国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
魚津のタテモン行事
ふりがな
:
うおづのたてもんぎょうじ
魚津のタテモン行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月第一金・土曜日(※指定当時は毎年8月7・8日・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事は「魚津浦のタテモン行事」として昭和56年12月に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
※この行事は平成28年に「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
1997.12.15(平成9.12.15)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
富山県
所在地
:
保護団体名
:
魚津たてもん保存会
魚津のタテモン行事
解説文:
詳細解説
魚津のタテモン行事は、諏訪町に鎮座する諏訪神社の例祭に豊漁と航海・操業の安全を祈願して行われる行事である。氏子町内からマントウとかタテモンと呼ばれる作り物が7基曳き出される。夕刻になると、提灯に明かりを灯して神社へ宮入し、境内で激しく回転させる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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魚津のタテモン行事
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魚津のタテモン行事
解説文
魚津のタテモン行事は、諏訪町に鎮座する諏訪神社の例祭に豊漁と航海・操業の安全を祈願して行われる行事である。氏子町内からマントウとかタテモンと呼ばれる作り物が7基曳き出される。夕刻になると、提灯に明かりを灯して神社へ宮入し、境内で激しく回転させる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
魚津のタテモン行事は、魚津市諏訪町に鎮座する諏訪神社の例祭に豊漁と航海・操業の安全を祈願して、氏子町内からマントウ(万灯)とかタテモンと呼ばれる作り物が曳き出されるものである。 現在、例祭は8月7・8日の魚津まつりに合わせて行われている。この日、諏訪神社の神輿が町内をまわるが、タテモンは夜の行事であり神輿に随行することはない。 諏訪神社の氏子は、港町、諏訪一区・二区・三区・四区・五区、元町、下新一区・二区・三区、寺町、餌指町の12町内でその9割が漁師であった。以前はこのうち9町からタテモンが出ていたが、昭和に入り立町・下町・下新町が抜けて6基となり、第二次大戦後に港町が加わって現在は7基となっている。 タテモンは長さ3㍍、幅2㍍ほどの橇形の台に斜交いをわたし、四本柱を立てて上台をつける。この上台に長さ10㍍余の丸太を1㍍幅に2本つけ、その両端から6~8本のウデギ(腕木)をわたして担ぎ棒としこれをハシゴ(梯子)と呼ぶ。梯子の中央部一帯には綱を八の字に絡げて囃子方や稚児役の子どもたちの桟敷を作る。台ができたところで、斜交いの交差部分から上台を貫通して全長約15㍍ほどの杉の心棒を立てる。この心棒の途中には、それぞれ間隔をあけてナカガク(中額)という5つの角灯籠をつけ神社名などを書く。心棒の頂上には直径1.8㍍ほどのカサ(笠)という六角または八角の枠をつけ、この下に幕を吊るしてサルコという縫いぐるみを下げる。この飾り全体を六角・六角行灯などと呼び、ホコドメ(鉾留)とも呼ぶ。これは元来は太鼓の胴型に作って恵比須を描いたものであったが、現在では、下にエビスガク(恵比須額)・エビスアンドン(恵比須行灯)と呼ぶ丸行灯をつけるようになり、六角には縁起のよい文字や、町内の若者連中の名前を書いている。笠からは六本または八本のヤナギ(柳)と呼ぶ割竹の枝を垂らす。この枝のところどころに経木を房状にして飾るが、これはもともとは笹の葉を束にしたものであった。柳の数は本来は6本で、その後、装飾性を高める目的で8本のものが作られるようになったものである。 梯子と恵比須額との間に、武者絵などを描いた長さ8㍍ほどのシタガク(下額)・エガク(絵額)と呼ぶ長方形の行灯をつけ、その上に木枠に吊るした80余の多数の丸提灯を、全体が三角形となるように飾る。提灯は2列、3列とまとめて1つの木枠に吊るし、これをヤマ(山)と呼ぶ。上から順に一番山・二番山と呼び、山の数は5つが最も多い。提灯には現在では桜や梅、鯛や海老などの絵が描かれるが、古くは下額とともに魚の絵を描くものであった。提灯は女性や子どもの名前で奉納され、サルコは新嫁が作って奉納するという伝承がある。なお、元町のタテモンだけは古くから白の無印の雪洞となっている。 7日昼、各町内の若者が神社に参拝しお祓いを受け、次いで神官がタテモンを祓って回る。夕刻、提灯に蝋燭を灯して諏訪神社を挟むようにタテモンが並び、曳き出す順番を待つ。諏訪神社に曳き込む順番は7・8日の両日で異なり、事前に若者がくじ引きで決める。夜に入り宮入りの時間がくると、笛・太鼓の囃子に合わせ、梯子にかかった2.30人もの若者と、太い曳き綱を握った大勢の人びとが協力して、重さ1.5㌧にも及ぶタテモンを動かす。かつては女性は参加できない決まりであったが、現在は女性も多数参加する。 宮入りをしたタテモンは境内で激しく回転させる。倒れないように八方に張り出した支え綱を握った若者が、タテモンの回転に合わせて宙を飛ぶ。タテモン行事の最高の見せ場となっており、奉納物を神様によく見てもらうためだと説明されている。魚の絵を描いた多数の提灯に飾られたタテモンは、あたかも魚を満載した船を思わせる姿を呈し、タテモン行事が神に漁獲物を奉る「たてまつるもの」の意味であるとの伝承を生むに至った。 回転を終えたタテモンは、神前に進み代表者が幣帛を捧げた後、境内を出て町内に帰る。祭りの実行主体となるのは各町内の若者たちであるが特定の組織はなく、祭り全体としては、諏訪神社の氏子組織である総代会のほかにたてもん保存会が組織されている。 この行事の起源は定かではないが、江戸時代には各町内ごとにいくつかの提灯を台上に吊るし町内を担ぎ回るものであったという。その後、しだいに提灯の数を増し、明治時代は25個、大正時代初めころは50個ほどへと増加し、現在のような数に至ったといわれる。タテモンは「立てるもの」の意味であり、富山県内にも富山市東岩瀬や氷見市などにタテモンと呼ぶ作り物がみられる。 この行事は、秋田の竿灯などの眠り流しの要素と風流灯籠などの風流行事の様態がうかがわれ、この地域を代表する行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)