国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
北信濃の柱松行事
ふりがな
:
きたしなののはしらまつぎょうじ
北信濃の柱松行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:3年に1度7月15日に近い日曜日(飯山市小菅)、毎年7月14日(木島平村内山)、毎年7月28日(木島平村南鴨)(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
※この行事のうち小菅の行事は平成23年3月9日に重要無形民俗文化財に指定されています。
記録:『小菅の 柱松―北信濃の柱松行事調査報告書―』飯山市教育委員会(平成20年3月)
選択番号
:
選択年月日
:
2005.02.21(平成17.02.21)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
長野県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
北信濃の柱松行事
解説文:
詳細解説
この行事は、大きな柱の先端に御幣や榊を付け、それへの点火を競う行事で、現在、飯山市小菅や木島平村内山・南鴨などで行われている。
小菅の例をみると、行事前日、松神子と称する2人の10歳未満の男児による禊ぎの水垢離と奥社参りが行われ、その夜、獅子舞や猿田彦による注連切りも行われる。祭り当日、里宮での神事などが終わると、松神子や松子役の若衆が講堂前広場に集合する。そして松太鼓役の打つ太鼓に合わせて、松子役が松神子を抱えて柱松に登って点火の早さを競う。点火すると松子役は松神子を下ろして十王堂の休石まで背負って走る。この競争では、上が勝てば天下泰平、下が勝てば五穀豊穣とされる。燃え上がった柱松は倒され、虫除けの呪いに参加者が競って持ち去る。
この行事は、祇園祭などの祭礼行事の中で伝承される柱松行事として独特のもので、構成内容も地域的特色が豊かであることから、我が国の民間信仰や年中行事を考えるうえで注目される。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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北信濃の柱松行事
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北信濃の柱松行事
解説文
この行事は、大きな柱の先端に御幣や榊を付け、それへの点火を競う行事で、現在、飯山市小菅や木島平村内山・南鴨などで行われている。 小菅の例をみると、行事前日、松神子と称する2人の10歳未満の男児による禊ぎの水垢離と奥社参りが行われ、その夜、獅子舞や猿田彦による注連切りも行われる。祭り当日、里宮での神事などが終わると、松神子や松子役の若衆が講堂前広場に集合する。そして松太鼓役の打つ太鼓に合わせて、松子役が松神子を抱えて柱松に登って点火の早さを競う。点火すると松子役は松神子を下ろして十王堂の休石まで背負って走る。この競争では、上が勝てば天下泰平、下が勝てば五穀豊穣とされる。燃え上がった柱松は倒され、虫除けの呪いに参加者が競って持ち去る。 この行事は、祇園祭などの祭礼行事の中で伝承される柱松行事として独特のもので、構成内容も地域的特色が豊かであることから、我が国の民間信仰や年中行事を考えるうえで注目される。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
大きな柱の先端に御幣や榊を付け点火を競う行事を一般に柱松、柱松行事などと呼んでいる。この行事は、催される時期などから祖霊供養の意味をもつものと、修験道の験比べの様相を示す行事などのあることが知られている。 北信濃の飯山市小菅や木島平村内山・南鴨などで行われている柱松行事は、例祭である祇園祭に行われており、独特の様相を示している。 飯山市小菅の柱松行事は、昭和41年までは毎年7月15日に行っていたが、昭和43年以降は3年に1度の開催となり、期日も平成元年から7月15日に近い日曜日となった。また、木島平村内山では毎年7月14日、南鴨では毎年7月28日に近い日曜日に行われている。 小菅の柱松行事を例にとると、神仏習合時代の小菅神社は、小菅山八所大権現と称し、祭神は素戔鳴尊、伊弉冉尊、廣國押武金日尊【ひろくにおしたけかねひのみこと】、菊理媛尊【きくりひめのみこと】、大國魂尊【おおくにたまのみこと】、大己貴尊【おおなむちのみこと】、瓊々杵尊【ににぎのみこと】、手力雄尊【たぢからおのみこと】を祀っており、氏子は小菅、笹沢、前坂、針田、関沢、神戸、小見の7か村にわたった。 当時の例祭は、社殿での祭式は大聖院別当の武内家が主宰し、午後に行われた神輿渡御と柱松行事は、神輿行事を里宮神主の鷲尾家が、柱松行事を大聖院別当の武内家が主宰した。神輿は俗にお天王様と呼ばれ、牛頭天王すなわち素戔鳴尊を祀ったものである。 現在の小菅神社の例祭は、6月末の松神子と保護者の大祓から始まる。柱松は祭り前週の日曜日に、講堂と呼ばれている建物の前庭に建てられる。この建物は、元は大聖院の阿弥陀堂であった。 なお、武内氏は昭和30年代末に跡が途絶え、現在では里宮神主の鷲尾氏がすべての行事を主宰している。 柱松は杉の丸太を芯柱とし、丸太と茅でこれを囲み、椚や楢の葉付きの雑木をヤマブドウの蔓で巻き締めて作る。丸太と茅と雑木は小菅集落で用意するが、ヤマブドウの蔓は野沢温泉村の前沢集落が用意する。なお、以前は茅は神戸集落が用意したものという。柱松の大きさは、高さ約4㍍、周囲約2.5㍍で、頂上に杉の葉を漏斗状に挿し込み、ブドウ蔓を四方に張って固定する。柱松は2基作り、上(東)の柱松は小菅集落の人たちが、下(西)の柱松は針田、笹沢、関沢の人たちが作る。 祭り前日の土曜日、前年の御射山神事の日に刈って保存しておいた茅の穂先を使い、柱松の頂上に付ける点火用のマーヤと呼ばれる茅束を作る。午後には、松神子の禊ぎの水垢離と奥社参りが行われ、松神子は神職・父親らとともに行列を組んで奥社に登って、一夜参籠する。松神子は2人で、10歳未満の男児が務め、希望者が子どもの無事成長を祈願して、生後まもなく申し込む。 この夜、講堂前と社務所の前で獅子が舞われる。獅子は二人立一匹獅子である。ワケヨリ役を迎えて祭りが始まる。鳥居下で猿田彦の注連切りの儀式が行われ、里宮で獅子舞の奉納後、祭り一行は講堂に戻り直会をする。 祭り当日早朝、松神子の一行は奥社を下山し護摩堂に入る。松子役の若衆12人が護摩堂に集合して水垢離をとる。松子は松神子を助けて柱松行事を行う役で、かつては独身の長男のみが務められる名誉の役であった。 松子は上下に分かれて松榊作りや火口作りを行う。 10時頃、区長、氏子総代会長を先頭に、松神子も加わって例祭行列が護摩堂から里宮に向けて出発する。 午後1時頃、里宮での神事を終えて、祇園神輿の神幸行列が里宮を出て講堂脇の御旅所に向かう。この行列には松神子は加わらない。神輿は火の見櫓下の天王石で小休止した後、御旅所に安置される。 3時頃に柱松の一行が立烏帽子をかぶり赤の装束を着けた松神子を中心に、護摩堂から祭場の講堂前広場に向かう。祭場に着くと太鼓の合図で松榊、マーヤが次々と柱松に取り付けられる。山姥(仲取)1人、松神子2人、松子6人が講堂前に整列し、松太鼓役の打つ太鼓に合わせ、火打箱を付けた松神子を抱えて松子が柱松に登り、点火を競う。点火後、松神子を下ろし十王堂の休石まで背負って走り到着を競う。 上が勝てば天下泰平、下が勝てば五穀豊穣と占い、マーヤや松榊は虫除けの呪いに参加者が競って持ち去る。 柱松が終わると、神輿は里宮に還御し、祭り一行は護摩堂に戻って直会を行い、祭りは終了する。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)