国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
波々伯部神社のおやま行事
ふりがな
:
ほほかべじんじゃのおやまぎょうじ
波々伯部神社のおやま行事
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
祭礼(信仰)
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月第一土・日曜日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
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選択年月日
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2005.02.21(平成17.02.21)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
兵庫県
所在地
:
保護団体名
:
波々伯部神社氏子
波々伯部神社のおやま行事
解説文:
詳細解説
この行事は、篠山市宮ノ前に鎮座する波々伯部神社の例祭である祇園祭である。ダンジリヤマと呼ばれる四輪一層吹き抜け型の囃子屋台とキウリヤマと呼ばれる脇障子付きの船形屋台の2種類の曳山が奉納され、特にキウリヤマではデコノボウと呼ばれる素朴な人形戯が公開される。
この行事は二種類のやまの行事と素朴な人形戯を中心とする行事からなり、伝承組織も二重構造を示すなどの地域的特色を有する。また、デコノボウも一本の柄を握って操られるなど中世的な人形戯をよく留める。我が国の人形戯ややま行事の変遷を考えるうえで貴重である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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波々伯部神社のおやま行事
波々伯部神社のおやま行事
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波々伯部神社のおやま行事
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波々伯部神社のおやま行事
解説文
この行事は、篠山市宮ノ前に鎮座する波々伯部神社の例祭である祇園祭である。ダンジリヤマと呼ばれる四輪一層吹き抜け型の囃子屋台とキウリヤマと呼ばれる脇障子付きの船形屋台の2種類の曳山が奉納され、特にキウリヤマではデコノボウと呼ばれる素朴な人形戯が公開される。 この行事は二種類のやまの行事と素朴な人形戯を中心とする行事からなり、伝承組織も二重構造を示すなどの地域的特色を有する。また、デコノボウも一本の柄を握って操られるなど中世的な人形戯をよく留める。我が国の人形戯ややま行事の変遷を考えるうえで貴重である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
篠山市宮ノ前に鎮座する波々伯部神社の例祭である祇園祭は、毎年8月の第一土・日曜日に行われる。 この祭りにはダンジリヤマとキウリヤマと呼ばれる2種類の曳山が奉納され、キウリヤマではデコノボウと呼ばれる素朴な人形戯が公開される。 ダンジリヤマは、四輪一層吹き抜け型の囃子屋台で、畑市、畑井、井上、上宿、北島、辻、小中、宮ノ前の氏子8集落から奉納される。このうち畑市と畑井の2基は、脇障子付きの船形屋台である。 祇園祭は、各集落から選ばれた8人の氏子総代によって運営される。6月の夏祈祷の際に氏子総代が集まり、今年の例祭にダンジリヤマを出すかどうかを決めて各集落の行政総代に伝える。行政総代は、集落の意志を確認して祭りに参加するかどうかを決める。この後、参加を決めたダンジリヤマの運行は行政総代が一切を取り仕切る。 これとは別に、キウリヤマを担当するのは、社役人、宮年寄と呼ばれる特別な人びとである。このうち社役人はキウリヤマの組み立てを、宮年寄はキウリヤマの幕張りとデコノボウの操作を担当する。社役人は神社の社殿創建に携わった職人の家といわれる。平成16年現在、社役人は13人、宮年寄は12人(1軒他出中)で、それぞれ各集落に1、2軒ずつの決まった家がある。 ダンジリヤマは、原則として毎年奉納されるが、キウリヤマが奉納されるかどうかは社役人の集まりで決められる。かつては原則として辰年と戌年の6年目ごとに奉納されていたが、平成13年の公開後から3年目ごととなり、平成16年度がその最初の公開となった。 キウリヤマの奉納が決められると、自動的にデコノボウの公演が義務づけられる。社役人と宮年寄との間には特に接触はないという。 祭りの1週間前の土・日曜日に、ミヤノトウといい社役人、宮年寄が別々に集まり、祭りの役などを決める。8つの氏子集落は東と西に分けられており、キウリヤマも東と西の2基が作られる。社役人、宮年寄も出身の集落別に仕事を分担する決まりであるが、現在は出席状況に応じて東西に分けられている。 この日、社役人は保存してあるキウリヤマの材料の点検を行う。宮年寄は公開する外題に合わせてデコノボウの顔を塗りかえたり、その絵の具を使ってオリスエという半紙に藤の花と鯛の絵を描いた。前者は現在は省略されているが、後者は現在も行われており「(疫病を)封じたい」として通りに面した家の戸口に貼られている。 祭り前々日の金曜日、社役人と手伝いの若衆とでキウリヤマを組み立てる。やまを組み立てることをやま結いという。材料は角柱、藤蔓、笹の付いた真竹などで、一辺2.7㍍、高さ6.8㍍ほどの円錐形の曳山を作る。やまの頂上にダマといい新芽の付いた松を挿す。ここを通って神が降臨するという。やまの正面中段にはデコノボウの舞台となる開口部を作る。開口部の両脇にはカンザシといい松を挿した竹棒を挿す。キウリヤマの骨組みが出来上がると、神社入り口の鳥居の両脇に運んで社殿に正対させて安置する。 祭り前日の朝、宮年寄がキウリヤマに上中下3段に分かれた麻布の白幕を掛ける。この幕が掛からないうちはダンジリヤマは境内に入れないことになっている。この夜、ダンジリヤマが宮入をし、神前で練り回る。ダンジリヤマは三味線、太鼓、笛、鉦の囃子で運行され、別にノリコと呼ばれる氏子の6歳から12歳の長男が乗り込む。 祭り当日は、午後から例祭の神事があり、ダンジリヤマが宮入をする。宮入のとき、畑井集落の小畠家からギオンボと呼ばれる特別な品種の稲穂が奉納される習わしがある。なお、社役人、宮年寄は柿色の裃姿で参加する。 御旅所巡行に先立って、宮年寄によりオオエヨウ(大会謡)が奉納される。その後、猿田彦を先頭にダンジリヤマを従えて御旅所への神幸行列が行われる。波々伯部神社の神輿は3基あり、かつては氏子集落単位で当番を務めて神幸行列に加わっていたが、現在は人手不足のため神輿の巡行は行われていない。御旅所は水田の中の木立に囲まれた大歳神社という小祠で、オトシノモリと呼ばれている。 御旅所では神官の祭式の後、糯米に黒大豆を炊き込んだオタビノゴクの献饌と撤饌が行われる。 神幸行列が御旅所から還御した後、境内に安置されていた1基の神輿が境内を練り歩き、鳥居脇のキウリヤマを迎えに参道を数度往復する。境内の入り口では、柿色の麻製の着物姿に五色の色紙製のシャグマを付け、腰に鞨鼓を付けた3歳から6歳ほどの幼児が、カミサンムカエといい鞨鼓を打ってキウリヤマを境内に迎える。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)