国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
脚折の雨乞行事
ふりがな
:
すねおりのあまごいぎょうじ
脚折の雨乞行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:4年に1度の8月第一日曜日(※お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2005.02.21(平成17.02.21)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
埼玉県
所在地
:
保護団体名
:
脚折雨乞行事保存会
脚折の雨乞行事
解説文:
詳細解説
脚折の雨乞行事は、鶴ヶ島市脚折地区に伝わる巨大な蛇体を用いた雨乞いの行事で、竹や麦藁などで作られた蛇体を大勢の男性たちが担いで地区内を練り歩いた後、池の中に入れて降雨や五穀豊穣を祈願するものである。
我が国の雨乞行事の典型的な要素をよく伝えている関東地方の大規模な雨乞い行事であり、今日では少なくなりつつある生業に関わる共同祈願の行事としても注目されることから、我が国の生業に関する信仰や年中行事の変遷を考えるうえで貴重である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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脚折の雨乞行事
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脚折の雨乞行事
解説文
脚折の雨乞行事は、鶴ヶ島市脚折地区に伝わる巨大な蛇体を用いた雨乞いの行事で、竹や麦藁などで作られた蛇体を大勢の男性たちが担いで地区内を練り歩いた後、池の中に入れて降雨や五穀豊穣を祈願するものである。 我が国の雨乞行事の典型的な要素をよく伝えている関東地方の大規模な雨乞い行事であり、今日では少なくなりつつある生業に関わる共同祈願の行事としても注目されることから、我が国の生業に関する信仰や年中行事の変遷を考えるうえで貴重である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
脚折の雨乞行事は、鶴ヶ島市脚折地区に伝わる巨大な蛇体を用いた雨乞いの行事で、竹や麦藁などで作られた蛇体を大勢の男性たちが担いで地区内を練り歩いた後、池の中に入れて降雨や五穀豊穣を祈願するものである。 鶴ヶ島市は、埼玉県の中南部、高麗川と小畦川に挟まれた入間台地に位置する。雨乞行事が伝承される脚折地区は、市域の北部にあり、畑作が盛んに行われてきたところである。水田がわずかであった当地では、陸稲を主要な作物としてきたが、その収穫量は夏の降水量によって大きく左右されたため、稲の穂が出始める7月末から8月初旬にかけて起こる旱魃に対し、大きな蛇体を作って天の恵みを祈ってきたのであった。 文化年間(1804~18)に編纂された『新編武蔵風土記稿』の脚折村の項には、「陸田多し……まま旱魃を患れども水損の害なし」とあり、当地がしばしば水不足に悩まされてきたことが知られる。 この行事は、夏の旱魃時に行われてきたものであるが、昭和30年代半ば頃から行事の担い手であった専業農家がしだいに減少していったため、昭和50年代に入ると脚折雨乞行事保存会が組織され、4年に1度、8月1日に期日を定めての公開となり、現在に至っている。 雨乞行事に登場する蛇体は、長さ30㍍以上、重さ3㌧を超える巨大なもので、口を開いた大きな頭部をもち、大蛇あるいは龍などと呼ばれている。蛇体の製作は、麦藁や孟宗竹などを主な材料として行事の1週間前に地区内にある白鬚神社の南側の路上で行われる。まず竹で本体の骨組みを作り、担ぎ竹を取り付けた後、藁束を幾重にも重ねて肉付けし、尾に向かって徐々に細くなるように形を整えていく。最後に全体を熊笹で覆い、頭部に宝珠や角、耳、目、鼻などを取り付け、尾に尻剣と呼ばれる作り物の剣を挿して完成となる。また、行事の前日には、雷除けや雨乞いなどで関東一円の信仰を集める群馬県板倉町の雷電神社に地区の代表が参り、龍神が棲むとされる御手洗沼の霊水を竹筒に入れて持ち帰り、行事に備える。 8月1日は、正午頃に白鬚神社で祭典が行われた後、300人ほどの男性たちが蛇体を担いで神社を出発する。一行は、雷電大神や天水分神【あめのみまくりのかみ】などの神名が書かれた幟旗を伴い、法螺貝や太鼓に先導されながら地区内を練り歩き、神社から約2㎞離れた雷電池【かんだちがいけ】に向かう。この雷電池は、近世には雷や夕立で有名な景勝地として知られ、現在は児童公園として整備されているものの、かつては老樹がうっそうと茂り、地下水が豊かに湧き出る大きな泉であったといわれている。 一行が雷電池に着くと、池の畔に祀られている雷電社(白鬚神社末社)で修祓が行われ、次いで、板倉の雷電神社から運んできた御神水が池に注がれる。そして、幟旗が池の真ん中に立てられると、蛇体がゆっくりと池に入れられ、担ぎ手は水しぶきを浴び、蛇体をうねらせながら池の中を周回する。法螺貝や太鼓の音が鳴り響く中、「雨降れたんじゃく、ここにかかれ黒雲」と降雨を願う掛け声が加わり、また、尻剣で水面が激しく叩かれ、蛇体が周回するごとに池の中は泥水と化しながら喧噪を増していく。こうした一連の騒ぎや池の水を掻き回す行為は、聖地を穢して水神を怒らせ雷や雨を誘うために行うものといわれる。蛇体が池の中を何周かすると、担ぎ手の男性たちがいっせいに取り付き、藁や笹などを掻きむしって短時間のうちに解体する。 池の中に散乱した麦藁は畑の堆肥として利用され、宝珠や蛇体の目などは先を競っての奪い合いとなり、縁起物として家に持ち帰られる。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)