国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
羽田のお山がけ
ふりがな
:
はたのおやまがけ
羽田のお山がけ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
人生・儀礼
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年旧暦8月15・16日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
2000.12.27(平成12.12.27)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
宮城県
所在地
:
保護団体名
:
羽田神社総代会
羽田のお山がけ
解説文:
詳細解説
この行事は、気仙沼市の羽田地区の羽田地区裏にある羽田山へ、7歳の男児が登拝して、無事成長を祈願する行事である。7歳の男児とその付き添いの大人の男性が山に登り、山頂に祀られている月山神社をお参りしておりてくるもので、参加者は羽田地区だけではなく、気仙沼市内の各地区、さらには旧唐桑町や本吉町など広範囲に及ぶ。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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羽田のお山がけ
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羽田のお山がけ
解説文
この行事は、気仙沼市の羽田地区の羽田地区裏にある羽田山へ、7歳の男児が登拝して、無事成長を祈願する行事である。7歳の男児とその付き添いの大人の男性が山に登り、山頂に祀られている月山神社をお参りしておりてくるもので、参加者は羽田地区だけではなく、気仙沼市内の各地区、さらには旧唐桑町や本吉町など広範囲に及ぶ。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
気仙沼市は、宮城県最北端に位置する太平洋岸に面した市で、羽田地区はその西部にある。西側の丘陵地帯から流れ出してくる神山川に沿って、羽田、上羽田、四十二、水梨子の各集落が形成されている。これらをあわせて羽田と呼んでおり、戸数はおよそ70戸ほどである。この羽田地区の一番奥に羽田神社が祀られている。 羽田神社の裏側にある羽田山(460㍍)へ、7歳の男児が登拝して、無事成長を祈願する行事が「羽田のお山がけ」である。 7歳の男児とその付き添いの大人の男性が山に登り、山頂に祀られている月山神社をお参りしておりてくる。その参加者は羽田地区だけではなく、気仙沼市内の各地区、さらには唐桑町、本吉町など広範囲に及ぶ。 このお山がけの行事は、明治期までは羽田山の奥にある徳仙丈山から愛宕山までの7つの山々を登拝していたという。そのころはお山がけを始める時間も、旧暦8月16日午前零時で、その時間に「一番山」と称して登り始め、日の出を拝む行事だった。「一番山」の希望者が先を争って殺到し、どんどん早くから集まるようになったため、昭和42年頃から前日の午前中にも「一番山」を行うことになり、16日朝の「一番山」とあわせて2日にわたってお山がけを行うようになった。 お山がけの参加者は、現在では車でやって来るが、昭和50年頃までは鈴をつけ飾り立てた馬に子どもを乗せてやって来る家族が多く、一緒に登拝する大人も裃をつけてやって来たと伝えられている。神社に着くと晴れ着を着た七歳児は家族とともに社務所へ行き、ハチマキ、オイズル(これをイロとかシロとも呼んでいる)、オシメ、白紙を巻いた篠竹製の杖を受け取って身につける。 子どもたちがある程度集まると、宮司や先達を先頭に1組になって登拝を始める。現在では、15日は9時から17時まで2時間おきに5回、16日は5時から9時まで2時間おきに3回登拝しているが、昭和50年頃までは時間が決まっておらず、子どもが集まってくるとそのつど出発していた。 お山がけでは「親子お山をかけるな」といわれており、子どもに付き添って登る男性は、祖父や伯父(叔父)がつとめることが多い。 登拝者は神社を出発すると、羽田山の登り口にある祓川まで行き、そこで手を洗い口をすすいでから山に登り始める。登山道の途中、三合目には山の神、四合目には早馬神社(田の神)、五合目には姥石、七合目には愛宕神社、八合目にはサイノカミが祀られており、登拝者はこれらを順次参拝しながら登っていく。中でも、五合目の姥石は女人結界で、ここから上には女性が登拝することは禁じられていた。 こうして羽田山頂上の月山神社に着くと、子どもたちは宮司を先頭に、月山神社の周囲を右回りに3回まわる。これを「オハチメグリ」といい、終わると月山神社社前で宮司のお祓いを受け頂上での行事が終了する。この後山を下り始め、八合目の杖置き場で杖を納めると、そこから先は登りとは別の、まっすぐ羽田神社に向かう急な下り坂のコースをたどり、羽田神社本殿の裏に出る。 こうしてお山がけを済ませて家に帰ると、親戚や近所の人を招いてオフルマイが行われる。このオフルマイは、以前は自宅の座敷で行われ、お山がけをした子どもは床の前に座って披露される。現在は、このオフルマイは自宅ではなく、近所の民宿などを会場にさらに盛大に行われるようになってきている。 羽田地区では、「羽田のお山をかけた者は最上をかけるな」といわれ、羽田のお山がけをした者は出羽三山への登拝が禁じられ、最近までこの禁忌が守られていた。 羽田のお山がけは、その参加者が気仙沼市内のみならず、唐桑町、本吉町などからもみられるなど非常に広範囲に及ぶことが特徴であり、またお山がけをしないものは一人前の男とは見なされず、沖乗りもさせられないという所もあるように、子どもの成長過程において済ませなければならない重要な通過儀礼とされている。 この行事は、この地方の伝統的な子どもの無事成長を願う通過儀礼として、地域の子どもの数が減少する中、現在も多くの参加者を集め伝承されている。かつ宮城県内に見られる七つ児参りの典型例としても貴重な行事である。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)