国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
尾張西部のオコワ祭
ふりがな
:
おわりせいぶのおこわまつり
尾張西部のオコワ祭
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開日:毎年3月第二日曜日(勝幡)、毎年2月11日(下之森)(※選択当時・お出掛けの際は該当する市町村教育委員会などにご確認ください)
選択番号
:
選択年月日
:
2007.03.07(平成19.03.07)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
愛知県
所在地
:
保護団体名
:
勝幡おこわまつり保存会・下之森地区
尾張西部のオコワ祭
解説文:
詳細解説
この行事は、尾張地方西部に伝承されている行事で、樽や櫃に納められた神饌であるオコワを参詣者たちが激しく奪い合い、五穀豊穣や無病息災を祈願するものである。オコワを入れた容器を壊れるまで神社の石段などに叩きつけ、容器が壊れると、餅状になったオコワを参詣者が奪い合うもので、かつては尾張西部の数カ所に伝承されていたが、現在は、愛西市勝幡の勝幡神社と七宝町下之森の八幡社の2カ所に伝承されている。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
尾張西部のオコワ祭
尾張西部のオコワ祭
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尾張西部のオコワ祭
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尾張西部のオコワ祭
解説文
この行事は、尾張地方西部に伝承されている行事で、樽や櫃に納められた神饌であるオコワを参詣者たちが激しく奪い合い、五穀豊穣や無病息災を祈願するものである。オコワを入れた容器を壊れるまで神社の石段などに叩きつけ、容器が壊れると、餅状になったオコワを参詣者が奪い合うもので、かつては尾張西部の数カ所に伝承されていたが、現在は、愛西市勝幡の勝幡神社と七宝町下之森の八幡社の2カ所に伝承されている。(※解説は選択当時のものをもとにしています)
詳細解説▶
詳細解説
尾張西部のオコワ祭は、愛知県の尾張地方西部に伝承されている行事で、樽や櫃に納められた神饌であるオコワを参詣者たちが激しく奪い合い、五穀豊穣や無病息災を祈願するものである。 オコワ祭と称されるこの種の行事は、愛知県愛西市勝幡(旧海部郡佐織町勝幡)にある勝幡神社と海部郡七宝町下之森にある八幡社で行われる事例が知られており、オコワを入れた樽や櫃を縄で編んだ菰編みと呼ばれる網状のもので厳重に包み、中の容器が壊れるまで神社境内の石垣などに打ちつけた後、参詣者が先を争ってオコワを奪い合うことが祭りの中心となる。また、かつてはどの地区がオコワを取ったかなど、奪い合いの結果で、その年の作物の吉凶が占われていた。 オコワ祭が伝承されている愛西市勝幡と七宝町下之森は、名古屋市の西の郊外に広がる農村地帯にあり、今日では宅地化が進んでいるが、農業を主な生業としてきた地域である。 勝幡の勝幡神社では3月の第二日曜日、下之森の八幡社では2月11日に、神社の境内を中心にそれぞれオコワ祭りが行われる。 勝幡のオコワ祭は、宿元と年番を中心に行われる。宿元は、オコワをはじめ、樽や菰編みなどの用意をはじめ、行事の準備や執行の責任者であり、勝幡のカミ(上)とシモ(下)の2つの地区から1年交替で選ばれる区長がつとめる。年番は10地区ある各字の代表がつとめる。樽は1升5合入の大きさで、オコワは白オコワを用いる。菰編みは、蒸したオコワを詰めた樽を頑丈にくるむためのもので、縄を円筒状に細かい目で編み上げて作られる。 樽を入れ、上部をきつく縄で縛った菰編みは、年番の男性2人が青竹に通して担ぎ、榊や御幣とともに行列を組んで宿元の家から勝幡神社まで地区内を練り歩く。一行が神社に到着すると、オコワが神前に供えられて祭事が行われる。祭事が終わると、オコワが下げられ、宿元や年番たちが樽が壊れるまでコモ編みごと境内にある大きな石や灯籠などに代わる代わる激しく打ちつける。藁縄が緩み、樽が壊れる頃にはオコワは餅状になっている。そして、樽が割れたのがわかると同時に、参詣者たちはそれを目がけて群がり、オコワの奪い合いが始まる。一粒でも多くオコワを掴もうと菰編みの口を広げたり、壊れた樽に手を差し入れたりして、取り合って食べる。このオコワを食べると1年間、無病息災で暮らせるといい、また、樽の破片を噛むと歯が丈夫になるともいわれている。 下之森のオコワ祭は、年番と厄年の男性を中心に行われる。年番は、下之森の東組、西組、北組、南組の4つの組の1つが1年任期の当番制でつとめてきたが、現在は16班に分かれている班ごとに1年交替で年番を決めている。オコワは、勝幡と同じく白オコワで、年番の家が用意する。オコワは1升入の櫃に入れて神前に供え、社殿で祭事を行った後、菰編みの中に詰め込まれる。菰編みは口の部分を縄で結び、御神酒をふきかけて固く締める。その後、厄年の男性と子どもたちが菰編みを持って社殿を回った後、中の櫃が壊れるまで拝殿の石垣の角に何度も叩きつける。櫃が壊れるとオコワの奪い合いとなり、餅状になったオコワを手づかみで取り合って食べる。最初にオコワを1粒でも手にした者がもっとも厄除けの利益に授かれるといわれ、また、割れた櫃の断片を貰って帰ると、その家は雷が落ちないという。 このようなオコワ祭は、尾張地方では、愛西市の大野山町や持中町、稲沢市氷室町などでも行われていたが、現在は伝承が途絶えたところが多く、また、勝幡と下之森の2つの事例も、近年は神饌となるオコワを作らずに購入したり、菰編みを毎年作り替えることが難しくなっている状況が生じているほか、若者を中心に激しく行われてきたオコワの奪い合いも子どもが主体となりつつあるなど、時代の推移とともに変容が進んでいる。 この行事は、氏神に供えた神饌を氏子が奪い合い、共食にあずかることで、1年の五穀豊穣や無病息災を祈願する行事であり、厄除けの性格がみられるほか、かつては年占の意味合いもあったなど、民俗的要素を豊富に伝えており、また、神饌の取り扱いも独特で、我が国の民間信仰の変遷や祭りのあり方を考える上で貴重である。 また、オコワ祭りと呼ばれる祭りは、愛知県では尾張地方の西の地域に分布がみられたことが知られているが、今日では行事の希少化が進んでおり、現行の伝承例である勝幡と下之森のオコワ祭についても、行事内容の簡略化や担い手の変化がみられるなど、衰退・変貌の恐れが高くなっていることから、早急に記録を作成する必要がある。 (※解説は選択当時のものをもとにしています)