国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
米川の水かぶり
ふりがな
:
よねかわのみずかぶり
米川の水かぶり
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月初午(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
※本行事は平成30年11月29日に「来訪神仮面・仮装の神々」の一つとしてユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載されている
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
2000.12.27(平成12.12.27)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
宮城県
所在地
:
登米市東和町米川(五日町)
保護団体名
:
米川の水かぶり保存会
米川の水かぶり
解説文:
詳細解説
米川の水かぶりは、2月初午の日に五日町在住の若者や厄年の者により行われる火伏せの行事である。藁製の簑や被り物をつけた男性が社寺等を参詣し、途中、沿道の家が用意した水を屋根にかけ、また町の人びとは装束の藁を引き抜く。これを屋根の上に載せておくと火伏せになるなどという。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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米川の水かぶり
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解説文
米川の水かぶりは、2月初午の日に五日町在住の若者や厄年の者により行われる火伏せの行事である。藁製の簑や被り物をつけた男性が社寺等を参詣し、途中、沿道の家が用意した水を屋根にかけ、また町の人びとは装束の藁を引き抜く。これを屋根の上に載せておくと火伏せになるなどという。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
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詳細解説
旧登米郡東和町は、宮城県北部に位置し、北は岩手県と境を接する北上川左岸の地域である。旧狼河原村と鱒渕村の2か村が明治22年に合併して米川村となり、さらに昭和32年に近接する米谷町、日高村と合併して東和町となった。この旧米川村の中心地が狼河原であり、近世には登米郡から本吉郡へ通じる西郡街道の宿駅であった。狼河原は本町、中町、五日町からなっており、この行事は五日町で行われている。 米川の水かぶりは、2月初午の日に行われる。五日町町内在住の若者や厄年の者が集まって行われる行事で、厄払いの要素も併せもつ。この行事には、五日町町内在住の男以外が参加したり、初午の日以外にすると火事が起きるとか、宿を変えてはならないという伝承があり、宿は代々五日町地内の菅原家と決まっている。 初午の日の朝、参加者が宿の菅原家に集まって装束作りを始める。宿ではオカメとヒョットコの衣装や面を保管しており、装束を作るのに使う糯種の稲藁も用意しておくことになっている。 宿に集まった参加者たちは、行事で着用する装束を藁で作る。装束はオシメといわれる、腰や上半身にまとう蓑状のものと、その他アタマという頭に被る大きな苞状のものである。アタマは、一束の藁で作り、苞の先端には藁を細工したさまざまな飾りがつけられているが、この飾りは個々人で異なり一様ではない。苞には頭から落ちないように、頸のところで押さえるための輪状のものを作る。 装束ができあがると、参加者たちはパンツだけになり、その上にオシメをつけ、足に草鞋を履き、顔には鍋墨を塗って誰だかわからないようにして、その上からアタマを被る。 こうして、準備が終わるころに2人1組の「役の者」が、町内の家々を回って祝儀を集めるために宿を出発する。「役の者」は、宿に集まってきた者の中から選ぶことになっているが、宿の家の者は「役の者」をつとめてはならない決まりになっている。「役の者」の1人は、墨染めの僧衣をまとってヒョットコの面を被り、もう1人は女物の衣装にオカメの面を被る。オカメは担いだ手桶の中に祝儀を受け取り、行事の後で行うカサコシと呼ばれる酒宴の費用に充てる。 水かぶりの行列の先頭には、先端に幣束をつけたボンデンを持った還暦の者が立つ。このボンデンは宿が準備することになっており、初午の前に鎮守の八幡神社宮司に幣束を切ってもらい、竹に取り付けて作る。これは行事が終わると、オミョウジンサマと呼んでいる宿のウジガミに納められる。 装束を身につけた参加者は、宿から大慈寺に向かい、境内に祀られている秋葉権現社にお参りした後、用意されていた桶の水を本堂の屋根にかけて寺を出発する。 寺を出ると五日町を南端から北に向かう。町並みを、両側の家がそれぞれ用意しておいた水を、屋根にかけながら走って町の北側に向かう。こうして中町、本町を通って町の北はずれに出ると、中腹にある八幡神社に参拝し、さらに向かい側の山に祀られている若草神社にも参拝する。若草神社から降りてくると、帰りは二俣川の堤防に沿った家々をまわって宿にひきあげる。水かぶりの一行が通りかかると町内の人びとは争って装束の藁を引き抜き、これを屋根の上に載せておく。こうすると火伏せになるとか魔除けになるとかいわれている。 参加者は、宿にひきあげると風呂に入ってカサコシに参加する。以前は風呂に入らず、宿の裏側を流れている二俣川に入って禊ぎをしたという。カサコシも宿で行っていたが、平成4年頃から集会所でしている。 米川では、初午の日は水かぶりの一行が通り過ぎるまでは、色のついたものを食べることが禁じられており、これを破ると火早くなるといわれ、火災が発生しやすくなるといわれている。 この行事は、初午の日に行われる火伏せの行事であるが、同時に参加者が異装をして正体がわからないようにして現れるなど、小正月の異形異装の来訪者の行事の要素も併せもっている。また、町内在住者以外の男性の参加を認めない、水かぶりの一行が家の前を通り過ぎるまで、色のついたものを食べないという禁忌も厳格に守られている。宮城県北部における初午の火伏せ行事の中でも代表的なものであり、地域的特色もみられるものである。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)