国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録有形民俗文化財
主情報
名称
:
狭山茶の生産用具
ふりがな
:
さやまちゃのせいさんようぐ
狭山茶の生産用具
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員数
:
255点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
その他参考となるべき事項
:
登録番号
:
00004
登録年月日
:
2007.03.07(平成19.03.07)
追加年月日
:
登録基準1
:
二 有形の民俗文化財の収集であって、その目的、内容等が歴史的変遷、時代的特色、地域的特色、技術的特色、生活様式の特色又は職能の様相を示すもの
登録基準2
:
登録基準3
:
所在都道府県
:
埼玉県
所在地
:
入間市二本木100
保管施設の名称
:
入間市博物館
所有者名
:
入間市
管理団体・管理責任者名
:
狭山茶の生産用具
解説文:
詳細解説
この資料は、狭山地方の茶の栽培および加工に関する用具類の収集である。明治以降、昭和40年代頃まで使われた狭山茶の生産に関する用具が中心で、茶樹の剪定用具から茶の貯蔵用具まで各工程で使われる用具が体系的に収集されている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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狭山茶の生産用具
狭山茶の生産用具
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狭山茶の生産用具
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解説文
この資料は、狭山地方の茶の栽培および加工に関する用具類の収集である。明治以降、昭和40年代頃まで使われた狭山茶の生産に関する用具が中心で、茶樹の剪定用具から茶の貯蔵用具まで各工程で使われる用具が体系的に収集されている。
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詳細解説
この資料は、埼玉県南西部、狭山地方の茶の栽培及び加工に関する用具を取りまとめたものである。湿潤な空気に恵まれ、丘陵の多い狭山地方では、南北朝時代の『異制庭訓往来』に「武蔵河越茶」という記述があり早くから茶が生産されていたと考えられている。 この茶の生産は、中世末期衰退したといわれるが、近世後期に茶が大衆化し、江戸での需要が増大すると、今日の入間市で野生の茶樹を利用して再び生産されるようになった。吉川温恭と村野盛政という人物が享和年間(1801~1804)頃に生産しはじめたなどといわれるが、当初は、宇治の製茶法を導入したため「狭山出産之宇治製茶」と呼ばれていた。その後、幕末の開港で茶が生糸とともに主要輸出品目となると、狭山地方一帯で生産されるようになり、明治に入り狭山会社の設立を皮切りに品質向上や生産増大への取り組みも本格化し、やがて狭山地方で生産された茶は、狭山茶と呼ばれるようになった。 狭山茶の生産で独特とされるのは、茶葉の品質を落とさないため茶摘みを二番茶でとめることや「狭山火入れ」と呼ばれる火入れ法である。「狭山火入れ」は、焙炉を使って低温で長時間、火入れを行うもので、茶の香味が優れ、貯蔵性に富むようになるという。狭山茶の生産工程は、茶樹の栽培にあたる管理と茶摘み、加工にあたる蒸し、手揉、火入れ、貯蔵からなる。 この資料は、明治以降、昭和40年代頃まで使われた狭山茶の生産に関する用具が中心で、茶樹を剪定する茶刈り鋏から、できあがった茶を貯蔵する茶箱まで各工程で使う用具がほぼ網羅的に収集されている。この中には手揉の仕上げで、茶の形を整えて光沢を出すために使うこくり板や火入れの仕上げ段階で摩擦により茶葉の角を丸める冷摺機など、狭山地方で考案されて普及したと考えられている用具もある。また、蒸しの工程における蒸籠、青葉蒸し器、茶葉蒸熱機のように、同一工程において使用された時期の異なる用具が収集されていることから、近代以降の用具の変遷を示すものともなっている。 我が国の茶の生産は、中世に始まり、近世末より盛んになったとされ、狭山、静岡、宇治、伊勢、八女などが茶の産地として知られてきた。この資料は、狭山茶独特の栽培・加工のなかで使用される用具や狭山地方で考案されたとされる用具が含まれ地域的特色を示しているだけでなく、用具の近代以降の変遷も知ることができることから、狭山茶の生産の実態をよく示すとともに、我が国の茶の生産を考える上でも注目される。