国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
登録有形民俗文化財
主情報
名称
:
倉吉の千歯扱き及び関連資料
ふりがな
:
くらよしのせんばこきおよびかんれんしりよう
倉吉の千歯扱き及び関連資料
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員数
:
212点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
その他参考となるべき事項
:
内訳 千歯扱き147点、関連資料65点
登録番号
:
00036
登録年月日
:
2015.03.02(平成27.03.02)
追加年月日
:
登録基準1
:
二 有形の民俗文化財の収集であって、その目的、内容等が歴史的変遷、時代的特色、地域的特色、技術的特色、生活様式の特色又は職能の様相を示すもの
登録基準2
:
登録基準3
:
所在都道府県
:
鳥取県
所在地
:
鳥取県倉吉市仲ノ町3445-8
保管施設の名称
:
倉吉博物館
所有者名
:
倉吉市
管理団体・管理責任者名
:
倉吉の千歯扱き及び関連資料
解説文:
詳細解説
本件は、江戸中期から倉吉で製造され、大正期にかけて全国に広く流通した脱穀用具の一つである千歯扱きとその関連資料を、生産地である倉吉で収集したものである。収集された千歯扱きの多くが、製造年が銘記されていることから、江戸後期から大正期までのものを確認できるうえ、平打から甲丸打へと穂の形状が変化していった様相を知ることができる。また、引き札や行商日記などの関連資料からは、この地域の千歯扱きが全国に普及する背景となった販売戦略を読み取ることもできる。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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倉吉の千歯扱き及び関連資料
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倉吉の千歯扱き及び関連資料
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解説文
本件は、江戸中期から倉吉で製造され、大正期にかけて全国に広く流通した脱穀用具の一つである千歯扱きとその関連資料を、生産地である倉吉で収集したものである。収集された千歯扱きの多くが、製造年が銘記されていることから、江戸後期から大正期までのものを確認できるうえ、平打から甲丸打へと穂の形状が変化していった様相を知ることができる。また、引き札や行商日記などの関連資料からは、この地域の千歯扱きが全国に普及する背景となった販売戦略を読み取ることもできる。
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詳細解説
倉吉の千歯扱き及び関連資料は、江戸中期頃から製造され、幕末から大正期にかけて「倉吉千刃」として全国的に流通した、伯耆倉吉の千歯扱きとその関連資料の収集である。千歯扱きは、台木に櫛状の鉄製の歯である穂を備え、稲穂をここに掛けて引くと脱粒するといった脱穀用具であり、それ以前の扱箸にとって替わり、脱穀作業を飛躍的に発展させた農具である。倉吉は、良質な鉄が採れたことを背景に、早くから鍛冶集団を有しており、量産体制も整っていたことから、千歯扱きの一大生産地となった。千歯扱きの製造は、江戸末期に鳥取藩の庇護を受けて盛んになり、その後、明治・大正期には分業化して生産の体制が向上し、隆盛をきわめていった。最盛期は大正初年で、全国生産量の約80%にまで及んでいる。 倉吉が全国展開するに至った要因の一つに、巧みにして斬新な販売戦略があげられる。穂は数年で傷んだことから、各地に拠点を設け、そこを中心に職人たちが全国を周巡し、販売のみならず修理等も行うといった商品管理にも尽力することで、顧客は定着、さらに商圏は拡大していった。しかしながら、大正末期に回転式の足踏脱穀機が普及すると、一気に衰退していく。 収集された千歯扱きは、その形態として、台付きで穂と一体型のもの、穂のみのもの、台のみのものがあり、穂や台木には工房や製作年などが刻まれている場合が多い。本収集では、嘉永7年(1854)から大正8年までのものが確認されており、また、これらの資料から、千歯扱きの穂の形状が平打と称する角ばったものから、甲丸打と称する半円状のものへと推移していく過程も見て取れる。 関連資料には、引き札や行商日記、作業風景を撮ったガラス乾板などがあり、千歯扱きの製造や販売の実態をよく示している。