚げ」によって動き出す。曳山はかつては女人禁制であったが、現在では女性の参加も多数みられるようになった。 曳山は巡行中随所で停まって、囃子の演奏により曳き手の若者や女性・子どもたちが路上で手踊りを披露する。 この行事は、大規模な祭礼であるとともに、多彩な儀礼を伴い、風流の要素を色濃く残したものとして重要である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)