国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
樋越神明宮の春鍬祭
ふりがな
:
ひごししんめいぐうのはるくわまつり
樋越神明宮の春鍬祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
生産・生業
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月11日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
2002.02.12(平成14.02.12)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
群馬県
所在地
:
保護団体名
:
神明宮春鍬祭保存会
樋越神明宮の春鍬祭
解説文:
詳細解説
樋越神明宮の春鍬祭は、毎年2月11日に神明宮で行われる稲作の予祝行事であり、神社境内の一部を田に見立てて稲作の作業過程を模擬的に演じ、その年の豊作や無病息災などを祈願する。氏子である6つの地区から禰宜、作頭、鍬持といった諸役を決め、クロヌリ(畔塗り)などの稲作の所作を行い、最後に鍬持が鍬を一斉に投げ上げ、人々がその鍬を競って奪い合う。この鍬は縁起がよい、養蚕があたるなどといって喜ばれる。また、作頭も初穂を投げ、この初穂をとった者は大豊作になるという。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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樋越神明宮の春鍬祭
樋越神明宮の春鍬祭
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樋越神明宮の春鍬祭
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樋越神明宮の春鍬祭
解説文
樋越神明宮の春鍬祭は、毎年2月11日に神明宮で行われる稲作の予祝行事であり、神社境内の一部を田に見立てて稲作の作業過程を模擬的に演じ、その年の豊作や無病息災などを祈願する。氏子である6つの地区から禰宜、作頭、鍬持といった諸役を決め、クロヌリ(畔塗り)などの稲作の所作を行い、最後に鍬持が鍬を一斉に投げ上げ、人々がその鍬を競って奪い合う。この鍬は縁起がよい、養蚕があたるなどといって喜ばれる。また、作頭も初穂を投げ、この初穂をとった者は大豊作になるという。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
樋越神明宮の春鍬祭は、毎年2月11日に行われる稲作の予祝行事であり、神社の境内の一部を田に見立てて稲作の作業過程を模擬的に演じ、その年の豊作や無病息災などを祈願するものである。 樋越の神明宮は、現在の玉村町域内にあった伊勢神宮の玉村御厨に勧請されたと伝えられている古社で、春鍬祭はこの神明宮の氏子たちによって伝承されてきた行事である。 寛政10年(1798)に書かれた伊勢崎領の地誌である『伊勢崎風土記』には、「神明社在樋越原村…(中略)…毎年二月朔日有大祭呼春鍬祭」とあり、少なくとも18世紀後半には、神明宮において「春鍬祭」と称される行事が行われていたことが知られている。 祭日は、明治7年(1874)頃までは2月1日であったが、何度かの変更を経て、明治44年(1911)から現行の期日となっている。 この行事は、神明宮の氏子である玉村町樋越の原、森下、上樋越、中樋越上、中樋越下、下藤川の6つの地区の人たちから選ばれた禰宜、作頭、鍬持といった諸役と神明宮の神職(現在は伊勢崎市にある飯玉神社の宮司が兼帯)によって行われる。諸役は、禰宜が原地区から、作頭が中樋越下地区から選ばれるのがしきたりで、鍬持だけは6地区から出る。 原地区は、神明宮が鎮座する地区で、通称、神明と呼ばれているように、神明宮の維持管理に中心的な役割を果たしてきた集落であり、一年交替で禰宜となる者を氏子総代が選出する。禰宜になれる者は、その年に不幸や出産がなかった家の男性に限られ、その家は禰宜宿と呼ばれる祭りの宿となる。 一方、作頭は、中樋越下地区の特定の家筋が世襲でつとめてきたが、明治26年(1893)から当番制となり、地区内の家々が一年交替でその役につくようになっている。 禰宜は祭りを進行する役割を担い、作頭は祭場で鍬持たちを先導するなど彼らの総代的な存在で、この両者が中心となって祭りが執行される。鍬持は、各地区ごとに10~15名ずつが一年交替で選ばれ、総勢で60~70名ほどになる。稲作の作業過程を演じるのは、この鍬持たちである。 祭りの準備作業は、鍬持になる男性たちによって各地区ごとに行われる。作業場は、原地区では禰宜宿、中樋越下地区では作頭の家と決まっており、その他の地区でも一年交替で準備作業をする家を決めている。春鍬祭が近づくと、まず2月9日には、ゴクヨセといって、鍬持たちがそれぞれの地区内にある家々を回って餅米を集め、その日のうちにといで水に浸しておく。翌10日は、その餅米を使って餅搗きをし、供物とする鏡餅や祭りの最後に観衆に撒くゴシモチという切り餅や、鍬持が祭場で手に持つ鍬先用の餅などをつくる。鍬は、先端の葉だけを残した1㍍ほどの樫の枝に、鍬の刃として丸い餅を差したもので、刃の近くには、キソゲと呼ばれ、刃に付いた土を削ぎ落とす竹のヘラに見立てた長方形の餅を紐で結びつける。 なお、昭和30年代後半までは、米のとぎ水で風呂を沸かし、鍬持たちが餅搗きの前に入って身を清めていた。 11日の祭り当日は、午後になると神職が禰宜宿に入り、原地区の鍬持たちは外で待機する。一方、作頭と5つの地区の鍬持たちは、それぞれに鏡餅やゴシモチ、鍬を持参して、神明宮の近くの施設に集まって待機する。そして、準備が整うと、禰宜宿へ禰宜の出番を依頼する使者を送る。禰宜宿では、それを受けて、神職、禰宜、鍬持の順で宿を出発し他の地区の人たちと合流した後、原地区を先頭に行列を組んで神明宮に向かう。 神明宮では、境内の拝殿の前に祭場が設けられている。祭場は、役6㍍四方でその隅に葉付きの青竹を立て、拝殿に向かってコの字形になるように注連縄を張ったものである。注連縄を張った内側が田に見立てられる。一行は、神明宮に着くと拝殿に上がり、持参した鏡餅を供える。そして、祝詞奏上などが行われた後、禰宜を中央にして神職、作頭の3名が拝殿の緑側に外を向いて並び、各地区の鍬持たちは鍬を手に持って祭場の注連縄に沿って整列する。そして、作頭の合図でクロヌリ(畔塗り)の所作が始まる。作頭は鍬持たちの間に入って、この作業を検分する所作をし、「そこのクロが曲がっている」、あるいは「ここにモグラ穴がある」などと注意をして、不十分な箇所をやり直しさせる。観衆からも同様の声がかかり、鍬持たちはそれに呼応するように、祭場内の方々でクロヌリの所作を何度も繰り返す。かつては、稲作に関する所作が豊富に行われていたと伝えられているが、現在では、クロヌリが中心となっている。 次に「田に水をまわす」として作頭が鍬持に御神酒を回す。やがて禰宜の合図に応じて、鍬持が鍬を高く振り上げる。3回振り上げると鍬を一斉に投げ上げ、同時に注連縄が切られて、人々が競って鍬を奪い合う。鍬は縁起がよい、「桑」に通じることから養蚕があたるなどといって喜ばれる。その後、禰宜や鍬持がゴシモチや蜜柑を撒き、作頭が初穂を投げる(初穂はもとは神田で作られていた)。初穂をとった者は大豊作になるという。 この行事は、我が国の典型的な予祝行事の1つであり、独自の祭祀組織がみられるなど地域的特色も豊かである。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)