国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
大日向の火とぼし
ふりがな
:
おおひなたのひとぼし
大日向の火とぼし
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年8月14・15日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2006.03.15(平成18.03.15)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
群馬県
所在地
:
保護団体名
:
大日向区
大日向の火とぼし
解説文:
詳細解説
大日向の火とぼしは、甘楽郡南牧村大日向に伝承される盆の先祖供養の火祭りで、8月14・15日の2日間行われる。火とぼし山と呼ばれる集落近くの山に子どもたちが登り、麦藁で作った大松明に点火して里に降り、その火を小さな松明に移して、子どもをはじめ地区の男性たちが橋の上や川原で一斉に振り回す行事である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
大日向の火とぼし
大日向の火とぼし
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大日向の火とぼし
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大日向の火とぼし
解説文
大日向の火とぼしは、甘楽郡南牧村大日向に伝承される盆の先祖供養の火祭りで、8月14・15日の2日間行われる。火とぼし山と呼ばれる集落近くの山に子どもたちが登り、麦藁で作った大松明に点火して里に降り、その火を小さな松明に移して、子どもをはじめ地区の男性たちが橋の上や川原で一斉に振り回す行事である。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
大日向の火とぼしは、群馬県甘楽郡南牧村大日向に伝承される盆の先祖供養の火祭りで、8月14日と15日の2日間行われる。火とぼし山と呼ばれる集落近くの山に子どもたちが登り、麦藁で作った大松明に点火して里に降り、その火を小さな松明に移して、子どもをはじめ地区の男性たちが橋の上や川原で一斉に振り回す行事である。 南牧村は、群馬県の西南部に位置し、西は長野県佐久市に接する県境の村である。周囲を険しい山々に囲まれた山村で、集落は南牧川とその支流が形成する峡谷に沿って点在する。大日向地区は、村を東流する南牧川を挟んだ、滝ノ沢、大日向、笹平、宮ノ平、門札の5つの集落から成り、火とぼしはこの5つの集落の人たちによって伝えられてきた。 その由来は、永禄4年(1561)に甲斐の武田氏が上州に攻め入ったときに、領主小幡氏の圧政に苦しんでいた村民が武田方に味方し、松明に火を点じて多数の武田勢にみせかけ、小幡軍を打ち破ったという史実に求められており、そのときの喜びを火祭りの形で伝えたのがこの行事であるという。 また、各家では、13日に先祖の霊を迎え、16日に送るが、火とぼしは14日は迎え、15日は送りの火祭りであるともいわれる。 火とぼしと呼ばれる盆の火祭りは、山中、底瀬、大久保、小塩沢など南牧村のいくつかの集落でかつては行われていたが、少子化や過疎化等の影響によって、現在では大日向地区に伝承されるのみである。 行事の準備は、7月下旬から始まる。松明の材料となる麦藁を集めたり、集落をまわってその年の行事に参加する子どもたちを募る。麦藁はかつては各戸で用意していたが、農家が少なくなった20年ほど前から、近隣の富岡市などから購入している。こうした準備作業や行事の運営は、大正期頃までは若者連と呼ばれる村の若者集団を中心に行われていたが、現在は、各集落の区長や班長など地区の代表が行事の役員となってその任に当たっている。 8月7日には、火とぼし山の草刈りや行燈作りを地区の共同作業として行う。南牧川の右岸の集落は、早朝から火とぼし山に集まって草を刈り、大松明が通る道つくりを行う。かつてはこの山の頂上に狼煙小屋と呼ばれる小さな小屋を麦藁で作っており、行事の際に火を放ったというが、現在は行われていない。一方、南牧川の左岸の集落は、行燈を張り替えて、それに季節の野菜や虫などの絵や「火祭り」「魂祭り」などの文字を画く。この行燈は、15日夜に行われる、オネリと称する行列の際に用いられる。 14日は午後から役員を中心に松明作りを行う。山に持って上がる大松明は、麦藁の束を繋いで尖塔形にした約2㍍ほどのもので、両脇に麦藁を束ねた火振り用の小さな松明が2つ結びつけられる。大松明は参加する子どもの数だけ作られる。また、大日向集落にある安養寺の前に高灯籠が立てられる。日が暮れ始めると、大松明を担いだ子どもたちが役員の大人に付き添われて火とぼし山へ登り始める。山頂に着くと、子どもたちは大松明を下ろして先端に点火する。次いで、小さな松明に火を移して振り回した後、燃え始めた大松明に綱を付けて引きずりながら山を降りてくる。一方、里では、火振り用の松明が大日向の集落内に掛かる通称火とぼし橋の両端に用意される。山から下った大松明は、この橋を通って対岸の川原まで降りるが、その道すがら地区の男性たちが橋の袂に積まれた松明を持って、大松明から火を分けてもらう。男性たちは手にした松明に火を移すと、それに綱をつけて、橋の欄干から身を乗り出しながら、あるいは川原の水際に立って、一斉にぐるぐると振り回す。夜の闇の中で、松明は燃えさかりながら炎の弧を描いて勇壮に回転し、橋とその眼下の川原一帯は火祭りの様相となる。翌15日も同様の次第で行事が行われるが、オネリについては、近年15日にだけ行われている。 15日は、夜7時頃からオネリが始まる。オネリは、行燈を持った子どもたちを先頭にして地区の人たちが太鼓や笛を伴って、火とぼし山の登り口から大日向集落にある安養寺まで行列を組んで練り歩くものである。一行は安養寺に着くと境内を3回まわり、最後に先祖供養のための念仏を唱和して行事は終了となる。 この行事は、先祖の霊を迎え送る盆の火祭りとしての性格が濃厚に認められる盆行事の典型例の1つであり、我が国の年中行事の変遷を理解するうえで貴重なものである。しかしいっぽうで、かつてはこの種の行事が南牧川流域に広く分布していたものの、現在は大日向地区で行われるのみとなっており、少子化による担い手の減少や狼煙小屋を作らなくなるなど衰退・変貌の恐れも高いことから早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)