国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要無形民俗文化財
主情報
名称
:
近江中山の芋競べ祭り
ふりがな
:
おうみなかやまのいもくらべまつり
近江中山の芋競べ祭り
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年9月1日(※指定当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
指定証書番号
:
1
指定年月日
:
1991.02.21(平成3.02.21)
追加年月日
:
指定基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
指定基準2
:
指定基準3
:
所在都道府県、地域
:
滋賀県
所在地
:
保護団体名
:
芋くらべ祭保存会
近江中山の芋競べ祭り
解説文:
詳細解説
この行事は、トウノイモ(里芋の一種)の根元から葉先までの長さを儀礼的に競い合い、地区の融和をはかり、生業(畑作、稲作など)の発展を期そうとする行事である。当日は、熊野神社の社務所で宮座行事がなされ、続いてノガミヤマへ登って芋競べを行い、その後熊野神社へ帰って祭りの終了行事がなされる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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近江中山の芋競べ祭り
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近江中山の芋競べ祭り
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近江中山の芋競べ祭り
解説文
この行事は、トウノイモ(里芋の一種)の根元から葉先までの長さを儀礼的に競い合い、地区の融和をはかり、生業(畑作、稲作など)の発展を期そうとする行事である。当日は、熊野神社の社務所で宮座行事がなされ、続いてノガミヤマへ登って芋競べを行い、その後熊野神社へ帰って祭りの終了行事がなされる。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
近江中山の芋競べ祭りは、中山地区の人々が長きにわたり栽培してきた作物の一種、トウノイモ(唐の芋の意。里芋の一種)の根元から葉先までの長さを儀礼的に競い合い、地区の融和をはかり、生業(畑作、稲作など)の発展を期そうとする行事である。 この祭りは記録によると、古くは8月行事(旧暦)としてなされていたことが知られる。現行のように9月1日に定着したのは昭和46年以降のことである。 この祭りは、山子→山若→勝手→おとな(宮座)と連なる年齢階梯的秩序を伴う厳格な宮座制に基づき、整然とした役割分担で準備がなされ、次第が進行する。 諸準備は基本的に東谷区・西谷区の地区別に分かれ、祭りとの関係や役割分担などとの関係で、各会所・おとなの神主宅(最長老者の家屋)・熊野神社(中山区の氏神)・同社務所およびノガミヤマ(野神山。東谷区と西谷区の境界に位置し、芋競べ行事がなされる)などで行われる。 山子は数え年8歳から14歳までの男児で、ノガミヤマにある祭場内のイシメクリ(敷石めくり)・イシアライ(敷石洗い)・イシナラベ(改めて敷石を並べる)などが主たる役目である。 山若は山子を経験した者のうちで数え年16歳以上の者(年長順で定員制。7人)でトウノイモを厳選したり、それを孟宗竹に飾り付ける作業のほか、ナラシと称して本番に備えての練習を積み重ねる。 勝手は山若の経験者が年長順(当番制。1、2名)に就き、祭りに必要な神饌(オリ〈御鯛。鯛の形をしたもの〉、ブト〈伏兎。白餅ともいう〉、センバ〈ズイキの酢のもの〉、ササゲ〈大角豆。味つけした煮もの〉など)や調度品を確認し、祭りの次第に応じて必要なものを調えたり、おとなの会合に給仕役を務める。 おとなは勝手の経験者が年長順(定員制。東谷区・西谷区各六人で12名)に就き、芋競べ祭りを含めた地区内の神事一切に責任を持つ。 祭り当日は、熊野神社の社務所で宮座行事がなされ、続いてノガミヤマへ登って芋競べを行い、その後熊野神社へ帰って祭りの終了行事がなされる。 山若と山子が、各地区別に列をなして孟宗竹に飾り付けられた芋を担ぎ、決まりの道を通り、竹の菱垣に囲われた祭場にいたる。祭場における東西の境目にあるイモイシ(芋石)を基準に、それをはさんだ左右に東谷区・西谷区の山若・山子が所定の座に着くと、ニバンジョウ(山若のうち2番目の年長者)の発声で、相手方のニバンジョウの確認をとり、東西各々が個別に伝言する形式で進行される。祭りの次第はいずれも特徴ある口調(あるいは口上)と所作で進められ、定型化されている点が注目される。 この芋競べ祭りは、対象となっている競べもの自体において全国的にみてもきわめて珍しく、もの競べを通しながらも最後には地区(村落)が一体に融和される点でも特色を持っている。(※解説は指定当時のものをもとにしています)