国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
大聖寺のゴンガン
ふりがな
:
だいしょうじのごんがん
大聖寺のゴンガン(竹割り)
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年2月10日(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
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2007.03.07(平成19.03.07)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
石川県
所在地
:
保護団体名
:
御願神事保存会
大聖寺のゴンガン(竹割り)
解説文:
詳細解説
この行事は、加賀市大聖寺敷地に鎮座する菅生石部神社の例祭で行われる小正月の行事である。竹を組み藁を被せた三角錐形のアズマヤへの点火、竹を叩き割る竹割り、巨大な縄を引き回す大縄などが行われ、最後に大綱は大聖寺川に流される。境内に散乱した竹は厄除け・魔除けとして参詣者が持ち帰る。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
大聖寺のゴンガン(竹割り)
大聖寺のゴンガン(綱を引き回す)
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大聖寺のゴンガン(竹割り)
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大聖寺のゴンガン(綱を引き回す)
解説文
この行事は、加賀市大聖寺敷地に鎮座する菅生石部神社の例祭で行われる小正月の行事である。竹を組み藁を被せた三角錐形のアズマヤへの点火、竹を叩き割る竹割り、巨大な縄を引き回す大縄などが行われ、最後に大綱は大聖寺川に流される。境内に散乱した竹は厄除け・魔除けとして参詣者が持ち帰る。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
大聖寺のゴンガンは、石川県加賀市大聖寺敷地の菅生石部神社の例祭で行われる小正月の行事である。 この行事は、タケワリ(竹割)行事、タケワリ祭とも呼ばれ、かつては1月10日に行われたが、現在は毎年2月10日に行われている。行事は、藁と竹で作ったアズマヤへの点火、竹を叩き割る竹割り、巨大な縄を引き回す大縄といった行為からなる。 氏子の中でも大聖寺敷地・大聖寺岡町の人びとが準備から執行までを行い、特に15歳から42歳までの青年たちは、「ゴンガンにあがる」と称して、竹割りや大縄を行う。 行事の準備には、大縄作り、竹きり、拝殿の養生作業などがあり、いずれも2月に入ってから行う。 大縄は、ダイジャとも呼ばれ、2月第一日曜日、大聖寺敷地の人々により区長宅で綯われる。150束ほどの藁が使われ、直径20㎝、長さ20㍍、重さ180㎏にもなる巨大な藁縄が綯われる。大縄には長さ80㎝ほどの小縄も40本ほどつけられる。大縄は、完成すると神社の拝殿に奉納する。 竹きりは、2月10日に近い日曜日に、大聖寺岡町の人々により行われる。山から孟宗竹を100本ほど切り出し、先端部のみを残して枝を払って神社の境内に奉納する。このほか、氏子が各自で思い思いに10日朝までに竹を奉納し、最終的に150本ほどの竹が境内に集まる。これらの竹には、半紙を巻いて水引をかけることもあり、この半紙を傷口にあてると快癒するという。 拝殿の養生作業は、行事直前の土曜日に大聖寺敷地の人々により行われる。 行事当日は、早朝から賽銭箱や絵馬などが撤去され、拝殿左手と神門左手の柱にそれぞれ板木が吊り下げられる。また、ゴンガンにあがったことのある42歳以上の男性15人ほどが、竹切り役として鉈で竹を2㍍ほどに切り揃える。こうして300本近い竹が境内に山積みにされる。 同時に、大聖寺岡町の人々により、境内にアズマヤが作られる。これは、ニワビ、カガリビなどとも呼ばれ、奉納された竹から最も太く長いものを3本選んで三角錐状に組み、竹の全面に藁を隙間なく掛けて覆ったもので、高さは3㍍以上にもなる。 これらの準備が終わる午前9時半頃、青年たち40名ほどが拝殿に集合してお祓いを受ける。彼らは護符と鉢巻を授与され、境内下の大聖寺天神下町に設けられた3つの宿に分散して籠る。やがて彼らは身支度を整えると、宿から出て境内入口の石鳥居の前で待機する。 この間、大聖寺岡町の辰川家では忌火の切り出しが行われる。辰川家の主人が入浴潔斎した後、火打石と火打ち金で火をつけ、カンコと呼ぶ稲の穂先を細長く円錐形に束ねたものに移して境内に運び、アズマヤに吊り下げる。 午前11時、拝殿では例祭が始まり、神職による祝詞奏上が行われる。そして祝詞が終わろうとする直前、拝殿に吊るされた盤木が激しく打ち鳴らされる。すると、辰川家の主人がカンコの火をアズマヤに移す。アズマヤが燃え上がると、今度は神門の盤木が激しく打ち鳴らされる。 そして次の瞬間、境内入口に待機していた青年たちが喊声をあげていっせいに境内になだれ込む。青年たちは境内に積まれた竹をもって拝殿に突入し、ワッショイの掛け声とともに床板を激しく踏み鳴らしながら所構わず竹を叩きつけて割る。 15分ほどしてすべての竹を割り終えると、拝殿に安置してあった大縄を引き出す。途中大縄の前後で引き合う所作などを交え、ワッショイの掛け声とともに拝殿と外を何度か往復した後、最後に外に出て境内下を流れる大聖寺川にかかる敷地橋までいく。ここで大縄をいっぱいに引き伸ばして高く持ち上げて大聖寺川へ投げ込む。大縄が投げ込まれると、拝殿では玉串奉奠が行われて例祭が終了する。 参詣者や青年たちは、境内に散乱した竹を持ち帰る。この竹は、箸にして食事をすれば病気や歯痛が治る、玄関におけば魔除けになる、天井に置くと家内安全・無病息災になる、凧の骨にすれば凧がよくあがるなどといわれる。 この行事は、この地で田畑を荒らしていた大蛇を退治するために始められたなどといわれるが、かつては「敷地が勝つか、岡が勝つか」といわれ、大聖寺敷地と大聖寺岡町との間で竹を打ち合い、綱引きをして勝敗を決したといわれており、特に25歳と42歳の厄年の青年は必ずゴンガンにあがることになっていた。また、数年前までは、アズマヤで正月飾りが燃やされ、その倒れる方向で豊凶も占っていたといわれている。 この行事は、火祭・竹打ち・綱引きなど多彩な内容を伝える小正月行事であり、全国的にも類例が少ないことから我が国の年中行事の変遷を考える上で貴重である。しかし、いっぽうで青年の減少などの社会構造の変化により、厄落としや年占などに関する伝承が希薄になりつつあることから早急に記録作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)