国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
木幡の幡祭り
ふりがな
:
こはたのはたまつり
木幡の幡祭り
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
人生・儀礼
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年12月第1日曜日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などへご確認ください)
※この行事は、平成6年12月13日に「木幡の幡祭り」として記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。
指定証書番号
:
395
指定年月日
:
2004.02.06(平成16.02.06)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
福島県
所在地
:
保護団体名
:
木幡幡祭保存会
木幡の幡祭り
解説文:
詳細解説
木幡の幡祭りは、木幡山に鎮座する隠津島神社の氏子である木幡の9地区から、隠津島神社や羽山神社まで色とりどりの布を縫い合わせた大幡を担いで行列する登拝行事である。ゴンダチと呼ばれる18歳前後の初めて行事に参加する男子の成人儀礼を伴う行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
木幡の幡祭り
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木幡の幡祭り
解説文
木幡の幡祭りは、木幡山に鎮座する隠津島神社の氏子である木幡の9地区から、隠津島神社や羽山神社まで色とりどりの布を縫い合わせた大幡を担いで行列する登拝行事である。ゴンダチと呼ばれる18歳前後の初めて行事に参加する男子の成人儀礼を伴う行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
木幡の幡祭りは、福島県の旧安達郡東和町の木幡で12月第一日曜日に行われる行事である。木幡山に鎮座する隠津島神社の氏子である木幡の9地区から、木幡山に祀られる隠津島神社を経て羽山神社まで色とりどりの布を縫い合わせた大幡を担いで行列する華やかな登拝行事であり、ゴンダチと呼ばれる18歳前後の初めて行事に参加する男子の成人儀礼を伴う行事である。 旧東和町は、福島県の中央部よりやや北寄り、二本松市の東に位置する。福島県東部を南北に縦貫する阿武隈高地に抱かれた山がちの町で、稲作と同時に江戸時代以来養蚕業の盛んな地域であった。 この行事は、昭和41年までは旧暦11月18日に行われ、参加する男子は3日ほど前から地区ごとの堂社と呼ばれる籠もり堂に籠もって身を清めてから祭りに臨んだが、昭和42年からは12月第一日曜日に行われるようになり、お籠もりも前日1日だけという所が多くなっている。堂社は、近年では9地区それぞれの地域集団を指していう言葉にもなっている。 祭りの前日までに色とりどりの布や白布で五反幡や三反幡を縫う幡縫いや、梵天、駒形、法螺貝、ゴンダチの持つ太刀作りなどの準備が堂社の人びとによって行われる。これらの準備が終わる前日の夕方や行事当日の朝に、各自の地区に祀られている神に梵天、幡などを持って参加者やゴンダチがお参りする小宮参りが行われ、前日の夜には参加者やゴンダチが水垢離をとる。 お山かけとも言われる幡祭り当日は、各堂社ごとに集合して行列を作り、全体の集合場所である木幡第一小学校に向かう。各堂社の行列が小学校に着く時間になると、地元の田谷堂社は迎え幡と神酒を持って出迎える。参加する9つの堂社が揃うと出立式が行われ、隠津島神社宮司による修祓を受けた後、行列を組んで出発する。各堂社ごとに参加者の中から大将、副大将が選ばれそれぞれの堂社を指揮し、9つの堂社全体をまとめる役として木幡観光振興会会長が総大将になる。ゴンダチは藁縄で作った袈裟を首にかけ、木を男根状に削った太刀を肩からさげて行列に参加する。隠津島神社の参宿所に着くと休憩し、早めの昼食をすませる。 ここからは幡を持った一行とゴンダチの一行の二手に分かれ、ゴンダチ一行は隠津島神社南側の参道を進み羽山神社へ向かう。一方、幡を持った一行は尾根づたいに進み、羽山神社へ一足先に着いてゴンダチ一行を待つ。 ゴンダチ一行は羽山神社の手前にある岩場に着くと、大きな割れ目をくぐり抜ける。これを「胎内くぐり」という。これは袈裟と太刀をはずしたゴンダチがお賽銭とも呼ばれる小銭をくわえて大岩の割れ目をくぐり抜ける行事である。小銭はくぐり抜けると一度地面に落として拾い上げ、羽山神社を参拝する前に乳と呼ばれる粥をいただくときに差し出すものである。 ゴンダチは全員が胎内くぐりを終わると大岩の前に並び、大岩の上に立った年長者と大岩の下に立った者とが問答をし、胎内くぐりをして生まれかわったゴンダチに命名する儀礼をする。これを「ゴンダチ呼び」とか「ゴンダチ呼ばり」とも言う。 この後ゴンダチ一行は羽山神社に上がり、手前の小屋で「食い初め」とか「乳を御馳走になる」と言って、小豆を入れて作った「乳」とも呼ばれる粥を食べる。これがすむとゴンダチ一行は持参した梵天と丸餅を羽山神社に供え、別の道を登ってきた幡の一行と共に神社の前に勢揃いしてお参りする。 その後ゴンダチだけで羽山神社を拝む儀礼が行われる。最初に神社に背を向けて拝む「背拝み」、次に神社に向かって横を向いて拝む「横拝み」、最後に神社に正面して拝み、都合3回拝むことになっている。この拝み方は、古くは1年目に「背拝み」、2年目に「横拝み」、3年目に正面を向いて拝むというように3年がかりで行われていたという。このように3年かかってゴンダチが羽山神社を拝んでいたころも、袈裟と太刀を着けて登ったのは一年目だけであった。 羽山神社へのお参りがすむと、幡の一行とゴンダチの一行はいったん尾根に上がってから下山し、途中で隠津島神社に参拝して各堂社に帰る。 この行事は、初めて参加するゴンダチが胎内くぐり、命名の儀礼、食い初めなど生まれかわりの儀礼を行うことや、羽山神社では3回目に初めて正面を向いて拝むことが許されるなど、一種の成人式の役割を果たしていることをよく示しており重要である。木幡地区の男子は、ゴンダチとしてこの行事に参加しないと一人前とは認められず、大人の仲間入りができなかったという伝承もそれを裏づけている。 (※解説は指定当時のものをもとにしています)