国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
陀々堂の鬼はしり
ふりがな
:
だだどうのおにはしり
陀々堂の鬼はしり
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年1月14日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
1995.12.26(平成7.12.26)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
奈良県
所在地
:
保護団体名
:
念仏寺鬼はしり保存会
陀々堂の鬼はしり
解説文:
詳細解説
陀々堂の鬼はしりは、五條市の念仏寺で行われる、年頭に当たり鬼を追い除災招福を祈る行事である。旧坂合部郷12か村に坂合部新田・樫辻村が加わった14地区で運営される。大般若経の転読、昼の鬼はしり、柴燈護摩に続いて、赤鬼面をつけ右手に斧を持った父鬼、青鬼面をつけ捻木を持った母鬼、赤鬼面をつけ槌を持った子鬼の3人の鬼がでて松明を手に堂内をまわる夜の鬼はしりが行われる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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陀々堂の鬼はしり
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陀々堂の鬼はしり
解説文
陀々堂の鬼はしりは、五條市の念仏寺で行われる、年頭に当たり鬼を追い除災招福を祈る行事である。旧坂合部郷12か村に坂合部新田・樫辻村が加わった14地区で運営される。大般若経の転読、昼の鬼はしり、柴燈護摩に続いて、赤鬼面をつけ右手に斧を持った父鬼、青鬼面をつけ捻木を持った母鬼、赤鬼面をつけ槌を持った子鬼の3人の鬼がでて松明を手に堂内をまわる夜の鬼はしりが行われる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
わが国の各地には年頭に当たって鬼を追い除災招福を祈る行事が残っている。鬼祭などとよばれるこの行事は、鬼の逃げ回ることを強調して鬼はしりなどともよばれる。鬼に災厄の一切を仮託しこれを追って厄を払う風習は、追儺や修正会等の行事に伴って行われることが多い。このなかで、鬼が追われる対象ではなく幸いをもたらす役割を担う例もみられる。五條市大津町の念仏寺で行われる陀々堂の鬼はしりもその一つである。 念仏寺は、平安時代末期に東大寺領豊井庄の一部として登場する坂合部郷12か村の郷寺といわれ、郷内の諸寺院の本山格を務めていたが、現在は真言宗に属する無住寺院となっている。この地域を支配した土豪坂合部氏は、天正2年(1574)高野山衆徒の攻撃を受けて没落するが、その末裔は代々念仏寺別当を務めてきた。 坂合部郷12か村は、近世には中村・大野村・山陰村・田殿村・大深村・黒駒村・表野村・大津村・火打村・犬飼村・上野村・相谷村として独立の村となった。しかし、吉野川を隔てた河北・河南のこれらの村々は、中世後期から坂合部山という広大な共有地を持っており、近世以降も実質的にはこの山を中心に郷という共同体を維持してきたのである。 陀々堂の鬼はしりは、この坂合部郷12か村に、明治22年から坂合部新田・樫辻村が加わり、14の地区の約600戸が維持運営する行事である。なお、坂合部郷の共有山林は現在約500町歩あり、昭和32年から(財)坂合部自治会を組織して管理している。 行事は14地区の代表と財団法人坂合部自治会、坂合部郷中代表などからなる総代会と、鬼はしりの諸役を務め実質的にこれを執行する保存会によって行われる。鬼はしりの諸役は、本役などとよばれる鬼役3名、カッテ(火手)役1名、スケ(助)役4名、カワセ役5名、貝吹き役2名、太鼓打ち役1名、棒打ち役3名、鉦打ち役1名からなる。鬼は赤鬼面をつけ右手に斧を持った父鬼と、青鬼面をつけ捻木を持った母鬼、赤鬼面をつけ槌を持った子鬼である。ほかに屋外の柴灯護摩を焚く行者がおり、これは郷外から依頼している。 1月8日に3人の鬼役が別火精進に入る。かつては念仏寺境内にあった籠堂に籠ったが、現在は朝の水垢離を一緒に取るほかはそれぞれ自宅で精進潔斎する。精進の内容は水垢離をとり別火し、精進料理で過ごすことである。この間女手は避け、人にものを貰ってはならず、人が口を付けた料理などは一切食べないことが守られる。これは、鬼は阿弥陀様の使いの羅漢様であり最高のものだから人に後れをとることはしないのだという。 12日、鬼役の1人が当屋となり、他の鬼役とカッテ役を招いて昼食と夜食を振る舞う。これも精進料理であり女手を避け自分で作る。カッテ役はこの日から精進潔斎に入る。 この日の午後カンジョウリという紙縒を作る。これは鬼はしりの当日、各鬼の両手両足をそれぞれ4か所ずつ、計16か所を縛るものである。 またこの日、鬼役とカッテ役が中心となり、朝から念仏寺に集まって鬼はしりの準備をする。これは、鬼の井戸への道作り、鬼の井戸の井戸替え、松明の製作などである。鬼の井戸は以前は吉野川に近接してあったが、洪水に遭い現在では念仏寺境内の一隅に移されている。松明は鬼役用3本とカッテ役用1本、迎え松明1本の計5本を、それぞれの役に当たった家で作る。松明は長さ60㎝、太さ4.5㎝ほどの松の角板を輪に並べ、底面の直径30㎝、口径50㎝ほどの筒を作り、これに紙を巻いた藁縄を二重にして五か所結んで止め、燃焼部分として小割にした肥松を差し込んだ、総高1.1㍍、重さ約60㎏ほどのものである。この肥松同士はハナワという親指大の太さの紙縒で輪に結ぶ。松明の本体は4年目ごとに作り替え、肥松は毎年新調される。なお、迎え松明は直径15㎝ほどに細く作り、カッテ役用の松明は鬼用の松明よりやや小さめに作られる。 この日から西金寺の住職によって念仏寺で修正会の法要が始められる。 14日午後1時頃より西金寺の住職を導師として旧坂合部郷内の降霊寺・転法輪寺・生蓮寺・吉祥寺の住職と、郷内に檀家をもつ野原の金剛寺の住職が加わり、大般若経600巻の転読が行われる。この間に本尊の裏側で鬼役が衣装を整える。転読が終了すると昼の鬼はしりが行われ、同時に本尊背後の板壁を棒で叩く阿弥陀さんの肩叩きが行われる。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)